第九代江戸幕府征夷大将軍、父は八代将軍徳川吉宗、正室は増子女王(伏見宮邦永親王の王女)
病弱や脳障害を持っていた将軍として有名。女性説も流れるほど不可解な逸話が多い。
もっていた障害に関しては、遺骨等の調査から「アテトーゼ型の脳性麻痺」である可能性が高いと言われている。
現代であれば完治は望めないものの、リハビリテーションや手術で症状を改善できるが当時は全くそのような概念すらないため、放置されていたものと思われる。
このため言語障害が悪化していき、彼の言葉を理解できるのは側近の大岡忠光のみだったと言われる。忠光の死去後は長男徳川家治に将軍職を譲り隠居、その約1年後に死去した。
脳性麻痺は言語等が不明瞭でも実は知能が正常であるケースも多く、将軍としての家重の評価は現在でも大きく割れている。
人物眼には優れており、人事能力は高かったらしい。
実際、彼の言葉を理解できたため重用された大岡忠光も、私腹を肥やしたり専横する人物ではなかったりと、彼の行った人事については評価されている。