概要
960-1027
平安時代中期の公卿。醍醐天皇皇孫。左大臣源高明三男。母は藤原師輔三女。安和二年(969)、父・高明が藤原実頼らの策略により、太宰府に左遷される(安和の変)。しかし俊賢の昇進には直接影響せず、天延三年(975)、叙爵された。侍従、左兵衛権佐、右中弁、蔵人頭、右兵衛督などを歴任し、長徳元年(995)従四位下で参議に任じられた。
道長との関係
一条天皇中宮彰子の中宮権大夫・皇太后宮大夫・太皇太后宮大夫を一貫して勤めるなど、道長の権勢を表裏両面から支えた。妹の明子は、道長の妻である。
『大鏡』『古事談』に見える賢者としての逸話や、藤原公任・藤原斉信・藤原行成とともに四納言の一人に数えられるなど、摂関期の典型的な能吏といえる。万寿四年(1027)に出家し、間もなく逝去。
pixivでは
腐女子らの手により、四納言の他の三名や道長と共に描かれる場合が多い。摂関期の典型的なカップリングといえる。