この想い 1000年前も 1000年後も
概要
2024年1月7日〜12月15日に掛けて放送された通算63作目に当たるNHK大河ドラマ。
制作発表は2022年5月11日に行われ、主演を大河ドラマ初出演となる吉高由里子、脚本を『功名が辻』(2006年)以来となる大石静であることが併せて発表された。その後も出演者などについては段階的に発表されており、2023年2月21日の発表の際には、音楽を冬野ユミが担当することも併せて発表されている。
クランクインは2023年5月28日に、京都市の平安神宮にて行われた。
主人公は紫式部、千年の時を超えるベストセラー『源氏物語』を書きあげた女性。「光源氏」の恋愛ストーリーの原動力は秘めた情熱と想像力、そしてひとりの男性への想い。その男性の名は時の権力者・藤原道長。変わりゆく世を自らの才能と努力で生き抜いた女性の愛の物語を描く。
舞台と作風
大河ドラマで、所謂源平期を含まない平安時代を舞台とした作品は11世紀後半を舞台とした『炎立つ』(第2部、1993年)以来であり、『風と雲と虹と』(1976年)で描かれた10世紀前半に次いで、歴代でも2番目に古い年代となる10世紀後半から11世紀初頭を、本作では扱う形となる。
制作発表の当初、女性が主人公であることに加え、前述の通り文化人でもあることから、雅やかな平安時代をイメージする視聴者もいた一方、昨今の研究の進展から明らかにされつつある、どちらかといえば不穏さや殺伐な印象を受ける平安時代の実態や、近年の大河ドラマが最新研究を積極的に取り入れる傾向であることを踏まえ、それとは対照的な路線で行くのではないかと予想する向きも相応に見られた。
実際、大石も番組開始前のコメントの中で、大河ドラマの醍醐味の一つに「戦に至る過程や駆け引き」がありながらも、平安時代は基本的に大きな戦がないと前置きした上で、書籍や時代考証とのやり取りから、同族内での激しい権力闘争や、平和そうに見えつつも裏で権謀術策が渦巻くところも押し出していければといった旨や(参考リンク)、「『華麗なる一族』と『ゴッドファーザー』を足して3倍にしたくらいの面白い話がある」と語っている。
そうした志向性は、実際の作品内容にも大いに反映されており、初回から暴力と陰謀が渦巻くドロドロ模様が描かれる様は視聴者にも、「3年連続で「修羅の道」を行くのか」といった反応を呼び起こす格好となったが、道長が左大臣に就任した頃からその予想が現実になりつつある。
更に、大石は本作のテーマを「セックス&バイオレンス」としている通り、主人公・まひろと道長の激しいラブシーンや花山天皇と忯子の緊縛プレイ、一条天皇と定子の床入りが示唆されるなど日曜のゴールデンタイムとは思えない描写も多い。
以上のことから、平安貴族の物騒な実態を描く繁田信一氏著書の『殴り合う貴族たち』の内容を思い出した視聴者も多い。尚、この著書に出てくる物騒な実態を知る史料として藤原実資の『小右記』が引用されている。
登場人物
主人公とその家族
主人公。のちに「源氏物語」を書き上げることになる女性。
弟とは対照的に学問に興味を持ち、10歳に満たない時点で『史記』の一節を諳んじるなど、早くも才媛としての片鱗を見せる。貧しいながらも家族とともに幸せに暮らしていたが、三郎(道長)との互いに素性を隠したままの出会いや、母との突然の別れを経て、その運命も大きく変化していくこととなる。
15で裳着(※)を済ませてからは、かつての悲惨な出来事を忘れようと父に内密で代筆業を手掛けており、その中で自分らしい生き方を見出していたが、このことや母の死に際しての出来事も含め、為時とはしばしばぶつかり合う状態が続いていた。しかし、第4回で花山天皇の御前で舞姫の一人として五節の舞を披露した際に母の仇が右大臣・藤原兼家の次男・道兼であることを知り父と和解する。
為時の指示(この時点では兼家に仕えていた)で源左大臣家に出入りするようになり、源倫子など上流貴族の女性と関わりをもつようになる。更には、道隆主催の漢詩の会にも為時とともに参加、そこでもう一人の才女・ききょう(後の清少納言)と出会う。
道長とは恋の歌や漢詩をやり取りする仲となり、第9回では鳥辺野で息絶えた直秀らの埋葬を共に行う。そして、第10回では道長との激しいラブシーンが描かれた。しかし、道長は妾としての求婚を申し出たために、「北の方でないと嫌だ」と拒絶、「私は私らしく、自分の生まれてきた意味を探して参ります」と言い残し関係に終止符が打たれることとなる。
家が困窮していく中で従者が次々と去っていく中で畑仕事などの家事を行うようになり、また貧しい庶民が不利益を被ることを少しでも減らすために、たねという小さな子供に読み書きを教える。しかし、第14回でたねが家事を手伝わされる状況を突き付けられ、更にその父親から「俺たちはあんたらの慰み者じゃねえ」と吐き捨てられる。
第15回ではさわと石山寺に参詣。その際に藤原寧子とその子・道綱と出会い歓談、作家としての活動のきっかけとなる。しかし、参詣中のある出来事がきっかけでさわに距離を置かれ音信不通となるが、第17回で和解することができた。
第16回では都中で疫病が蔓延、たねから「父母が悲田院から帰ってこない」と聞かされ悲田院に向かう。既にたねの父母は亡くなっており、まひろの看病も空しくたねもこの世を去る。更にはまひろも感染してしまい、偶然視察に来ていた道長に助けられ夜通し看病を受ける。その甲斐あって回復した。なお、道長が看病していたことは乙丸に教えられるまで知らなかった(気を失う前に道長の気配がしたことは覚えていた)。
第18回では道兼の訃報を聞くと、母の仇であるにもかかわらず「あの方のお罪も無念も全て天に昇って消えますように」と願っていた。その後、清少納言から道長と伊周の権力闘争について聞かされ、道長が不人気であると知る。そして、かつて道長と逢瀬を重ねた廃屋にて道長と再会するが、「でも今語る言葉は何もない」と、一言も話すことなく立ち去った。
第19回では清少納言の計らいで定子と一条帝に謁見、「身分に関係なく能力に応じて地位を獲得できる社会を作ることが夢」と語った。その後、為時が従五位下に昇進したと知る。
第20回では宣孝から、学生時代に為時が宋に渡ろうとして失敗した話を聞く。その後為時に代わり国替えを要求する申し文を帝に奏上、当初の淡路守から越前守に変更される。更にその後、清少納言の頼みで伊周らの屋敷に潜入した際に定子が髪を下ろすのを目撃する。その後第21回にて少納言の『枕草子』執筆に示唆を与える。その後、為時に従い越前に下向するが、出発前日に道長と再会、かつて彼の誘いを断ったことを後悔する発言をしている。
第22回では為時と共に松原客館にて宋人のもてなしを受け、海辺で周明と出会う。その後、越前国府に入るが、為時に対する役人らの嫌がらせに苦心する。
第23回では周明から宋の言葉を教わるなど交流を深める。一方で、越前を訪れた宣孝をもてなすが、帰り際に求婚された。
第24回では周明の思惑を見抜き、道長への書状を書くよう脅されても毅然としていた。その後、為時に宣孝からの求婚を受けることを報告した。
第25回で都に戻り、約束通り宣孝に嫁ぐ。基本的には宣孝に惚れているが、宣孝が(露悪的に)道長に結婚を報告したことを知ると声を荒らげていた。続く第26回でも宣孝と仲睦まじくしていたが、次第に彼との価値観の相違(食事を貰いにきた孤児に宣孝が「汚らわしい」と言う、まひろとの文を他の女性に見せるなど)がみられるようになり、更には道長とまひろの関係を嘲笑されたことで灰を宣孝に投げつけた(因みに、紫式部と宣孝の夫婦喧嘩は史実とされており、やりとりした文も後世に伝わっている)。その後、乙丸やいと達と石山寺に参詣するが、そこで道長と偶然再会。第27回で一夜を共にする。その後、妊娠が発覚するが、状況(妊娠した時期は宣孝の足がまひろから遠のいていた頃である)から考えてその子は道長との子である可能性が高い。そのため、最初は彼女一人で子育てをするつもりだったが、宣孝の説得もあり最終的に彼の協力を受けることに決める。そして同回終盤で女児を出産した。
(※ 当時における女性の通過儀礼の一つで、男性で言うところの元服に相当。儀式の際には成人女性の正装である「裳」を着け髪を上げることにより、初めて成人したものとして看做される)
幼少期を演じた落井は、『鎌倉殿の13人』で源頼朝と北条政子の娘である大姫を演じている。
まひろの父。
博識だが、官人の役職に就くことができないでいるため、生活は非常に困窮を極めている。藤原兼家の口利きで、東宮(師貞親王、のちの花山天皇)の家庭教師に命ぜられる。
本人は役職に就くことには意欲的だが、一方では口利きなどに嫌悪感を示してチャンスを逃していることもあり、親戚の藤原宣孝から「なまじ学があるだけ始末が悪い」と呆れられている。
ちやは亡き後もなお官職には恵まれず、また跡取りである太郎の勉学への身の入らなさにも頭を痛める日々を送っている。
また、ちやはが亡くなった際のある言動が原因で、まひろとの仲はお世辞にも良好とは言えず、自身も宣孝に対して「この家は居心地が悪い」とぼやいてみせてもいる。その一方で、左大臣家の動向を探りたい兼家に、「お役に立てるやも知れませぬ」とまひろを間者とすることでその動向を報告、更に花山天皇即位後は式部丞に任官される。
しかし、第6回でまひろが事件の真相を知った後は「左大臣家の会合には行かなくてもよい」と気遣って和解した。その際、「お前が男であったなら」と漏らしている。その後、兼家の間者を断っている。
