在原業平
ありわらのなりひら
天長2年(825年)生まれ。父は平城天皇の第一皇子・阿保親王、母は桓武天皇の皇女・伊都内親王。血筋からすれば天皇家の嫡流ともいえるが、薬子の変により皇統が嵯峨天皇の子孫へ移っていたこともあり、天長3年(826年)臣籍降下して兄・行平らとともに在原氏を名乗る。
仁明天皇の蔵人となり、嘉祥2年(849年)従五位下に叙爵されるが、文徳天皇の代になると全く昇進が止まり不遇な時期を過ごした。
清和天皇のもとで再び昇進し、貞観4年(862年)従五位上に叙せられたのち、左兵衛権佐・左近衛権少将・右近衛権中将と武官を歴任、貞観15年(873年)には従四位下に昇叙される。
陽成朝でも順調に昇進し、元慶元年(877年)従四位上、元慶3年(879年)には蔵人頭に叙任された。また、文徳天皇の皇子・惟喬親王に仕え、和歌を奉りなどしている。
元慶4年(880年)5月28日卒去。享年56。
最終官位は蔵人頭従四位上行右近衛権中将兼美濃権守。
業平は『日本三代実録』に「体貌閑麗、放縦不拘」と記され、美男子の代名詞のようにいわれる。早くから『伊勢物語』の主人公の、いわゆる「昔男」と同一視されている。
ちなみに『伊勢物語』では、清和天皇女御でのち皇太后となった二条后(藤原高子)や、惟喬親王の妹である伊勢斎宮(恬子内親王)などとの禁忌の恋が語られている。
歌人としては『古今和歌集』の30首を始め、勅撰和歌集に87首が入集している。
子の棟梁・滋春、棟梁の子・元方はみな歌人として知られる。
鷹狩に執着した桓武天皇の子孫だけあり、兄・行平ともども鷹狩の名手であったと伝えられる。
一方で、学才はほとんど無かったともされる。
紀有常女(惟喬親王の従姉にあたる)を妻とし、紀氏と交流があった。
性豪伝説
生涯で3733人の女性と関係を持ったとされる。校長の12660人には届かないものの、当時でここまでヤッたことは特筆すべきだろう。
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