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柄本明

えもとあきら

劇団東京乾電池座長。俳優として多くのドラマ・映画に出演。志村けんとのコントでも存在感を示している。
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概要編集

1948年11月3日生まれ。東京都中央区銀座(旧・木挽町)出身。東京都立王子工業高等学校機械科卒業。

ノックアウト所属、劇団東京乾電池座長。


母方の祖父がいわゆる「箱屋」であり、生家が歌舞伎座の裏手にあったこと、家族が映画や演劇を好んでいたことから、自然と芝居に興味を持つようになった。

高校卒業後一度は商社に就職したが、俳優を志し金子信雄が主宰する劇団「マールイ」の演劇教室に生徒として通うようになる。この時、同じ教室にいた松田優作と面識が出来た。また商社を退職した後、NHKの大道具のアルバイトをしていた時期があり、同僚に大杉漣小林薫秋田明大らがいた。


1974年に自由劇場へ参加。俳優として起用されるようになったが、串田和美の作風に肌が合わず、1976年に退団。同年に自由劇場で知り合ったベンガル綾田俊樹と共に劇団東京乾電池を結成し、座長を務める。のちに同じく自由劇場の研究生であった高田純次岩松了らも加入した。

また、1976年4月から1978年3月頃までベンガル・綾田と『ひらけ!ポンキッキ』のお兄さんを担当し、以降多くのテレビ番組・ドラマ・映画に出演するようになる。


1987年からは志村けんコントでの共演をするようになる(後述)。


1992年に映画『空がこんなに青いわけがない』で監督を務めている。この撮影の現場で重圧を経験した事から、後に産経新聞のインタビュー企画『わたしの失敗』で「もう二度とやりません」と発言。後にも先にも監督作品はこれのみとなっている。


1998年に「カンゾー先生」にて第22回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。

2011年6月に紫綬褒章を受章。2019年11月には旭日小綬章を受章している。


芸能一家であり、妻は女優の角替和枝(2018年に死別)、息子は俳優の柄本佑柄本時生である。女優の安藤サクラ(佑の妻)は義理の娘にあたる。また、時生の元妻の入来茉里も女優である。


笹野高史とは自由劇場以来の友人である。また、芸能人とあまり交流を持たなかった渥美清と親交があった数少ない人物でもあり、笹野を加えた三人で連むようなこともあった。


志村けんとのコント編集

1987年から志村けんからコントでの共演のオファーを受け『志村けんのだいじょうぶだぁ』や『志村けんのバカ殿様』のコントに出演。芸者コントや婚期を逃した四十路女性、盗み食いをするコントでの挙動不審なサラリーマン、刑事、寺の住職、道場破りなどコミカルなキャラクターを演じた。


志村は柄本にオファーした理由を「この人、実際そばで見てみたいっていうのがあった。笑いとかやるには得な顔。ちょっと欲しいなその顔って」と2019年に語っている。そのオファーまでは双方に面識はなかった。

また柄本は「コントは志村さんとしかやらない」と発言している。


2020年に志村が新型コロナウイルス感染により死去した際には相当ショックを受けており、コメントペーパーを出さなかった。同年6月および2021年3月に放送された志村の追悼特番に出演し、志村への敬意を改めて語っている。


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