花山天皇の退位後は権力を握った兼家の不興を買い散位(官職を持たない状態)となる。その頃、妾となっていたなつめ(「高倉の女」)を看病し、彼女の最後を看取る。その際、彼女の娘・さわとまひろが友人となるきっかけとなる。
第16回では、疫病に罹患したまひろを連れてきた道長にやや困惑した様子を浮かべる。その後、第17回では道長のまひろを見る目が尋常でなかったと語っている。
第18回では、道兼の死去について、「さぞや…無念であったろう」と妻の仇であるにもかかわらず、その死を悼んでいた。
第19回では、これまで無位無官であったことから今度の除目を最後に引退を考えたが、道長の計らいで従五位下に昇進、更に第20回にて淡路守に任官される。その後、まひろが自らに代わり帝に申し文を奏上したことで越前守に就任(当時越前には多くの宋人が来日しており、まひろは宋の言葉が分かる為時が適任と考えていた)、まひろと道長の関係について「何も知らずに任国に赴くことはできぬ」と真相を尋ねた。
なお同回では宣孝が「為時は学生時代に宋に渡ろうとしたが、乗り込んだ船で身ぐるみ剥がされ命からがら帰ってきた」というエピソードを語っている。
越前守になってからは現地の不正や賄賂を拒否したことによる嫌がらせを受けるなどして苦労しており自身の裁量の範囲を上回る事件に巻き込まれるなどして道長に知らせを送っている。また、慣れぬ仕事に追われ体調を崩してしまうが、周明の治療を受け回復した(その際、鍼を打たれ妙な呻き声を上げていた)。
第24回では、まひろが宣孝のプロポーズを承諾したことを聞かされ腰を抜かしてしまう。その後、第25回では先んじて都に戻るまひろを気遣った言葉をかける。
最終回では未だ健康そうであり、すでに亡くなっている惟規を探しまわるいとを思いやってまひろと「今日は仕事は休みだ」と口裏を合わせている。
まひろと宣孝の娘。実父は道長である。祖父や周囲の人間からはにかわいがられている。
教育に力を入れ文章の執筆に忙しく自身をあまり相手にしない母に反発し文章を燃やしてしまう。
母譲りの文才を買われて宮中に出仕、太閤・藤原道長の次男であり、関白・藤原頼通の異母弟・頼宗をはじめとする貴族たちと浮名を流しはじめる。
ちなみに成人後の賢子を演じる南は『鎌倉殿の13人』成人後の大姫を演じている。
- ちやは(演:国仲涼子)
まひろの母。夫の官人への就任のため、毎日欠かさず願掛けをしている。苦しい身の上ながらも夫を支え、まひろからも深く慕われていたが、念願叶って為時が職に就いたその矢先に、思いもよらぬ形で命を落とすこととなってしまう。
まひろの弟。
勉学に興味がない様子で、父親の漢文の朗読にはほとんど耳を傾けておらず、乳母のいとと遊んでいる。長じてからもなおそうした部分は治っていないようで、為時からの叱責に対しても「賢さを姉上が全部持っていってしまったので」と屈託なく返している。
まひろとの姉弟仲は良好で、姉が三郎を探すときに描いたお世辞にも似ているとは言えない絵に対し「歌は上手いけど絵は下手だな」と軽口を叩きつつ辻に繰り出してその絵を元に真剣に探していたりしている。
第5回ではまひろが眠ったまま起きなくなった(実際は寝たふり)際にいとが水垢離を始めるが、止めさせようとした際に誤って水を被ってしまった。
第6回では為時に漢詩の会に出席するよう命じられるが拒否していた。
第9回にて大学寮に入るために家を出る。その後も偶に家に帰っており、失恋したまひろを慰めることもあった。
第15回では擬文章生となったことを家族に報告する。
第18回では文章生の採用試験に自信があると語っていたが、為時からは「何度聞いたことやら…」と言われており、何度も試験に落ちていることが分かる。
第20回では淡路守に任官した為時に祝辞を述べていた。
第26回では、宣孝が他の女性と会っていたことをまひろに伝えるが、その際「それでもあのお方は姉上を手放さない」とも言っていた。
- 乙丸(演:矢部太郎)
まひろの従者。
腕っぷしは弱いが、身を挺してまひろを守ろうと奔走する。気弱だがまひろに対する忠誠心は厚い。
第17回ではまひろに道長が看病していたことを伝えた。
ちやはが殺されたとき何もできなかったことを悔やんでおり妻を持たずまひろを守っていくと決めていたが、越前で海女をしていた女性・きぬを見初め妻にしており、以降仲睦まじい夫婦となっている。
第47回では、まひろとともに大宰府に赴くが、刀伊の入寇の惨状を目の当たりにし、まひろに「お方様と帰りたい!会いたい!きぬに会いたい!」と初めてまひろに「わがまま」を言って大宰府を離れて京に一緒に帰るよう説得した。
最終回にもすっかり年老いて白髪になった姿で登場し、まひろに同行することをせがみ、ともに旅に出た。なお、この時小さな仏像が乙丸の傍らにあり、その顔はきぬに似せて作られていることと、一切きぬの影も形もなく、年若い娘が下女として働いている様子から、おそらくすでにきぬには先立たれていると思われる。
- いと(演:信川清順)
太郎(惟規)の乳母。
為時が官職を解かれたことで家が困窮していく状況に耐えられず、第14回では暇乞いをする程だったが、兼家の死を喜んでいる様子が見られた。第16回ではまひろと道長の関係について、何かを察するかのような表情を浮かべており、第17回では二人が深い関係であると見抜いていた。
第25回では福丸を夫に持ったことをまひろに報告した。曰く、「自分の言うことを何でも聞く」男だというが、第26回ではいと曰く「災害時に我先に逃げ出した」とのこと。その後、宣孝と夫婦喧嘩中のまひろに「思いを頂くばかり、己を貫くばかりでは誰とも寄り添えない」と励ました。
第27回では身籠ったまひろの言動から事情を察するが、宣孝には秘密にすることを勧める。
まひろの父・為時の親類の公家。年齢としては為時の方に近く、まひろから見れば「やや遠い親戚のおじさん」といった間柄である。
プレイボーイなのか、「今夜はどちらの女子のもとへ?」とまひろに訊ねられており、これには宣孝も「其方は大人のようなことを言う」と苦笑を禁じ得なかった。後にまひろが裳着を迎えた際には、彼女に裳を着せる「腰結」の役目を務めた。また、その際為時への恨み言を言い募る彼女に「(相手の素性を)分からぬなら黙っておれ」と忠告していた。
第4話では、自身を間者に仕立て上げた父親の真意を理解しつつも、そのことが父からの人間の在り方についての「常に正直であるべきだ」という教えに矛盾していることに悩んでいるまひろを優しく慰めた。
しかし、為時が兼家の間者を辞めたと聞かされ、さらにまひろがそのことを喜ぶ様子を見せた際には、父子の政治力のなさに呆れ返っていた。案の定花山天皇の退位後は為時は散位となり、まひろの縁談を薦めるなどしているが、本腰を入れていない様子も多分に見受けられ、後に「怒り顔が愛らしい」などとまひろの容姿や仕草を相当気に入っているようで…。
その後、宣孝は大宰府に赴任していたが第18回にて帰京、まひろに土産として唐物の紅を与えた。
第20回ではまひろに為時の学生時代についてのエピソードを語る。
第23回では越前を訪れ、遂にまひろに求婚する。因みに宣孝は為時に越前に行くことを手紙で知らせていたが、父子共々全くあてにしていなかった。
第24回でまひろがまだ心の内にかつての思い人について忘れられない事を話すと「それを含めてお前」とし受け入れようとしている。
第25話では山城守に任官。まひろとの婚姻に機嫌を良くしている様子が見られ、まひろとの関係を知らずにその事を道長に報告した(が、その際の態度や宣孝と道長には面識があることから、2人の関係を見抜いている節もみられる)。そのため、視聴者からは「性格悪い」「気色悪い」「(演者が)蔵之介氏でなければ許されない」など散々な意見が寄せられる羽目になった。
第26回では次第にまひろとの間で価値観の相違(民に冷淡だったりする所等)が見られるようになり、まひろと道長の関係をやはり見抜いていたのか、そのことを揶揄して彼女から灰を投げつけられた。
第27話ではまひろの妊娠を知る。それが道長との子であることも薄々気づいているが「自らの出世につながる」として前向きに受け止めている。
また睡眠時無呼吸症候群であることを示唆されている。
放映に先立ち公開されたドキュメンタリー「50ボイス」にて、演者の佐々木が語ったところによると、「派手好き(※)」「だからもみあげにこだわってます」とのことである。また、佐々木の実家が京都の造り酒屋(佐々木酒造)であることから、作中で為時の元に酒を持って訪ねてきたくだりを見た視聴者からは、これと絡めた反応も少なからず飛び出す格好となった。
(※ 史実の宣孝が派手好きなのは「枕草子」にも書き残されている。)
蔵之介氏は2020年にテレビ朝日で放送されたドラマ『陰陽師』で安倍晴明を演じている。さらに同年の大河ドラマ『麒麟がくる』の羽柴秀吉だったため派手好きという面でも秀吉と通じるものがあると言われた。さらに言えば岸谷氏も2011年の『江〜姫たちの戦国〜』で秀吉役だったためダブル秀吉と言われたりした。
摂関家藤原氏
藤原道長とその家族たち
藤原兼家の五男(正室の息子としては三男)。実質的に本作におけるもう一人の主人公。
マイペースでぼんやりとした性格だが、嫁ぎ先の円融天皇の人柄を知らず不安になっている姉の詮子を安心させるため、足で自分の名前を書く芸を披露したり、東三条殿では退屈している幼子(道隆夫妻が連れていたことから、後の伊周と思われる)と遊んであげたりするなど、穏やかで優しい性格である。
庶民の生活に興味を持っており、従者の百舌彦とともに散楽を見に出かけることもしばしばである。まひろとの出会いもその中での出来事であり、後に元服し右兵衛権佐となってからも、6年ぶりに再会したまひろと度々接点を持つこととなる。字は(現代の水準で見ても)非常に下手。
