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概要編集

1731(享保16)年に徳川吉宗の次男・宗武が、旧田安明神(築土神社)の敷地に屋敷と賄料3万俵を与えられ創設した。

2代目の治察は早世の上子が無く、その弟である定国定信は養子に出されていたため、治察の死後は一旦当主不在となり、11代将軍家斉の弟の斉匡が当主となり現代まで続いている。

なお7代当主の亀之助は徳川宗家16代当主家達となったため、現在の徳川宗家は斉匡の女系子孫となっている(男系は17代当主家正で断絶)。


歴代当主編集

  1. 徳川宗武
  2. 徳川治察:宗武の五男
  3. 徳川斉匡徳川治済(一橋徳川家当主)の五男。
  4. 徳川斉荘:家斉の十二男。後に尾張徳川家12代当主。
  5. 徳川慶頼:斉匡の九男。
  6. 徳川寿千代:慶頼の長男。
  7. 徳川亀之助:慶頼の三男。後に徳川家16代当主。
  8. 徳川慶頼:亀之助の宗家相続により再封。

関連タグ編集

徳川家 徳川御三卿

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