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上杉鷹山

うえすぎようざん

上杉鷹山は江戸時代中期に活躍した米沢藩主。他家から養子入りし借金で膨れ上がり火の車であった米沢藩の財政を立て直し産業の発展を行った。「為せば成る」は彼の言葉である。

寛延4(1751)7月20日生まれ、文政5(1822)3月12日没

藩主就任

日向高鍋藩主秋月種美の次男で米沢藩主上杉重定の養子となり17歳で米沢藩主に就任。当時米沢藩は多額の借金を抱え存亡の危機に立たされていた。そこで自ら食事は一汁一菜、服は木綿と自ら質素倹約を心がけ養蚕事業、鯉の養殖など特産品の生産に力を注ぐ。また飢饉に備え食べられる野草とその食べ方、逆に食べれば死に至るものを記した「かてもの」を執筆。藩内に配布し飢えから民を守った。

七家騒動

改革を推進する鷹山であったが上杉家の伝統と格式を重視する保守派の重役7人から反発を受ける。だが鷹山の政策を支持する家臣の存在もあり反発する重臣を処罰。名君としてJ・F・ケネディからも尊敬する政治家としてその名が挙げられている。

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