昔から「怒るのは好きではない」と話していたが第5回にてまひろの過去を知った時には、道兼に対して「虫けらはお前だ」と激怒し殴ったが、直後に道兼から「おまえだけ穢れてないと思うなよ」と言われ、言葉を返すことができなかった。その後、義懐一派が公任らの懐柔を行っていることを道隆に報告した。
直秀が東三条殿に盗みに入ったことで獄に繋がれた際は、役人に手を回して釈放されるよう図らったが、程なく無惨な顛末を突き付けられることとなる。その後、まひろを駆け落ちに誘うが、「直秀のような悲劇を無くして欲しい」と懇願される。第13回では国司の横暴に苦しむ百姓の訴えによく耳を傾けるべきだと進言する。しかし、第14回で兼家の後を継いだ道隆に民思いの姿勢を一蹴され、不信感を強める。
第15回では伊周と弓比べを行うが、本気になり道隆・伊周の面目を失わせてしまう。その後、義父・雅信の最期を看取った。
第16回では疫病が蔓延する中で対策を講じるが道隆には軽くあしらわれてしまう。その後道兼と悲田院の視察に向かうが偶然まひろと災害、感染した彼女を一晩中看病するが、倫子には疑いの目で見られており、第17回では「内裏で朝まで仕事をしていた」とごまかしていた。
道隆主催の漢詩の会ではまひろを想う詩を吟じた上に、彼女に和歌を贈るなど、明らかに彼女を意識している様子が見て取れる。それゆえか、姉の詮子から倫子に婿入りするという提案をされた際にははっきりしない返事をする。そして第10回ではまひろとの激しいラブシーンが描かれる。しかし、妾としての誘いを断った彼女と別れ、倫子を嫡妻、明子を次妻として迎える。
第18回では、関白となった道兼を支えることを誓うが、その道兼は疫病で死去。伊周を差し置いて右大臣に就任し、当時の公卿の中では最高位となる(当時、道長・伊周を除く大納言以上の公卿は全員死去している)。なお、自身は「関白になるつもりはない」「存分に動ける場に留まりたい」と出世を望んでいなかった。
第19回でも陣定に出られないことから関白への就任を考えていなかったが、陣定の後で伊周に絡まれ対立は避けられなくなる。その中で、まひろが帝に謁見の上で意見を述べたことを聞き、為時の昇進に奔走する。
第20回では更に為時の申し文から越前守に就任させる(本来の越前守である源国盛を不安視したのも理由)が、その筆跡からまひろが成りすましたものと気づく。その後、長徳の変を引き起こした伊周・隆家には寛大な処分を検討するが、詮子及び自身への呪詛が発覚。流石に庇いきれなくなり、両者の左遷が決定する。
第21回では左大臣に就任、為時に宋人に関する密命を与える。越前に出発する前日にまひろに上記の追放による工作を自らがやったように振舞うがあっさりバレて結局「自分がやったようなもの」と発言した。
第22回では為時の報告を受け宋人の対応を協議するが、「地方のことは地方でやるように」とだけ返答する。また、定子を宮中に戻そうとする帝を制止する。
第23回では、詮子に「私は妻が二人おりますが、心は違う女を求めています」と語っていた。
第24回では一条帝の意向を受けて伊周・隆家兄弟への恩赦を決定し、また定子を職御曹司(皇后関連の事務所)に移すことを認めた。
左大臣に就任した辺りから、行成に一条帝の監視を命じるだけでなく、政敵となりうる他の貴族の動向にも目を配るなど、父・兼家譲りの最高権力者の猜疑心が芽生えつつある。
第25回では災害への対処に頭を悩ませ一条帝に三度も辞表を書いて恫喝するなか、まひろが宣孝と結婚する話を聞いて動揺してしまった。
第26回では、「帝と宮中を清める」ことを名目に彰子を一条帝に入内させること、更には入内の日を定子が出産する日と同日にすることを決断、実資や公任ら公卿の前で彰子の裳着を敢行する。その後、石山寺を参詣するが、そこでまひろと再会。第27回にて一夜を共に過ごした結果、まひろとの間に子を設けることとなる。
その後、彰子の入内を進め、更には中宮にすることを画策する。
道長の長女。一条天皇の中宮として入内、藤原定子と天皇の寵愛を競いあう。
第16回時点では、道長は「この子は入内には向かない」と語っていたが、第26回にて道長が彼女を一条帝に入内させることを決意、裳着の儀を受ける。
第27回にて女御として入内、更には道長により中宮への立后も計画される。
入内前は意志薄弱で道長の問いかけにも「仰せのままに」としか返さないほど無口だったが…?
最終回では一族の繁栄のために父と同じ権力の道へと進んでいってしまって行った。
道長の長男。幼名は田鶴。
第26回では姉と違い、生意気盛りで年相応な姿が見られる。
左大臣・源雅信の娘で後に道長の正妻となる。
左大臣家での歌合に出席したまひろと出会い、その博識さを称賛するが、第4回でまひろが宮中を批判する発言をした際にはこれを咎めている。その後、五節舞の舞姫の候補に挙がるが、花山天皇の評判を嫌いまひろに舞姫を引き受けるよう懇願する。
第5回ではまひろが当日の舞踊の後に倒れたことを耳にし、心配する素振りを見せた。第6回では「読書は苦手」と明かし、まひろには「苦手は苦手、ということでいきましょうか」と気遣う様子を見せていた。
打毬の試合を見て道長を気に入っており、庚申待の夜を経て彼の北の方となる。しかし、道長が漢詩のやり取りをしていたことを不審に思い、更には第16回でまひろを夜通し看病していたために朝帰りした道長に「別に女がいる」と疑いの目を向ける。
第18回では、道長を関白に据えようとする詮子に「今の地位で十分」と言っていたものの、道長が右大臣に昇進したことを受けて、穆子と「(道長が)政権の頂に立ったのと同じ」と喜んでいた。
第19回では、穆子から大臣の妻としての心得を教わる。
第20回では、道長に詮子の体調不良を伝えているが、後にそれが呪詛であると発覚。内内で対処したいと道長に伝えていたが、第21回にてそれが詮子の陰謀だったことを暗に語っていた。
第23回では、新しい女御に興味を示さない一条帝のために音楽の会を催すことを道長に提案する。
第26回では彰子の入内を画策する道長に強く反発するが、穆子の助言もあり承諾。「気弱なあの子が力強き皇后となれるよう、私も命を懸けます」と語った。
第27回では彰子入内の調度品として公卿の和歌を掲載した屏風を作成するという道長の提案に賛同、彰子に話し方の訓練も行う。
第47話でまひろを呼び出し道長との関係に気づいていたことを話す。最終話では道長とまひろの関係が幼少期からくるものだと知って驚いた。病で先が長くない道長の為にまひろを呼び出す。
道長の次妻。父を失脚に追い込んだ藤原一族を恨んでおり、氏長者となった兼家を呪詛の末、死に至らしめるが、呪いが帰ってきたせいか、道長の子を流産する。
第17回では、兄・俊賢に最近道長が訪ねてこないと語っていた。
第18回では、俊賢から道長への売り込みを図るよう頼まれていたが、「いい所がない」と辛辣に返していた。
第22回では、道長に藤原一族への恨みが消えたと話した上で「明子なしには生きられぬと言わせてみせる」と押し倒させた。
藤原師輔の三男で、伊尹や兼通の弟(※)。道隆・道綱・道兼・詮子・道長の父。
右大臣という立場にあるものの、第1回の時点では従兄の頼忠の後塵を拝する格好となっており、娘を円融天皇に嫁がせることで巻き返しを図らんと画策している。
凶事さえも捻じ曲げて利用し、安倍晴明に呪詛を依頼する他、任官を望んでいた藤原為時を円融天皇の甥の東宮(師貞親王、のちの花山天皇)の家庭教師に就かせ、天皇周辺のウラ情報を得ようとするなど、自家の繁栄のためならばあらゆる手を使うことも厭わない。そうした姿勢は自らの息子に対しても例外ではなく、特に道兼に対しては例の事件を引き合いに「穢れ役に徹すること」、具体的には円融天皇に「死なない程度の」毒を盛ることを指示する。
自分と同じ三男の道長については期待しているようで、彼がまひろの一件で道兼に激怒し烏帽子が落ちるほど強く殴りかかった際には彼が内に秘めていた激情を見て(貴族にとって烏帽子が落とされるのは恥辱であるにもかかわらず)機嫌をよくした。
政敵とみなしている関白・藤原頼忠に対抗するため左大臣・源雅信の娘・倫子を道長に娶せることを画策する。その後、自らの意に沿わない花山天皇の退位を計画するようになる。
第8回では宮中にて突然意識不明となるが、後に芝居だったことが判明。道兼を花山天皇に接近させ籠絡し、遂に第10回で出家・退位に成功する。
第11回にて一条天皇の摂政(のち関白)に就任し、まひろによる為時の復職要求も一蹴する。しかし、第13回で前後不覚に陥り、第14回にて道隆を後継に指名した後に死去した。
上述のように、権力を握るためにはなりふり構わない一方で、巧みな根回しにより味方を増やしたり政には真摯であったりとバランス感覚に優れ政治家としての能力も高い人物として描かれていた。また、第13回にて病に倒れた後に一時正気を取り戻す場面があるが、その際兼家は道長に「家の存続こそ我が使命」「その考えを受け継ぐ者が後継者」と真意を語っていた。
なお、2016年の『真田丸』では道兼役の玉置氏が織田信忠で段田氏が滝川一益(1996年の『秀吉』から再演)だったため一部視聴者からは「主従逆転」とネタにされた。
(※ いずれも物語開始時点では故人。このうち、兼通とは長兄・伊尹亡き後対立関係にあり、結局言及はほぼなされなかったが作中当初における兼家の政治的不利な立場もまた、このことが尾を引いているという面がある)
- 時姫(演:三石琴乃)
