紫式部
むらさきしきぶ
正確にはムラサキシキブではあるのだが、漢字も作家の紫式部と同じ。シソ科ムラサキシキブ属落葉低木である。別名はミムラサキ。
なお、こちらをモチーフとした花騎士も存在し、2024年11月25日から登場する。→ムラサキシキブ(花騎士)
生没年不詳。平安時代中期の作家、歌人。日本最古の長編小説とされる『源氏物語』の作者。父は当時の大学者であり歌人・漢詩人でもある藤原為時。一条天皇の中宮藤原彰子に仕えた。
紫式部は女房名であり、本名(諱)は藤原香子であったとする説がよく知られているが、確実ではない。ちなみに、紫式部を主人公とした2024年の大河ドラマ『光る君へ』では“まひろ”という名前になっているが、当時の貴族女性の諱は"〇子"が普通なので、かなり型破りな設定である。
「紫式部」の呼び名は、「式部」が彼女の父(または兄)が式部省(現代でいうところの人事院に相当するお役所)に仕える官僚であったことに由来し、「紫」については当時の女房名としては類例がないので諸説あるが、最もよく知られているのは『源氏物語』の別称『紫のゆかり』に由来するというものである。つまり、「紫の上が出てくるお話を書いた、式部省のお役人の家柄の女性」という意味になる。当初は藤原氏出身ということで「藤式部(とうしきぶ)」という女房名であったようだ。
父が漢学を教えていた花山天皇が藤原兼家とその子息たちにより退位させられ、しばらく出世には恵まれなかったため、若い頃は不遇な時代を過ごす。聡明で漢学に明るかったが、当時は女性が学問(特に漢文)に長けている事は素直に称賛されるような環境ではなく、辛い思いもさせられたようだ。
長徳4(998)年ごろ、山城守・藤原宣孝と結婚する。当時の公卿にはよくあることだが宣孝も恋多き男で知られ、紫式部とは親子ほども年の差があった上、『枕草子』で派手好きの性向が揶揄されていることなどから、現代的な感覚で「紫式部からすると気の進まない結婚だったのではないか」という憶測がささやかれることがあるが、紫式部は夫が他にも通う女性がいることは承知の上で結婚したのであり、地味な紫式部と派手な宣孝では性格が違いすぎる(から不仲だったのだろう)というのも偏見に過ぎない。宣孝との間には一人娘の藤原賢子(のちの大弐三位)を儲けるが、まもなく宣孝は世を去る。この時の紫式部の心境は「見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦」の歌に詠まれた。
このころから『源氏物語』を書きはじめ、これが宮中で評判になったことで寛弘2〜3(1006〜1007)年ごろに中宮・彰子の女房として取り立てられ、宮仕えを始めた。ただし、式部と言う名が父・為時に由来するとすれば、長徳2(996)年に為時が越前守に任命される前に付けられたとも考えられ(同年以降に仕えたならば「越前」にちなんだ女房名になるとする考えから)、早い時期(結婚前)に彰子の両親である藤原道長もしくは源倫子に仕えていた時期があるのではないかと推測する研究者もいる。しかし、紫式部は女房としての初出勤時に誰も話しかけてくれないという理由で家に逃げ帰って5ヶ月ほどひきこもったことがあり、このナイーブすぎる反応から見るに、それまで出仕経験が全くなかったのではないかとも思われる。紫式部は宮仕えの最初から女房の中でも上席待遇を受けていた(おそらく紫式部の文才を買っていた道長の評価による)が、このために古株の女房たちから毛嫌いされており、新人時代は前途多難だった。彰子の敦成親王出産時には記録係を仰せつかり、出産時の彰子や道長、女房たちの様子を克明に書き残している(『紫式部日記』)。しかし、『紫式部日記』の中でも後年に書かれた記事からは、宮中を襲った強盗に対処したり、引っ込み思案な上臈女房たちを叱咤する記述もあり、女房として経験を積んで自信をつけていった様子がうかがわれる。
