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徳川宗武

とくがわむねたけ

徳川宗武とは江戸時代中期の武士。八代将軍徳川吉宗の次男。徳川御三卿の一つ・田安徳川家の祖。松平定信の実父。
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プロフィール編集

生没年:1715年(正徳5年)~1771年(明和8年)

極官:従三位権中納言


概要編集

8代将軍・徳川吉宗の次男。母は側室の本徳院。徳川御三卿の一つである田安徳川家の祖であり田安宗武の呼び名でも知られる。のち寛永の改革を主導した松平定信は七男。


荷田在満から国学と和歌を学ぶが後に賀茂真淵からも学んだ。

元文4年(1739年)、当時の尾張藩主・徳川宗春が幕府から蟄居謹慎させられた時、吉宗は宗武を次期尾張藩主にと考えていたが尾張藩の抵抗に遭って断念した。

宗武は才能に優れ障害持ちだった異母兄・徳川家重に代わって将軍世継ぎに推す声が強く、宗武自身もまた自身の将軍就任に欲を出したため、家重の欠点を吉宗に諌奏する挙に出た。

これが災いしたか、吉宗が隠居し家重が将軍に就任した後の1747(延享4)年に3年間謹慎の沙汰を受けた。謹慎が解けた翌年に父・吉宗が逝去。家重とはその後も不和であり続け、家重が宝暦11年(1761年)に没するまでこの両者は対面することがなかったという。

明和8年(1771年)に逝去、享年57。家督は五男の徳川治察が継いだ。


フィクションにおける徳川(田安)宗武編集

TVドラマ編集

2025年年頭にテレビ朝日系で放送されたスペシャル時代劇。演者は駒木根葵汰

2025年NHK大河ドラマ。史実では第一回で描かれた明和の大火の前年に没しているため登場していない。正室の近衛通子は花總まり、七男の松平賢丸(のちの定信)は寺田心が演じる。


関連タグ編集

江戸時代 田安徳川家


外部リンク編集

徳川宗武 - Wikipedia

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