兼家の正室で、道隆・道兼・詮子・道長の母。
温厚な性格で、兄弟を分け隔てなく愛情をこめて育てているが、道兼が自らのストレスを三郎や下人へぶつけ、「身分の低いものに私が八つ当たりして気が晴れるならそれでいい」とあまりにも身勝手な持論を述べた際には激高していた。
同時代の史料に残る記載から、道長の元服とほぼ同時期に他界したと見られるが、初回と第2回の間の出来事であるため、逝去についてもナレーションで語られるのみに留められた。
兼家の側室。「蜻蛉日記」の著者・藤原道綱母(藤原倫寧の娘)。道綱が後継者となるよう常に夫に頼み込み、それは兼家が悪夢におびえているときも同じスタンスを取り続け、慰めつつも道綱を後継者とするよう揺さぶりをかけていた。
第14回では兼家も『蜻蛉日記』を読んでいたと判明、寧子の歌(後世に『小倉百人一首』第53首に選ばれた歌と思われる)を高く評価していた。
第15回では石山寺にてまひろと出会い、「心と身体は裏腹」であり「書くことで妾の痛みを癒してきた」と語る。そしてそのことがまひろの創作活動のきっかけとなる。
兼家の次男(庶子であるため、立場としては道兼、道長の下に置かれる)。母は寧子。
明るく陽気な性格として描かれており、父である兼家から「道隆達三兄弟と同じだとは思うなよ、大層な野望を描かなければ良いことがある」と言われても明るく返している。
記録通りあまり才覚に恵まれているとは言い難いが、自身の能力や立ち位置から来る限界を悟っている様な言動もあり、そういう意味では分を弁えた人物。
第15回では母と石山寺に参詣、その際まひろに夜這いをかけるがさわと間違えてしまい(しかも名前を「さと」と間違えていた)、彼女を絶望させてしまう。更に、続く第16回でそのことを道長に話していた(当然ながら、道長はかなり引きつった表情を浮かべていた)。
第20回では、伊周に代わり中納言に就任する。以降も陣定に参加するが、第22回では公卿の発言に対し「だよね」などと適当に相槌を打っていた。
第26回では、彰子の裳着の儀に招待され、他の公卿が怪訝な表情を浮かべる中で唯一、姪の成長を喜んでいた。
兼家の次女。
自家の繁栄を確たるものとしたい父の意向により、円融天皇の元に女御として入内するが、その日に都に起きた凶事によって不吉な噂を立てられるなど、その立場は安定したものとは言い難い。実際に親王を産みながらも、その後は政治的な思惑もあり寵愛を失ってしまっており、かつてのように花や歌を送ったものの天皇からは「汚らわしい」と一蹴され、自身が「子供を産む道具」でしかないことを突き付けられてしまう。
そして退位を余儀なくされた円融天皇からは毒を盛った張本人と決めつけられ、兼家に怒りを爆発させたことを左大臣・源雅信に明かし、内密に娘・倫子を道長に娶せること、東宮の後ろ盾となること、「もし断れば父上(兼家)に、これらの(道長・倫子の結婚、東宮の後ろ盾となる)ことが雅信から申し出があったと報告する」と脅迫、反・兼家派に引きずりこんだ。
同母の兄弟たちの中で人柄がいい道隆はそうでもないが横暴な道兼は嫌っており、年の近い弟の三郎(道長)とは比較的仲の良い方でもあることから、入内に際して内心の不安を打ち明けるなどしており、彼が成長してからも唯一とも言える相談相手として何かと頼みにしている。
一条天皇の即位後は国母として後見、定子及び中関白家に高圧的な態度を取ることが多い。その高圧的な態度と権力への欲望を嫌った関白・道隆により宮中から遠ざけられ、不満をあらわにする。
不満は道隆の家族全体にも向けられており、道隆の嫡男・伊周を道兼よりも嫌っているとして、次兄・道兼が関白に就任するよう多数派工作を進める。
第18回にて道兼が死去すると、道長に内覧となるよう説得するが、出世欲の乏しい彼に「うつけ者!」と言い放つ。その後、一条天皇に道長を内覧とするよう涙ながらに説得し、実現させた。
第19回では、除目の前に源国盛を道長に推挙していたが、すげなく断られている。
第20回では伊周らへの寛大な処分を検討する道長に呆れている。その後、体調を崩すが後にそれが呪詛によるものと発覚する。その後、第21回では彼女の謀略だったことが暗示された。
第23回では、道長に「帝(円融天皇)に愛されたことがないから、一条帝と定子が激しく求めあうのを理解できない」と語っていた。
第24回では伊周の怨霊(生霊)に取り憑かれていることに怯え、伊周・隆家らの赦免のきっかけとなるが、第25回では病状がさらに悪化している。
第26回では回復しており、彰子の入内に煮え切らない道長に「自分は色々なものを散々失ってきた。道長も遂に血を流す時が来た」と発破をかける。
第27回では一条帝に定子の皇子出産を祝うが、「所詮私は母上の操り人形」と返されてしまう。
兼家の三男。
優秀な兄の道隆にコンプレックスを持ち、しばしばその苛立ちを幼い弟の三郎(道長)や下男や女といった弱者や身分の低い者に向けて激しい暴力を振るう。その気性の荒さが巡り巡ってとんでもない事態を引き起こし、まひろにとっての因縁の相手となる。
もっとも、そうした振る舞いの根底には前述した兄へのコンプレックスだけでなく、父から一人前として認められずにいることへの屈折もない訳ではない。しかし当の兼家からは「優秀な道隆に類が及ばないようにするための汚れ役」とみなされており、結果として兼家からは前述の出来事を引き合いに、自分だけでなく家の名までも穢したという事実と、汚れ役に徹さざるを得ない立場とを突き付けられることとなってしまう。
第5話では、6年前の殺人について道長に問いただされたところ、「お前が父上にあの時のことを全部話したものと思っていた」「そもそもお前が俺を怒らせたのが悪いんだぞ」とあくまでも他人のせいにした挙句、「虫けらを殺したとてどうにかなるものでもあるまい」と完全に開き直る発言をしたため、激高した道長に(貴族にとって恥辱にあたる烏帽子が落ちるほど)強く殴られるが、直後に「おまえだけ穢れてないと思うなよ」と自嘲とも忠告ともとれる言葉を伝えた。
花山天皇の退位計画では積極的に関与し、最終的に出家させることに成功する。その際、為時にも接近し家にも赴いたが、真面目な雰囲気の為時とはあまり馴染めなかった様子である。そして、まひろとも再会するが、自身が彼女の母を殺したことには気づかず、死因について「それはお辛いことであったな…ご病気か?」と地雷を踏みまくる。
以上のように、兼家に認められたい一心で汚れ仕事を担い続けるが、第14回で兼家は道隆を後継に指名。その際に「人殺しのくせに家督を継げると思うな」と吐き捨てられたため「この老いぼれが!とっとと死ね!」と暴言を吐いた挙句、その死後も喪に服さず遊び呆けて貴族の顰蹙を買ったほか妻にも愛想を尽かされる。第15回では公任の屋敷に入り浸り、酒をあおりつづけるが、道長の説得で家に戻り復職、内大臣に昇進する。
第16回では疫病の感染状況について伊周に問うが、無関心な回答に「そのような了見で役目が務まると思うな」と苦言を呈す。その後「汚れ仕事は俺の役目だ」と道長に告げ、道長ともに都の視察に向かい、蔓延する疫病の惨状と朝廷から援けがないことを知る。
当初の人を人とも思わないようなヒールさからの変貌に某国民的アニメにおける映画版のガキ大将と重ねる視聴者もいた模様。
そして第17回では、中関白家を嫌う詮子の提案で関白を継承することが内定した。更に第18回にて「民のためにより良い政をしたい」と意気込んでいたが疫病に罹患、関白就任から僅か七日で病死した。享年35。若くにして亡くなったが最期は弟道長と和解し兄の様な見苦しさとは関係なく死んでいったためまだマシだったのかもしれない。
中関白家
兼家の嫡男で後に「中関白家」と称される一家の当主。伊周・定子・隆家らの父。
才に優れ、父からも期待を寄せられる貴公子。当初は温厚な性格で詮子入内と前後しての凶事さえも利用しようとする兼家の姿勢に、どこかついて行けぬような素振りも見せている。
しかし、第4回では詮子の怒りを目の当たりにしつつも兄弟共々兼家を支えることを宣言し、臣下として詮子に兼家と和解することを提案している。
第6回では義懐一派が公任らを懐柔しようとしていると道長から報告を受け、貴子の提案で漢詩の会を開催する。その後、道兼をも懐柔する。
第14回で兼家が病没した後は関白を継承。一変して独裁的な権力者へと豹変する。伊周を僅か17歳で蔵人頭に就任させ、内輪とはいえ父・兼家の喪中に伊周の昇進祝いの宴を開くなど専横を強める。更に第16回にて宮中で放火事件が発生、自身に恨みが向いていることを密かに恐れる。
『大鏡』などでは相当な酒好きと書かれており、劇中でもよく嗜んでいるが、史実では過度の飲酒が道隆の寿命を縮めたとされており、実際に第16回にて糖尿病(作中では「飲水の病」)の前兆とされる症状(光を眩しく感じる、口や喉の渇きが出るなど)が出ていた。
第17回では自らに意見する道長に凄む一方で病が重症化した後は伊周ら一族の後事を案じており、定子には「早く皇子を産め!」と迫り、一条天皇に「伊周を関白に…!」と御簾を開けてまで嘆願していた(完全に不敬な行為であることは言うまでもない)。そして終盤に貴子が見守る中で彼女の詠んだ歌(『百人一首』54番に該当する)を呟きつつ息を引き取った。享年43。
