概要
おいらんが美しく着飾り、妹分の遊女や禿などを従えて、妓楼から揚屋や引手茶屋まで客を迎えに行ったこと。揚屋入り。滑り道中。
また、江戸吉原で正月や8月1日、京都島原で4月21日などに高級遊女が盛装して廓の中を練り歩いたこと。
おいらんの揚屋入りの際は、新造を1~2人、禿を1~3人、および下男を1人を召しつれた。後にこれが競争の様相を呈し、やがて一種の観光ショーのようになっていった。
遊郭には、「ひやかし」「素見(すけん)」という、張見世を見て回るだけの見物客もいたが、そうした客にとっても、花魁道中は非常に目を楽しませるものであった。有名な太夫の花魁道中は見物客が黒山の人だかりをなしたという。太夫もただ歩くわけではなく、歩き方にも特徴があり作法に則った脚の動きをしながら歩いている。
現代で例えるならば、「太夫=トップアイドル」が街中をパレードするといったものであろうか。
現在も、歌舞伎や各地の祭りの催し物として再現されることがある。