概要
最後に詠まれた歌が天平宝字3年(西暦759年)のものであるため、成立はそれ以降とみられる。
最終的編者は大伴家持と推定されている。
後世の古今和歌集・新古今和歌集などとは異なり、国家の公的な事業として編纂されたわけではないが、編纂には天皇も関与し、準勅選的な性格をもつ和歌集とみなされている。
天皇から下級官吏、さらには東国の庶民に果ては乞食に至るまで、幅広い階層の詠み手による和歌が広く採録されているのが、以後の和歌集とも異なる特徴である。
短歌だけでなく、長歌、旋頭歌、仏足石歌体のような、後世にはマイナー化した形式の歌も含んでいる。
当時としてはそれほど高尚な内容ではなく、現代で言う「Twitterまとめ」のような性質であった。
この和歌に漢字を当てたものに「究極萬葉集」が存在する。
例えばこれ
関連イラスト
万葉集の歌・歌人を題材にしたものだけではなく、万葉集的なイメージを借りたものもある。
関連タグ
令和…平成の次の元号。本歌集第五巻の「梅花の歌」三十二首の序文「時に、初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」を典拠とした。