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概要

江戸時代茶屋などで客を相手に男色を売った男娼の総称。特に数え13〜4から20歳ごろの美少年による売色をこう呼んだ。

陰間を扱う飲食店は「陰間茶屋」と呼ばれ、宝暦頃(1760年頃)まで流行したが、風俗を乱すものとして幕府の大規模な取り締まりを受け、禁制となる。


陰間の成り立ちと衰退

陰間のはじまりは、歌舞伎の役者になるべく修行していた少年だったという。

修行中の少年たちは「陰の間」と呼ばれており、年齢は13~20歳くらいまで。役者の卵なだけあって美少年ばかりだった。


芝居小屋は、得意客から宴会のの相手をするよう頼まれる事があったが、花形役者を毎回連れて行くわけにはいかないので、修行中の「陰の間」たちを同席させ酌をさせた。

その際、客は気に入った少年がいると手をつけることもあった(当時は男色が珍しくなかったため、気に入ったホステスに手を付ける感覚に近かったようである)。

芝居小屋の側も儲かるため、「女形を演じるには、女性の気持ちを知らなければ」という建前で少年達に体を売らせるようになる。

これが次第に商売として成り立つようになっていき、やがて陰間を集めた陰間茶屋が成立するようになった。


陰間茶屋が成立する頃になると、そこで働く少年たちは「役者修行中の少年・影の間」から「売春専門の陰間」へと移行していく。陰間もNO.1ともなると、吉原の太夫をしのぐといわれるほどの人気だったといわれる。

陰間になる少年は、大半が大坂など上方から連れてこられた。上方の少年は言葉遣いが優しく、動作なども江戸の少年と違ってやわらかく上品であるというのがその理由である。江戸の少年を陰間に仕立てても、言葉や仕草にやわらか味を欠き、荒っぽい振る舞いが多かったため売れ行きは悪かった。


少年たちは、陰間として売り出す前に陰間としての心得や行儀作法を教え込まれたが、一番重要だったのはアナルの開発だったという。陰間の仕立て

当時は、陰間を買う男の客は必ずアナルセックスを要求したことから、陰間になる少年は、客の性器を受け入れるためにアナルを拡張しなければならなかった。

そのための一番簡単な方法は、指を使ってアナルを拡げる方法で、小指から順に薬指から中指、人差し指をアナルに挿入して、徐々にアナルをほぐしていった。

指を使ってアナルをほぐしたあと、次の段階では、棒ぐすりという張形ディルド)の一種を使った。

棒ぐすりというのは、木の端を二寸五分ほどに切って、綿を巻いて、ペニスほどの太さにして、たんぱん(胆礬 / 硫酸銅のこと)をゴマの湯で溶いたものをその上に塗ったものである。

夜、寝る前に腰湯を使ってアナルを洗浄してから、それをアナルに挿入してそのままの状態で就寝したといわれている。

硫酸銅は、直腸の粘膜をかぶれさせ、痛覚を鈍化させると同時にかゆみを生じさせて陰茎による刺激を欲するようにするために使われた。


この棒ぐすりを使った訓練のあと、あるいはそれと並行して、本物のペニスを使った訓練も行われた。

この本番の訓練で、陰間になる少年の相手をしたのは金剛という陰間の従者になる男である。

陰間には身の回りをする金剛が必ず付き添っていて、陰間が客に呼ばれて客の家に行くときなど必ずこの金剛が供をした。当然のことながら、陰間と金剛の間には特別、親密な感情が生まれたといわれている。

金剛は通和散(とろろ葵の根を晒して挽いて粉にしたもので、水分を加えるとゲル状になる)という潤滑剤を口に入れて唾液で溶かしたものを陰間になる少年の肛門にたっぷりと塗り付けて滑りをよくしてから、自分のペニスの先端を挿入し、徐々に深いところまで挿入していき、最後には全長が入るようになるまで仕込んだ。

少年たちは、このようなアナル拡張の訓練が終わり、その他の陰間としての心得や行儀作法を教わったあと、陰間としてデビューした。そのときの年齢は12~13歳ほどだったといわれている。

陰間としてデビューしてからは基本的に男性の客を取るが、20歳を過ぎると男女どちらの客も相手にし、男性客の相手をするときは女役、女性客の相手をするときは男役を務めた。


料金は非常に高額で、庶民に手の出せるものではなかった。陰間遊びは、一切(ひときれ)で一分ほどで、現代に換算すると、3時間で2万5千円である。昼夜一日を独占すると二両(20万円)にもなった。これは吉原の中級クラスの遊女の値段に匹敵する。

陰間を買う客は、金銭に余裕のある武家商人僧侶の他、女の場合は御殿女中や富裕な商家などの後家未亡人)が主だった。


陰間茶屋は五代将軍綱吉が治めた元禄時代にもっとも隆盛を誇ったが、質素倹約を旨とする徳川八代将軍吉宗享保の改革によってその数が半減し、さらに幕末の天保の改革で殆ど絶滅してしまった。

唯一の例外は、上野三十六坊と呼ばれた上野寛永寺を中心とする寺院群の僧侶たちを得意客としていた湯島天神芝神明門前や、日本橋芳町こと堀江六間町(現在の中央区日本橋人形町辺り)の陰間茶屋だった。湯島天神のある上野三十六坊の寺領は、皇族門主としており、江戸幕府も容易に干渉できなかったことから天保の改革後も営業を続けていた。

しかし慶応4年(1868)、上野を舞台に旧幕府軍と新政府軍の間で戦われた上野戦争によって上野三十六坊が焼失してしまう。こうして湯島天神の陰間茶屋はその得意客であった僧侶を失い、すべて廃業した。


陰間を描く作品

川田弥一郎 著『江戸の検屍官』「口中の毒」及び同作コミック版「毒婦」(高瀬理恵 絵)

関連タグ

男娼 衆道 ホスト


歌舞伎 若衆歌舞伎 歌舞伎役者 陰子 / 色子

茶屋 / 陰間茶屋 稚児


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