概要
平安時代に生きた女性貴族で、中古三十六歌仙に数えられる女流歌人。
20歳の時に橘道貞と結婚し、和泉(大阪)で娘の小式部内侍が生まれたが、二人は破局。次に冷泉天皇の皇子・為尊親王と、その死後に異母弟の敦道親王と恋に落ちた。
しかし、寛弘4年(1007年)に敦道親王も早世し、寛弘4年(1008年)頃から一条天皇の中宮・彰子のもとに女房として出仕。長和2年(1013年)頃、藤原道長の家人・藤原保昌と再婚し丹後へ移った。娘が万寿4年(1027年)に亡くなったが、この時の記録が和泉式部の生存の最後の記録である。
道長からは「浮かれ女」、紫式部からは「恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない」と言われ、恋愛遍歴を重ねた恋多き女性として伝えられ、情熱的な恋歌や叙情歌が多く、今も人気は高い。敦道親王との恋愛をつづった物語風古典日記
『和泉式部日記』は本人作かは不明だが、彼女の多くの詩が心情描写とともに織り込まれている。平たく言えば暴露本である。
小倉百人一首56番に
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな
が日記の中から選ばれている。