『 三十六人撰 』はその後盛んに作られた三十六歌仙形式の秀歌撰の祖にあたり、『 中古三十六歌仙 』や『 女房三十六歌仙 』などの名称が後世にできた。
三十六人撰
藤原公任が編纂した歌合形式の秀歌撰で、彼自身が以前に編んだ「前十五番歌合」を発展させた「三十人撰」を具平親王が改撰し、再び公任が「三十六人撰」として増補改訂して完成させたとされる。
別名『三十六人歌合』とも呼ばれ、選んだ三十六人の歌人の中から二人ずつを組にして、計百五十首を結番している。
柿本人麻呂・紀貫之・凡河内躬恒・伊勢の巻頭四人、および平兼盛・中務の巻末二人は各十首、その他三十人は各三首を撰んでいる。
成立は、具平親王が亡くなった寛弘六年(西暦1009年)七月以後まもなくかと推測されている。
三十六歌仙
- 柿本人麻呂(人麿)
- 山部赤人
- 大伴家持
- 猿丸大夫
- 僧正遍昭(遍照)
- 在原業平
- 小野小町
- 藤原兼輔
- 紀貫之
- 凡河内躬恒
- 紀友則
- 壬生忠岑
- 伊勢
- 藤原興風
- 藤原敏行
- 源公忠
- 源宗于
- 素性法師
- 大中臣頼基
- 坂上是則
- 源重之
- 藤原朝忠
- 藤原敦忠
- 藤原元真
- 源信明
- 斎宮女御
- 藤原清正
- 藤原高光
- 小大君
- 中務
- 藤原仲文
- 清原元輔
- 大中臣能宣
- 源順
- 壬生忠見
- 平兼盛