井浦氏は、本作以前にも同じ平安時代を舞台にした『平清盛』にて、崇徳上皇を演じている。「何ひとつ思い通りにならなかった」崇徳院とは対照的に、道隆は多くのものを手に入れることができた…のだが、強引な政策を行ったことで実資ら公卿はおろか道長・道兼・詮子など兄弟にも嫌われた上(公任らも直接道隆を批判していたわけではないが、伊周の態度には批判的だった)、中宮・定子、伊周・隆家兄弟ら一族の命運を案じ未練を残して死去したこと(更に言えば第19回・20回にてその不安が最悪の形で的中したこと)を考えると、ある意味崇徳院以上に悲惨な末路を辿ったともいえるのが皮肉なところである。後に、詮子は道隆の暴走について「焦っていたのかもしれない」と考察している。
道隆の正室。高内侍または小倉百人一首における「儀同三司母」の名前で知られる女性。
第6回では伊周の婚姻のために道隆に貴族のお姫議を見定める漢詩の会を開くことを提案、当日には堂々と評価を述べたききょうを気に入る様子を見せた。
第17回では、道隆との馴れ初めが言及され、終盤にて道隆の最期を看取った。
第21回では処罰に抗い続ける伊周を見かねて大宰府まで同行しようとするが、道長や実資らによって都に戻される。そして、第22回にて死去。
道隆の嫡男(三男)。「儀同三司」の呼び名で知られる。
兼家の死後に権力を握った道隆の計らいで17歳で蔵人頭に就任する。
第16回では内大臣に昇進するが、詮子に向かい堂々と口答えをするなど不遜な性格を見せる。第17回では病状が悪化した道隆に代わり内覧(関白に準ずる役職で、天皇に奏上する文書を前以って確認することができた)として政務を主宰する。
しかし、第18回では道長に内覧の宣旨が下り、定子を責めるも「もっと人望を得られませ」と返されてしまう。それに対し、道隆同様「早く皇子を産め」と定子に迫っていた。
第19回では、帝にも「皇子を産まれませ」と奏上していた。その後、斉信の妹・光子のもとに通うが、別に男がいると発覚。相手の顔を見に行くが、隆家のある行動により事態は急変、長徳の変の発端となる…。
第20回では帝より謹慎を申し付けられ、更に詮子・道長への呪詛疑惑が浮上。本人は否定したが時既に遅く、大宰権帥として左遷されることが決定する。その後も断固として処分を拒絶、屋敷に立て籠っていたが、定子に見苦しいと宥められ、貴子の付き添いで大宰府に下向する。しかし、道長・実資らによって引き離された上に、馬で任地に向かうよう命じられた。
第22回では、貴子の危篤を聞き都に戻ってきてしまう。
第24回で藤原詮子の病気快癒のため赦され京に呼び戻されることが決定、第25回で中宮・定子邸に入り浸る一条帝のもとに出仕する。その際、少納言に「枕草子」を宮中に広めることを提案する。
第26回では彰子を「まともに返事もできないうつけ」と評していた。
三浦氏は、道隆役の井浦氏と『あのときキスしておけば』『おっさんずラブ-リターンズ-』で共演している(詳細は省くが、両作ともに三浦氏と井浦氏は恋人関係の役柄を演じていた)。その内、前者は大石氏が脚本を務めた作品である。
伊周の妹。一条天皇の中宮となる。
一条天皇とは姉弟同然に育てられ、非常に仲睦まじい様子を見せる。しかし、詮子からは厳しい姿勢を取られることが多い。
第15回では女房となったききょうに「清少納言」の女房名を与える。
第17回では一条天皇に道隆の見舞いに行くことを許されるが、天皇の傍にいたいと固辞している。その後、伊周に内覧となるよう図らうが、終盤にて道隆に「早く皇子を産め!」と迫られる。
第18回では内覧の職を失った伊周に「もっと人望を得られませ」と指摘するが、父・道隆から受けたのと同様に「早く皇子を産め」と迫られる。
第19回では少納言の計らいでまひろに会うが、その途中で帝と共に一時退席する(理由はお察し下さい)。
しかし第20回にて長徳の変が勃発、伊周らへの寛大な処分を帝に奏上するが帝の意志は固く、死刑こそ免れたものの事実上の流罪が決定。定子も実家へ戻るが、処分に抵抗し続ける兄を見かねたのか自ら髪を下ろしてしまう。その後は生きる希望を失い、自邸が火事になっても動かない程だったが、少納言の説得で当時身籠っていた子のためにも生きようと決心、少納言の『枕草子』にも励まされる。
第22回では貴子の死を看取り、道長に懐妊したことを伝える。その後、第23回にて脩子内親王を出産。
第24回では、内親王を伴い職御曹司に移る。その後、一条帝との濃密なベッドシーンが描かれた。第25回でもその様子は変わっていないが、帝が政務を顧みなくなりつつあることを気にする様子も見られる。
第27回にて皇子を出産する。
道隆の四男。
粗暴で冷めた性格のようで、雪遊びに興じる宮中の人々を冷ややかな目で見ている。
第19回では伊周が通っていた女性に別の男が通っていたことを知り、その男に向かって矢を射かけるが、その相手は…。
続く第20回にて謹慎の末、出雲権守への左遷が決定。抵抗する兄に先んじて検非違使に出頭した。
第24回にて伊周同様恩赦を受けるが、数日と経たない内に帰京(劇中の台詞によると、普通なら20日はかかるとのこと)、道長に干しシジミを献上、取り入ろうとする。
宇多源氏や近江源氏の祖に当たる人物で、円融天皇の寵臣の一人として左大臣を務める。後に道長の妻となる倫子の父親でもある。
兼家の政敵ではあるが独自路線を取っており、兼家もその動向に注視している。
第4回では花山天皇の即位式での様子を婉曲的に語っており、倫子に目が行くことを心配していた。このことが、まひろが舞姫に選ばれる一因となる。
倫子と道長の縁談が進んだ際には反対したが、穆子の後押しもあり最終的に認める。
第15回にて逝去、その際道長に「倫子との結婚には不承知だった」と語っている。
雅信の妻で倫子の母。為時の遠縁でもある。
倫子が道長との結婚を積極的に応援し、雅信を認めさせた。
第26回では彰子の入内に反対する倫子を「入内したから不幸せとは限らない。それに、中宮(定子)は帝より年上だからいずれ寵愛を失うかもしれない」と励ました。
その他藤原家貴族達
藤原実頼(師輔の兄)の三男・斉敏の長男。頼忠の甥。
小野宮流の初代当主で、後に『小右記』を著する学識家。道長にとってははとこにして先輩に当たる人物であり、生涯に亘って関わりを持つこととなる。
初登場の時点では蔵人頭を務めており、兼家について「好きではないが」と再三に亘って前置きしつつも、理非を重んじる立場からその政治的判断を正しかったと評している。
しかし、第3回では円融天皇が毒を盛られていると判断し侍女などへの検分を行うが証拠が出ず、果てに実資への悪評が広まることとなり検分を断念した。第4回では花山天皇に蔵人頭の留任を頼まれるが固辞する。結局第5回では引き続き近臣として花山天皇の補佐を務めるが、彼が政務を思い通りに進めようのを見て、義懐らに天皇を諫めるよう提言した。
妻の桐子に愚痴をこぼすことが多く、彼女から日記をつけるよう勧められる。第12回時点では桐子は既に亡くなっており、宣孝がまひろに縁談を進めているが、折しも実資は赤痢にかかっており、宣孝に「半分死んでいるようなもの」と見切りをつけられている。また、その際まひろを「鼻くそのような女」と評価している。
第13回では政務に復帰、民衆を重視する道長を励ます一方で兼家の死後に権勢を握った道隆の人事を「異常中の異常」と痛烈に批判している。更に、第17回では道隆が「長徳」と改元を行ったことに対し「物事の判断がつかなくなっている」と酷評していた。
第18回では、道隆の後継として「全く好きではないが」と前置きした上で道兼を推していた。その意見に同意した道綱には「偶にはまともなことを言う」と言っていた(因みに、実資は『小右記』にて道綱を「自分の字しか書けない」などと酷評している)。
第19回では、伊周が道長に掴みかかったことに対して「そんな面白いことがあったのか」と興味津々だった。
第20回では、花山院への射撃事件の審議を担当する。伊周らが処分に応じず屋敷に立て籠った際には検非違使別当として身柄の拘束に動くが、定子を剃髪させてしまい、帝に陳謝する。
第24回では、一条帝が定子を職御曹司に移したことについて「前代未聞、空前絶後、世にためしなし!」と激怒していた。更に、第25回にてそのことに関して「批難すべし、批難すべし…」と日記に書き連ねていたが、オウムに「スベシ」と声を拾われる。
第26回では年号を「長保」とすることを道長に提案。その際、彰子の入内を後押しするが、帰宅後に「(入内は)ないな、ないない」と漏らす(今回もオウムに声を拾われた)。
第27回では和歌の寄贈を求める道長の頼みを断っていたが、公任・斉信ら多くの公卿から寄せられた和歌を掲載した屏風(その中には花山院のものも含まれていた)を見て驚いていた。
演者の秋山の色黒さゆえに、放送開始前からその点を指摘する声も少なからず見られた一方、初登場後には「蓋を開けてみたらすごくハマっている」「貫禄がある」と好意的な反応も観測されている。秋山自身も、登場に先立ち「『平安時代にあんな日焼けした奴いないだろ』とかなしでお願いします」とのコメントを残している。
伊尹の五男。
花山天皇の叔父でもあり、その即位後は近臣として勢力を拡大させる。花山天皇出家に伴い失脚、自身も出家する。
兼通の長男。後に道長の家に祟りをなし悪霊左府と恐れられる。
定子が出家後、自身の競争相手となる貴族たちが次々と死亡・失脚しており、その時道長に次ぎ身分の高い家の生まれだったため右大臣に任じられ、自身の娘を女御として入内させることに成功する。
道長が一条天皇と女御との親睦を深めるために会を開いた際に、仰々しく感謝を述べようとし彼に遮られていた。
第25回では、政務の停滞に対し道長に喝を入れようとするが、肝心なところで臆してしまう。
顕光は「無能な男」として当時の記録にも残されており、宮川氏も放送前のコメントで「如何に無能を演じるか逆に楽しみ」と意気込んでいる。
