概要
日本で古くから発達した詩の形式で、いわゆる和歌の一形態。奈良時代以前の古代に歌謡から派生した。基本的に日本語の定型詩であり、五・七・五・七・七の31音節を基本とする。
短歌は連歌、俳諧、俳句、川柳、狂歌といった詩を生み出す元となった。
歴史
短歌は、日本最古の歴史書である古事記にも数多く収録されている。このことから、飛鳥時代には既に短歌という形式があったことがわかる。
ただし、古事記に載せられている歌謡には、短歌以外の形式のものが多く、特に「五・七・五・七・五・七・……・五・七・五・七」と音節を続ける形式の長歌(ちょうか)が多い。短歌は、長歌がごく短くなったものと見做せる。
奈良時代ごろから、長歌の最後を「五・七・七」の形式でまとめ、さらにその内容を五・七・五・七・七の型式でまとめた「反歌(はんか)」を付けることが一般的になった。
奈良時代にまとめられた日本最古の詩集である万葉集には、4500首以上の歌が載せられ、その大半が短歌である。当時、天皇から地方の庶民までもが短歌を詠んでいたことがわかる。
平安時代から室町時代ごろまでは、和文の詩と言えば短歌が一般的であった(漢文の詩では漢詩が知られていた)が、同時期に催馬楽、今様、甚句などさまざまな歌謡が作られており、これも詩ととらえることが可能である。ただしこのような歌謡は和歌には加えられなかった。
室町中期ごろになると、上の句と下の句を別の人が読みあう「連歌」が生まれた。このうち上の句が独立したものが俳句や川柳である。
明治以降も、御所歌派による題詠による作歌・風雅な趣向が主流だったが、正岡子規や与謝野鉄幹はこれを批判、自由と個性、浪漫を求める近代短歌が生まれる一方で、万葉への回帰を目指した短歌も誕生した。
短歌のうち、諧謔・皮肉・諷刺を折り込んだものを狂歌という。
関連イラスト
主に、「短歌を書いたもの」「短歌を基にした作品」「作品を基にした短歌」がある。