概要
日本において中世から近代にかけて一般的であった、休憩所の一形態。休憩場所を提供するとともに、注文に応じて茶や和菓子を提供する飲食店としても発達した。茶店とも言う。
交通手段が徒歩に限られていた時代には、宿場および峠やその前後で見られ、これらを「水茶屋(みずぢゃや)」「掛茶屋(かけぢゃや)」と言い、街道筋の所定の休憩所であった。また、茶の葉を売る店は「葉茶屋(はぢゃや)」と言う。
現代の日本では、主に観光地や景勝地で営業しており、土産物屋を兼業している場合も多い。
その他の営業形態の茶屋
色茶屋
遊女を置いていた茶屋。単に茶屋、お茶屋と呼ぶ場合も多いが、特に水茶屋と区別して話すときにこう呼んだ。
引手茶屋
客と遊女との遊興の手引きを行う茶屋。大見世(最上級クラスの妓楼)では、引手茶屋の案内がなければ、登楼できなかった。
客は引手茶屋で宴会を開き、遊女(花魁)が来るのを待つ。宴会は「初回」「裏を返す」「馴染み」という名目で3度催さなければならない。2度目までは遊女と顔を合わせるだけ。3度目に遊女が客を認めれば、ようやく遊女と一緒に遊女屋へ出向き、肌を合わせることができた。揚屋とほぼ同じシステムだが、格式は揚屋より低い。
かつての吉原には全部で96軒あり、特に大門を入った右側の7軒が格式が高く、「七軒茶屋」と呼ばれた。
待合茶屋
待ち合わせや会合、飲食、芸妓と遊んだりするための場所を提供する貸席業のことを指す。「待合」、「お茶屋」と略して呼ぶ場合もある。
かつては寝具が備わっており、芸妓や娼妓と寝ることも使用法の一つにあったが、現在では売春が禁じられていること、時代の変化等によりそのようなことはない。
飲食の際は飲み物は備わっているが料理は直接提供できない。したがって仕出し屋などから取り寄せる必要がある。このことから一次会は無論、二次会の会場として使われる場合も多い。
京都のお茶屋はトラブルを避けるため特に紹介がなければ入れない、一見さんお断りとする店も多い。
陰間茶屋
江戸時代中期、元禄年間ごろに成立した陰間が売春をする居酒屋・料理屋・傾城屋の類。京阪など上方では「若衆茶屋」、「若衆宿」と呼ばれた。
出合茶屋 / 出会茶屋
男女が密会に利用した貸席の江戸用語。現代のラブホテルに相当する。京坂では盆屋(ぼんや)といい、料金は江戸より安いかわりに、酒肴を出さないなどの差があった。
一見料理茶屋を装っていて、「料理処」という看板を掲げている店もあり、どの店も本当に食事を出した。部屋代、食事代を合わせた料金は、1分程度(今の2万円ほど)だった。
出合茶屋は、神社や寺院の門前に多く、とくに上野の不忍池周辺には、出合茶屋のメッカだった。この地域の出合茶屋は、不忍の池には蓮が群生しているところから、「蓮の茶屋」あるいは「池の茶屋」と呼ばれた。
出合茶屋を利用したのは、おおむね人目をはばかるカップルである。未亡人と若い男、御殿女中と歌舞伎役者といった組み合わせだ。
当時、不義密通は重罪であり、死罪となる危険もあった。そのため、取締りなどに備えて、客席を二階に設け、出入口を二か所以上にするなどの用意があった。
相撲茶屋
大相撲の本場所において、入場券の売買仲介および会場での接客を行う店舗。単に「お茶屋」ともいう。正式名称は相撲案内所だが、あまり普及はしていない。なお、「相撲+茶屋」という連想からか「相撲茶屋○○」と名乗るちゃんこ料理店があるが、相撲案内所の業務とは無関係である。
料理茶屋
料理の提供を専業とした茶屋。現代の料理屋、割烹店、料亭などに相当する。
料理茶屋の中には、江戸時代に創業して現在も料亭として営業している店もある。
関連タグ
西村和彦…実家が京都・伏見稲荷大社の境内で茶屋(うどんと甘味の店。)を経営。
外部リンク
茶屋:wikipedia一部引用
待合茶屋:wikipedia一部引用
陰間茶屋:wikipedia一部引用
出合茶屋一部引用