円融天皇の寵臣の一人。実頼の次男で兼家の従兄、及び公任の父。史実では藤原時平の嫡子・保忠の養子でもある。
関白として上位にあるだけでなく、自身の娘である遵子を先んじて円融天皇に入内させるなど、兼家にとっては政敵ともいうべき立場にある。一方で声が小さいという欠点もあり、その点を天皇からもしばしば叱責されている(字幕でもわざわざ「小声で」と表記されていた)。
しかし、第5回では花山天皇の粗雑な荘園整理令に反感を抱き、珍しく声を荒らげていた。その後、その天皇を強制的に退位させる兼家の謀略に同意する。
第12回で公任に内裏への出仕をやめることを伝え、道兼に取り入るよう伝えた。その後989年に死去した。
橋爪氏は頼忠について「声の小さい人というのが大石氏のオーダーであった」と明かし、その理由として「内向的な性格で、政治や政権よりも花鳥風月に興味がある人間だったのではないか」と語っている。
花山天皇の女御であり、斉信の妹。
花山天皇から過剰なまでの寵愛を受け、子供を授かるものの妊娠中に亡くなってしまう。
一条帝時代の四納言
頼忠の長男。
上級貴族達の研鑽の場にて、長い漢詩を諳んじるという優秀っぷりを見せる。
第6回では義懐一派の宴会に参加する一方で道隆主催の漢詩の会にも出席し、道隆側になびく様子を見せた。ききょうには苦手意識を持っている様子。
まひろなど地位の低い女性を蔑視しており、家柄を強く意識している。頼忠の助言もあり、道兼に接近するが、父の喪にさえ服さない彼に見切りをつける。しかし、第15回にて道兼に居候され、道長に助けを求めている。
その後は道隆ら中関白家に接近するが、伊周の服装や態度には「許し難い」と批判している。
第18回では、道長と伊周の抗争に対して、「道長には出世する気がない」と推察していた。
第19回では、久々に道長も交えて歓談。その際、今後は詩歌や管弦などに勤しむ生活を送りたいと語っていた。
第22回では、実資に代わり検非違使別当に就任。伊周が都に戻ってきたことを道長に伝える。
為光の子。実頼の長男・敦敏の娘を妻としているため実資の義理の従兄でもある。
妹は花山天皇の女御である藤原忯子だが、第5回時点では公任よりも下位に甘んじている。
漢詩の会ではききょうに関して「あの小賢し気な感じ、鼻をへし折ってやりたくなる」と気に入っている様子を見せていた。
出世欲が強い一面があり、病に臥せっている妹の忯子に対して「天皇に『兄・斉信は使える男だ、これからの世には兄のような人材が必要である』と囁いてくれ」と頼んでいる。
第16回では一条天皇や伊周・公任らと雪遊びに興じるが、定子に雪玉を投げつけられ喜んでいた。
第17回ではききょうに粉をかけていたが、すげなく返されていた。
第18回では、「俺は厚かましいのが売りだ」「(関白が)道長になったら売り込む」と語っていた。
第19回の終盤にて長徳の変が勃発、続く第20回で花山院を襲撃した犯人が伊周らの家人であると道長に伝えた。その後、帝の使者として伊周らに処分を伝える。
第24回で道長は出世欲が強い斉信が伊周・隆家兄弟の所業を大げさに報告し、一条帝も自分も斉信に踊らされたのではないかとぼやいている。
義懐の三兄・義孝の子で世尊寺家の祖。書道では世尊寺流の祖でもあり小野道風や藤原佐理(敦敏の長男、斉信の義兄弟)と共に「三蹟」と称された。
公任と斉信が軽い口論になった際には間に立って宥めていた。
第16回では道長に惚れていたこと、更に一条天皇に好意を寄せていることが判明した。
第18回では自身が道長贔屓だと自覚しながらも、自分を売り込む真似はしないと語っていた。
第19回では女中を相手に代筆を行っていることが語られた。
第20回では、道長への申し文が多いことから重要なもののみ報告することを提案したが、道長は全部目を通したいと断っていた。
第23回では一条帝から定子に会いに行きたいと相談を受けるが、「帝に利用されてはならない」と道長に却下される。
第24回では、一条帝が定子を宮中に戻そうとしたことに対し、道長に「職御曹司に移しては如何でしょうか?」と提案した。
第25回では道長の意見を帝に奏上しようとするが、全く聞き入れてもらえず、両者の板挟みに苦悩している。
第26回では、道長の意向もあり、帝に「政務に精を出す姿を下々に見せてほしい、また円融院の血筋が絶えることは望ましくない」と説得する。
第27回では、道長の頼みで屏風に貼る和歌の清書を務めた。
渡辺氏は書道未経験にもかかわらず、書道の場面では吹き替えなしで演じているとのこと。
かつて「安和の変」で罰せられた醍醐源氏源高明の三男。明子の兄。妹とは異なり処世術を身につけており、復讐心を剥き出すことはない。一方で、父が藤原家によって失脚したことを知った際は烈火の如く激怒していたらしい。明子に「(道長に取り入るにも)いいところがない」と言われるが、道長の内意を受けて伊周・隆家兄弟のプライドを巧みにくすぐることで再出仕を促すことに成功させるなど、妹が酷評するほど無能ではないことがわかるシーンがある。
992年に蔵人頭に任命されてからは出番が急増する。
道長、斉信、公任、行成は初登場以降「平安のF4」と呼ばれる。
ちなみに前年のどうする家康の主演松本潤とさらに前年の鎌倉殿の13人の主演小栗旬は花より男子に出演したいわば本家F4。
そして、第26回にて彰子の裳着の儀を終えた後に四納言が遂に一堂に会する。
藤原家以外の貴族
- 清原元輔(演:大森博史)
ききょう(清少納言)の父。
第6回の漢詩の会で藤原為時とともに審査を任される。
78歳で肥後(熊本)の国司に任じられて赴任したが、在任中84歳で死去したことがききょうの口から語られる。
- 源国盛(演:森田甘路)
詮子に取り入って収入が多い越前守に任じられるが、宋人の来航が問題になっていることと、本人の学識のなさが仇となって任地に赴く前に解任されてしまう。
官僚たち
- 安倍晴明(演:ユースケ・サンタマリア)
京都にその名を轟かせる陰陽師。須麻流という従者を連れている。
本職は陰陽寮という天体観測をして都の吉凶を予測する役所のトップ。第1回における物語の幕開けも、晴明が星を観測して都に混乱が来ることを予見するところから始まる。
自邸が落雷によって焼失しても動じる素振りを見せないなど、底の知れぬ側面を見せる一方で、兼家から直々に遵子への呪詛を依頼された際には、一度は渋りながらも褒美をちらつかされるやこれを受けるなど、俗っぽい部分も兼ね備えているが、(兼家とのやりとりを)楽しくてたまらないと嘯くなど底知れなさも見せている。
兼家の指示により花山天皇の女御・忯子の子を流産するよう呪詛を行うが、忯子自身が落命したことで兼家の叱責を受ける。その後、兼家の花山天皇退位計画に協力する。
第14回では兼家の死とその後継者が長く続かないことを予言する。
第16回では「疫神が通る」と、疫病の感染拡大を予言した。
第17回では道隆の病を「呪詛ではなく寿命」と言い切っており、祈祷を須麻流に任せるなど完全に見捨てる態度を見せた。
第21回では、伊周・隆家兄弟について道長の相談を受け、「隆家様はいずれ道長様を支える人物となりましょう。伊周様については、あなた様次第にございます」と助言した。
第25回では疫病や災害など多くの凶事が同時多発的に起こることを道長に報告、解決策として「(道長の)お宝をお使いなされませ」と婉曲的に伝えるが、第26回にて「彰子を入内させるべし」と明言する。
第27回では、「一帝二后」として道長に彰子を中宮にすることを提案する。
本作においては、従来の『陰陽師』などに代表される超常的なイメージとは一線を画し、前述の通り官人としての側面を強調した描かれ方が志向されており、名前の読みも巷間でよく知られる音読みの「せいめい」ではなく、訓読みの「はるあきら」が採用されている。
しかし、先述のように未来を見ているような描写や、呪詛が効いている描写など超常の力を持った人物であることも示されており、演者のユースケ・サンタマリアも「自分は詐欺師などではなく、確かな力を持った陰陽師なのだ」と証明したいという野心を持っていると評している。
- 須麻流(演:DAIKI)
晴明の従者。
晴明の弟子でもあり、道隆の寿命が長くないことを知りながら病を祓う祈祷を任される。
演者のDAIKI氏は「軟骨無形成症」という先天性の難病のため身長が128㎝しかなく、安倍晴明が使役したとされる式神をイメージしているのではないかとも考察されている。
女房たち
- ききょう(清少納言)(演:ファーストサマーウイカ)
「枕草子」の著者。一条天皇の中宮・藤原定子に家庭教師として仕える。
第6回で初登場、漢詩の会でまひろと邂逅する。まひろの評価に対して「私はそうは思いませんわ!」と口を開くなり、斉信の詩を高く評価するなど思ったことを堂々と口にする性格の様子。
第14回では夫と離婚していることをまひろに打ち明ける。その後、第15回にて定子の女房となり、「清少納言」の女房名を与えられる。その際、定子の美しさに感激していた。
第16回では定子に「香炉峰の雪はいかがであろうか」と問われ、機転を利かせ回答した。
第17回では斉信に迫られるが、軽くあしらっていた。
第18回では定子に「皇子を産め」と迫る伊周にかなり冷ややかな視線を投げかけていた(枕草子では道隆・伊周父子を絶賛しているが…)。
その後、長徳の変を経て中関白家は没落、定子も髪を下ろしてしまう。少納言はまひろの提案を受けて『枕草子』を執筆し定子を励ます。その後、一条帝により職御曹司に移された際にも随行し、帝にその文才を称賛される。
第26回では、定子に軽口を叩く伊周に「私にとって中宮様は太陽、馴れ馴れしく近づくと火傷する」と釘を刺す。