藤原実資の日記『小右記』にも「為時女」(ためときのむすめ)として度々登場し、彰子・道長との連絡を取り次ぐなど、『源氏物語』『紫式部日記』を書き上げた後も彰子付き女房の筆頭として長く活躍していたようだ。かつては、確実な足跡が途絶える長和年間(1012年〜1016年)に紫式部も没していたという見解が多かったが、近年では道長没後の長元年間(1028年〜1037年)まで生きていたという見解が多い。宮仕えを退いた後の彼女の足取りは明らかではないが、『源氏物語』作者としての評判が高く、娘の大弐三位が親仁親王(のちの後冷泉天皇)乳母、従三位典侍などとして出世を遂げたことから、平穏な晩年を送ったのであろうと想像される。
『紫式部日記』では宮仕えの先輩である赤染衛門のことを尊敬し褒めて書いていたり、後輩の和泉式部に関しては私生活には問題あるが、和歌の才能は素晴らしいと少々皮肉めいたことを書いている。清少納言の事を歓迎しない記述があることから、清少納言とライバル関係にあったという風評があるが、実際は紫式部が宮仕えを始めたのは清少納言が退職した何年も後であり、二人は顔を合わせたことがないと思われる(紫式部が結婚前に一度宮仕えをした経験があるという説を取るなら、二人が勤めた期間は重なりうる)。
「生涯」の項にあるとおり、女性が漢籍などの知識を身に着けることは普通ではないと思われていた時代の人物であり、一条天皇が『源氏物語』を人に読んでお聞きになっている時「『日本書紀』を良く読んでいる、この作者は本当に学識がある人だね」と称賛した。それを聞いた他の女房が何の根拠もなく「紫式部は学識を鼻にかけている」と殿上人に言いふらした。そのせいで「日本紀の御局(にほんぎのみつぼね、日本書紀の女官の意)」とあだ名をつけられ「実家にいたころは漢字の『一』も書けないふりをしていたのに」と居たたまれない思いをさせられている。
彰子は、漢文好きな一条天皇と心を通じ合わせようと、こっそり漢詩を紫式部から習っていた(父道長も母倫子も知っていた)。『紫式部日記』では彰子の事を「わかくうつくしげなり」(幼く、かわいらしい)と形容し、「あまりにも遠慮なさりすぎる」としつつも、「辛い世の慰めにこのような人を探すだしてでもお仕えすべき」と称賛している。
上記の『光る君へ』では道長と恋愛関係にあったという設定だが、紫式部は道長の愛妾だったという説は昔からあった。『紫式部日記』には道長が冗談めかして艶っぽい歌を贈るくだりがあるが、紫式部はこれをするりとかわしており、両者はあくまでも主従関係であって男女の関係からは一線を引いていたと考えるのが無難と思われる。一方、道長の長男の藤原頼通に対しては、紫式部ら年上の女房達と恋の話をしっとりと語る有様を「お年のわりに大人っぽい」と持ち上げ、「美しい方が大勢のところに長居したら、噂されてしまいますから」という意味合いを込めた歌の一節を口ずさんで席を離れた、頼通の貴公子らしい心遣いを「まるで物語の男君のよう」とおだてている。
有職故実の専門家で当代一流の学者という評判が高かった藤原実資は、時の権力を独占した道長・頼通父子に批判的なのだが、彼の日記『小右記』の記事では、度々紫式部に道長・彰子への取り次ぎ役を頼んでおり、紫式部のことを聡明で有能な女房として信頼していたことが分かる。
娘の大弐三位も歌人として知られる。母について若いころから宮廷に出入りしていたが、明るく屈託のない人柄で多くの公達に愛され、貴族の女性として位人臣を極める幸福な一生を送った。彼女を通じてその血筋は高階氏に続き、藤原摂関家や平家(平重盛以降の子孫)、皇室とも関わることとなる。
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