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徳川綱吉

とくがわつなよし

第五代江戸幕府征夷大将軍
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概要

第五代江戸幕府征夷大将軍

儒教の思想に基づいた政治をすすめ、その治世の前半は江戸文化の代表「元禄文化」が生まれ、善政として「天和の治」と称えられている。しかし、治世の後半においては「生類憐みの令」と呼ばれる動物愛護政策が町人の非難の的となり、ついたあだ名が「犬公方」であった。

綱吉の治世において赤穂浪士による吉良家討ち入りが起こったが、喧嘩両成敗による切腹という処断には綱吉の秩序重視の思想がよく現れている。が、その一方で自分は気まぐれな大名取り立てと改易という秩序破壊行為も行っている。それらの事により、一般的には暗君とされる事が多い。

擁護

だがその一方で、戦国時代の殺伐とした気風を排除し、徳を重んずる「文治政治」を推進しており、特に近年は優れた文君としての再評価がされてきている。前半の「天和の治」の評価は古来より高く、徳川吉宗も綱吉の治世を目標にしていたという。
また、生類憐みの令についても「戦国の気風を残した世相を、生命を大事にする太平の世へと変革した」と評価する意見も提出されている。

事実、この令が発布されるまでは、殺人捨て子動物虐待等といった、生命を軽視し過ぎている行いが、日本各地で当たり前の様に起こっていた為に、これらの問題を改善する為には多少いき過ぎであっても止むを得なかった部分もあるのかもしれない。
また、綱吉の死後に生類憐みの令が廃止された後も、無断なの遺棄の禁止や捨て子、病人等の保護は継続されている為、綱吉の方針は一概に悪とは言えないのかもしれない。

赤穂事件に関しても、浅野内匠頭への即日切腹は「朝廷との重大な詮議の場を台無しにされた」ことへの怒りが原因である。今風にいえば、「社運を賭けた大企業との会談で、部下が場外乱闘を起こして会談を潰した」といった感じである。こんな事になれば、即時解雇か自主退職勧告もおかしくないだろう。

現代までに起きた富士山最後の大噴火「宝永大噴火」とそれを原因とする一連の災難に対し、迅速に対応して混乱拡大の抑止に尽力してしている。
しかしこれさえ当時まだ根強かった「天人相関説(君主の不徳が天災を招くという儒教思想の一つ)」に結び付けられ、あたかも「富士山噴火は綱吉の不徳のせい」だと批判する風潮さえ起きている。

「無思慮で横柄な独裁者」と評される原因は、のちの時代の学者たちが時代背景に合わない政治論を押し付けて批判したところが非常に大きい。多くは戦国と太平の「最後の狭間」だった元禄の時代背景をほとんど無視した理想論であり、時代考証に欠いている。

運が悪かったのは徳川光圀の存在も一因している。名君と評される光圀に幾度か直言を受けており、後世で『水戸黄門』が広く世に伝わると「陰の政敵」として悪し様に扱われてしまう。
光圀が『大日本史』を編纂し、綱吉が『易経』を講じるなど、文化的な貢献において類似点があることも、光圀ファンから引き合いに出されて批判される原因となっている。

何より現代において綱吉の活躍の場は、綱吉を憎まれ役に抜擢する『忠臣蔵』と『水戸黄門』という、今や時代劇鉄板なった二枚看板が筆頭に挙がるため、劇中のイメージそのままに「嫌味な人物」「悪い殿様」としてマイナスイメージを持ってしまう人も多い。


隠れた功績として「」文化の保全にも貢献している。
能好きの血統である徳川一族でも希代の能好きで知られ、「能狂(のうきょう)」とまで評された。
あまりに好きすぎて、人前でよく披露し、諸大名や側近に無茶振りで能舞を演じさせたり、能業界の事情に積極的に首を突っ込んでみたり、能役者を士分に取り立てて格上げしたり、稀曲・珍曲といわれる滅多に演じられない題目の復興に熱を入れたりと、「能狂」と評されるに能う「能オタク」である。
その甲斐あってか、元禄時代には衰退していた41演目を復活させ、今でもうち20演目が存続している。


NHK大河ドラマ元禄繚乱』では、萩原健一の怪演によって癖のある人物という印象を残している。


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