第41話では定子に対する忠誠心が暴走し彰子たちに刺々しい態度を取ってまひろから失望されてしまう。
源倫子の女房で、和歌の指南役として登場。
空気を読まずに発言したりお題に答えたりするまひろには若干引いている。
第27回では彰子に仕草や表情の稽古をつけるが、その内容の多くが閨房(寝屋)の心得に関するものだった。
夫は学者の大江匡衡。後三条天皇の側近として知られる大江匡房は両者の曽孫で、鎌倉幕府の成立に尽力した大江広元は更にその匡房の曽孫。
- 筑前の命婦(演:西村ちなみ)
第34回に登場、『源氏物語』を読みふける女房のひとり。
他の女房たちに「空蝉」の一節を読みきかせる。
藤原惟規の恋人。斎院司長官源為理の娘で、母は播磨と呼ばれる女房で和泉式部の妹とされる。選子内親王に仕えた。
歌人としても知られ、後拾遺和歌集などに歌が残されている。
第35回で登場。男子禁制の斎院の塀を越えるという禁忌をおかして会いに来た惟規と抱擁を交わすも、すぐさま警固の者に見つかり引き離されてしまう
公任の妻、藤原敏子主催の和歌の会に出入りする女性で第30回で登場。高位貴族令嬢ではありえない薄い紗の単衣姿(現代風に言えば上半身丸見えのシースルー衣装に相当)で歌の会に現れる。
2人の親王(三条天皇の弟 為尊親王及び敦道親王)の寵愛を受け、恋に素直な歌を詠む。まひろの歌の解釈は堅苦しいとしながらも、『カササギ語り』を評価し、ききょう(清少納言)の『枕草子』を「気は利くが人肌の温もりがなく、つまらない」と評する。
皇族
第64代天皇。「天暦の治」で知られる村上天皇の第5皇子。
第1回時点で在位の天皇であり、入内した詮子に対して鷹揚な様子で接したり、除目の際に為時が提出した自薦の文の、あまりの無遠慮ぶりに苛立ちを見せるなど、師貞親王ほどでないにせよ人間味のある部分を度々示している。
一方で、政務においては良くも悪くも真面目な姿勢で臨み、また寵臣たちの力関係の均衡を保つことにも余念がないために、天皇の外戚の座を狙わんとする兼家にとっては都合の悪い主君であるとも言える。そうした「真面目」さは奥向きに対する姿勢にも表れており、詮子ではなく遵子(頼忠の娘)を中宮とすることで兼家への牽制を図り、詮子に対しても親王を産んでからはあくまで女としてではなく「国母」として立ち振る舞うように求めるが、そうした「真面目」さが災いして兼家の策謀により病がちとなり、譲位せざるを得ない状況に追い込まれることとなる。
第4回で遂に退位するが、詮子に「毒を盛ったのはお前と父の謀か」と問い詰め扇子を投げつけた末に「人の如く血なぞ流すでない、鬼めが…」と言い放った。
以降も公式サイトの登場人物一覧に「円融院」として長らく紹介されていたが、再登場することはなく、16回で崩御したことがナレーションによって語られた。
第65代天皇。円融天皇の甥。
藤原為時を師として漢文を教わるが、朗読している為時をからかったり、肩を蹴飛ばしたりするなど、初っ端からかなりのクソガキっぷりを見せつけている。変顔も凄まじい。長じてもそうした行状は改まらぬどころか、ますますあらぬ方へとエスカレートしており、為時から仔細を訊いた兼家からも「真の痴れ者」と評される有様であった。
が、一方で周囲の者たちが離れていく中、なおも傍らで講義に及ぶ為時に対し親王なりに恩義は感じていたようで、自らが皇位継承権を手にしたことを為時に告げた際には式部丞に就けることも約している。同時に、自らが「とんだ好き者」であると見られていることを自覚しつつも「見るところは見てる」と嘯くなど、敢えて奇矯な振る舞いに及んでいるとも取れる素振りも見せている。
第4話では藤原実資にこれまで通り蔵人頭の職を続けることを要請するが、天皇の代替えにより蔵人頭の人員も変更されるという慣例を知らず、その慣例をあくまでも遵守する実資に対して癇癪を起こし、なぜか宥める叔父の義懐や惟成の烏帽子をはぎ取った。
挙句の果てに即位式の当日には女官を連れ込んだという噂が立ち(ただし事実ではなく道隆が花山天皇を貶めるために流した噂であるという解釈もできる)、藤原忯子には過剰なまでの寵愛を与える始末だった。またその後も忯子に対して寵愛を与え続け、彼女が早逝した際には烏帽子が脱げているのも忘れるほど慌てて駆けつける。
その一方で、第5回では荘園整理令の発出を命じるなど、政務の改革を実施しようとする。
しかし、兼家ら公卿の反感は強まり、道兼の勧めもあり第10回で遂に出家・譲位する運びとなる。道兼に騙されたことを知った花山院は激怒し、第11回で摂関家に対する呪詛を行った。
その後、第19回終盤にて久々に登場、斉信の妹・儼子(たけこ)の下に通うが、別の妹・光子の下に通っていると勘違いした伊周・隆家により矢を射かけられ(但し、射かけた時点では両者とも相手が花山院だとは知らなかった)、長徳の変の発端となる。
第27回では彰子入内に際して屏風に掲載する和歌を道長に送ったことが語られた。
その皇族らしからぬインパクトゆえに、初回放映直後から「花山天皇」がトレンド入りし『平清盛』における雅仁親王(のちの後白河天皇)を想起された視聴者もいた。
史実における花山天皇も、ある意味後世の白河院すらも超えた本当に色々と型破りすぎるお方(最大限のオブラート)だったので、平安時代好きの視聴者からは「ナレーションなくても花山天皇だとわかる」と謎の納得をされていた。加えて、そのエキセントリックっぷりを初回から放映したことから、視聴者の懸念事項が「史実のエピソードがエピソードだから、花山天皇をどこまで描くのか?」から「本郷奏多にさせるのかこれ…」「仕事選んでくれ」と言う方向にシフトしつつある。
本郷は、本作以前にも実写版『キングダム』で成蟜を、同じ大河ドラマでは『麒麟がくる』で近衛前久を演じるなど、癖の強い貴人の役をしばしば演じている。このうち近衛前久は、系譜としては花山天皇の女系子孫にも当たる。
第66代天皇。円融天皇の唯一の皇子で、花山天皇の従兄弟。
花山天皇の退位に伴い即位、第14回で定子を中宮にするよう勅命を発出した。
第17回では道隆の嘆願に対し「しばし考えて後に宣旨を下す」と返答し、決して道隆の言いなりではないことが示されている。また、伊周については「嫌いではないが、若すぎる」と評価している。
第18回では、当初伊周を関白にするつもりでいたが、詮子の説得もあり道長に内覧の宣旨を下した。
第19回では定子に拝謁していたまひろの前に現れ、意見に耳を傾けた。なお、その前に一度定子と退室しているが、理由はお察し下さい。しかし、その後皇子を産むようしつこく催促する伊周に不快感を持っているかのような描写がなされた。
第20回では、長徳の変を引き起こした伊周・隆家らを厳罰に処すよう命じ、定子にも内裏を出るよう命じた。
第21回では無断で髪を下ろした定子に激怒していたが、第22回では定子に会えなくなることを強く後悔していた。
第23回では定子に会いに行きたいと行成に相談するが、道長の意向もあり却下される。後に定子が皇女を出産した際には絹を贈るようにと命じた。
第24回では、詮子が伊周の怨念に取り憑かれたことを受けて伊周・隆家に恩赦を出すよう命じ、更に定子を職御曹司に移した(その際、兄弟を処罰したことに対し道長に恨み言を宣っていた)。その後、いちいち輿で定子と内親王に会いに行き、その後濃密なベッドシーンを披露した。更には、定子のために唐物を差し出させるよう道長に命じた。
しかし、第25回にて大雨による堤防決壊などの災害が発生。これは道長の再三の忠告にもかかわらず帝が定子に現を抜かして顧みなかったいたことが原因であり、道長がその責任を取って左大臣を辞任すると奏上した際には必死で慰留した。
その後、第26回では「譲位して定子と穏やかに暮らしたい」と宣うが、行成の説得を受けて「必ず中宮との間に皇子を成す」と決意してしまう。
第27回では定子が皇子を出産するが、その祝いに訪れた詮子に「所詮私は母上の操り人形」と言い放つ。
のちに「源氏物語」に強い興味を抱く。源氏物語を当初あまり快く思っていなかったが徐々に評価を改め楽しむようになる。その影響で変化で彰子に対する考えも変わっていくことになる。
冷泉天皇の皇子、一条天皇の従兄にあたり、道長の甥にあたる。
第24回から登場、天皇よりも3歳年長でありながら、皇位に就くことなく東宮に留め置かれる。
その一方で一条天皇と藤原定子の間に生まれる子が次の東宮になることを阻止しようと安倍晴明に祈祷を依頼、その甲斐あって皇位継承権がない皇女が生まれる。
市中の人々
- 絵師(演:三遊亭小遊三)
絵を描くだけでなく、代筆業者も請け合っている男性。まひろの物語の創作への、最初の切っ掛けとなる。その絵柄についてまひろからはおかしみがあると評されており、自身もそれに対して「おかしきものにこそ魂は宿る」と語っている。
演者の小遊三は、本作放送当時の「笑点」のレギュラー回答者であり、大河ドラマにおける「笑点」の出演者はほかに6代目三遊亭円楽(「三遊亭楽太郎」時代に講談師役として『葵徳川三代』に出演)や春風亭昇太(『軍師官兵衛』で毛屋武久、『おんな城主直虎』で今川義元を演じた)がいる。また、「笑点」での演者のキャラクターから「春画ばかり描いていそう」などとネタにされており、実際に作中でも上述のように絵を描く場面が描写されたが、その絵柄はどちらかと言えば『鳥獣戯画』などに近いものとなっている。その絵柄から、『鎌倉殿』における和田義盛を想起した視聴者もいたがその絵の老人が桂歌丸に似ていると言われたりしていた。
時折市中で散楽をやっている集団の一人。実は貴族の家に盗みに入り、盗ったものを貧しい人々に分け与えている義賊の一員でもある。
逃走中に自分と間違られて道長が捕まったことに対してまひろから謝罪を求められたときに道長とまひろの関係性を察する。
それから時折まひろの家に訪れるようになり、第5回では「あいつ(道長)のことは諦めろ、身分が違いすぎる」と言いながらも二人を引き合わせる手伝いをしたり、茫然自失になりながら帰るまひろを見守ったりしている。
第7回では道長の頼みで道長の弟として打毬に参加する。
右大臣家に盗賊に入った際に道長によって腕に矢を打たれており、打毬の後に着替えた際に道長に傷を見られる。のちに盗賊に入って捕らえられるが、道長の計らいで釈放された…かに見えたが、検非違使に道長の意図を取り違えられた(この時、直秀が「俺たちをどこに連れて行く?」と聞いた際にニヤリと笑みを浮かべたため、元々直秀たちを殺す算段でなかったかとも考えられる)ことで鳥辺野に送られ処刑された(平安時代には薬子の変での藤原仲成を最後に保元の乱で源為義らが処刑されるまで死刑自体は停止されていたと一般的には理解されているが、国司による死刑は行われており、また手足を切ることで罪人を失血死あるいはショック死に至らしめる刑罰は行われていたとする指摘がある)。
毎熊氏は前作『どうする家康』の大岡弥四郎役に引き続き大河出演を果たしており、結果として2年連続で無惨な死を迎えることとなった。
散楽の一座。直秀同様盗賊としても活動しており、直秀と運命を共にした。
- さわ(演:野村麻純)
藤原為時の妾・なつめの娘で父は平維将。
幼い頃に母と離別し父に引き取られたが、父や継母たちとは上手くいっていない様子。
為時やまひろの計らいで母の臨終を看取り、その後はまひろと交友関係を持つ。
第15回ではまひろと石山寺に参詣、偶然出会った道綱に好意を抱く。しかし、当の道綱はまひろに好意を持っていた上にまひろと間違えられ(しかも名前まで間違えられていた)、「もう死んでしまいたい」と世の中に絶望してしまう。その後はまひろの手紙も無視し続けるが、第17回にて和解した。その際、まひろの文を写していた。
第18回では肥前に下る父に同行することをまひろに報告していた。
第24回ではまひろとの再会を望んでいた和歌が訃報を知らせる書状に記されており、まひろはさわの和歌を生涯の宝とすることを決意する。
越前の人々
- 源光雅(演:玉置孝匡)
越前介(えちぜんのすけ、越前守に次ぐ高官)。
歴代の越前守が政務に興味がなく蓄財に余念がない人物がつづいたことから、為時も同類と見て賄賂を差し出して、為時の怒りを買ったため、実務をサボタージュする。
朱仁聡に三国若麻呂殺害の罪を着せ処断しようとしたが目撃者に無実であることを暴露されて失敗、が、直後に宋人が貿易の他に何か良からぬことを企んでいると為時に警告する。
- 大野国勝(演:徳井優)
越前大掾(えちぜんだいじょう、越前守、越前介に次ぐ高官)。
光雅と宋人対策に頭を悩ませており、三国若麻呂が商人ともみあったことによる事故で亡くなったことを利用して朱仁聡が若麻呂を殺害した犯人として捕らえるが、事故の目撃者ともみあった商人が現われたことにより失敗、朱仁聡を釈放する。
光雅と同じく歴代の越前守が政務に興味がなく蓄財に余念がない人物がつづいたため、為時も同類とみなしており、宋人対策の邪魔にならないことを願っている節がある。
第24回では為時の誠実な人柄を信頼し、越前各地の神主や住職が越前国国司の人柄ではなく国司の位におもねっているにすぎないことを為時に忠告する。
- 三国若麻呂(演:安井順平)
松原客館の通事。朱仁聡ら宋人の通訳を勤める。朱仁聡に殺害されたことが語られたが、後に事故により死亡したことが判明した。
- 紙漉き職人の長
第25回に登場、命令以上に越前和紙を税として納めていることに為時から税の減免を申し出られるが、歴代の越前守はそれらを懐に入れて私腹を肥やしており、為時の次の越前守にまた税を増やされても困るとして為時の申し出を断る。
ちなみに、配下の紙漉き職人は役者ではなく、本物の紙漉き職人が衣装を着て出演していることが、第25回放送後に明かされた。
宋人
- 朱仁聡(ヂュレンツォン)(演:浩歌)
宋からやってきた商人らの長。
越前を宋との交易のために開かせる密命を負っており、為時と彼を通じて朝廷と交渉を行う。
密命が果たされなければ宋に帰れず、達成のために脅迫などの手段を選べない立場にいる。
他の宋人が周明を信用しない中、唯一、彼だけが周明に深い信頼を寄せている。
- 周明(ヂョウミン)(演:松下洸平)
宋の見習い医師。まひろに宋の言葉を教える。
当初は中国語を話していたが、第22回のラストでは普通に日本語を話していた。
本人は対馬生まれで、父親に口減らしで海に流され宋の船に助けられたが、宋でも奴隷のようにこき使われたため逃げ出して薬師の弟子になったと語っている。
まひろが左大臣・藤原道長の知人であることをしゃべったため、その事実を利用して彼女に道長への書状を書かせることを朱に献策する。しかしまひろには通じず失敗に終わる。
まひろへの工作が失敗した後、朱から「(まひろのことが)お前の心の中からは消え去るとよいな」と声を掛けられているが……?
まひろに甘い言葉をかけつつ利用しようとしたことから、SNS上では「国際ロマンス詐欺」などと不名誉な評価が多数上がっていた。
第45話で大宰府に流れ着いていたことが明らかになりまひろと再会。第46話で過去の思い出話をし再会を喜んでいたが賊に襲われ胸に矢を射られ第47話で命を落としてしまう。
(※ 当初、藤原隆家は永山絢斗が演じることが2023年5月23日付で発表され、夏頃に撮影に入ることが予定されていたが、6月16日に大麻取締法違反容疑により逮捕されたことを受け、同日中に降板が発表された。代役として竜星の出演が発表されたのは、それから2ヶ月あまり後の8月31日のこととなるが、永山よりも適役との声が上がっている)
余談
- 従来の大河ドラマとは一味違った作風となっている。大河史上初の平安中期という時代設定に加え、1シーン1シーンがかなり丁寧に描かれるほか終盤以外では戦のシーンがほとんどない。またキャスティングにおいても脇役におけるデビューから間もない若手俳優、知名度よりも実力を重視した上でと思われるベテラン俳優、また俳優を本業としないタレント、芸人、グラビアアイドルが例年に比べかなり大勢出演している。
- 主人公が長めの文章を書くシーンが無いと成り立たない話にもかかわらず、主演の吉高由里子は左利き。その為、撮影の半年前から利き手でない方の右手で文字(それも草書体)を書く練習をしていた。
- 絵師兼代筆業者を小遊三が演じているのは2023年に逝去した6代目円楽の落語ネタで小遊三をネタにした「代書屋~天野幸夫伝~」のオマージュではという視聴者もいる。
- 道長が元服して右兵衛権佐に任官された時、2022年の『鎌倉殿の13人』に登場した源頼朝を思い出し「武衛」「佐殿」と呼ぶ視聴者も現れた。
- 吉高由里子と道隆役の井浦新、更に周明役の松下洸平は2021年にTBS系で放送されたドラマ『最愛』で共演しており、発表時には大きな反響が見られた。
- 『劇場版刀剣乱舞-黎明‐』にも藤原道長は登場するが、この映画で道長を演じたのは本作で道長を演じる柄本佑の父親である俳優・柄本明である。
- 第5回ではザブングル加藤が侍従宰相役で数秒程度出演し話題となった(本人曰く1分程で撮影が終わり、スタッフも半笑いだったとのこと)。
- 第20回では人気女性声優・種﨑敦美がオウムの声を演じることがわかり、周明のかたわらで「ニーハオ」と鳴くセリフに騒然となり、第21回で朝廷に献上された。第25回では実資の屋敷にオウムが飼われているが、種﨑敦美の体調不良によるものか、それとも別のオウムかわからないが山村響が「オウムの声」を演じている。
- 第35回で惟規と斎院中将が屋敷内で抱擁している姿を目撃した見張りの門番が「何をしておる!」と叫び引き剥がしていたが、演者の小坂が現役のアイドルであることも相まって、この姿を見た視聴者から、前者は「ファンの心の声の代弁」、後者は「握手会の剥がしのスタッフ」と言われ話題になった。
- 第36回で、彰子が皇子(後の後一条天皇)を産み終えた際、藤原頼通が「皇子(みこ)様だ!」とその場にいた者たちに喜びながら伝えるシーンがあり、演者の渡邊圭祐氏が過去に演じた役柄に準えて、「祝え!皇子様生誕の瞬間である!」とネタにする声もあった。
- 吉高が出演している「JCOM」のCMでは、まひろの幼少期を演じた落井が生徒役で出演している。
視聴率について
- 初回視聴率が関東地区で12.7%と歴代最下位となってしまったが、これは2024年1月1日に起こった令和6年能登半島地震の影響でお正月特番の『芸能人格付けチェック』が初回放送日1月7日の裏番組にずれ込んでしまった影響が大きい。(参照記事・サンスポ(2024/01/10))
- 平均視聴率は歴代ワースト2の10.7%を記録したが、配信記録では好調を維持、視聴形態の変化を証明するものとなった。
関連タグ
星降る夜に:テレビ朝日系列で2023年に放送されたテレビドラマ。同作も吉高主演・大石脚本という点で、本作との共通項を有する
おじゃる丸: 第1回にオカメ姫&赤紫式部役の三石琴乃が藤原兼家の正室・時姫を演じ、第34回で坂ノ上おじゃる丸&小野小町役の西村ちなみが筑前の命婦を演じる。そして10月19日にはコラボスペシャルを放送した。
どうする家康←光る君へ→べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~