パッパカスチャラカッ、チャッチャ!パフッ♪♪
パッパカスチャラカッ、チャッチャ!パフッ♪♪
概要
日本テレビ系列で毎週日曜日の夕方に放送している演芸バラエティ番組。コメディ(お笑い)番組に分類されることもある。
もともとは1965〜66年に放送されていた『金曜夜席』(金曜日の22:30枠であることから、寄席の寄と夜をかけている)が前身となっている。
タイトルの通り落語を主題としており、出演者はゲストを除いて全て落語家(噺家)である。
前半は漫才、コント、落語などの演芸で、後半は、大喜利となる。場合によってはこの大喜利を指して「笑点」と呼ぶこともある。
なお、この編成になったのは1996年4月期から。それ以前は、『金曜夜席』の時代から前半と後半の間に司会者によるゲストとの対談やフリートークの時間があり、三部構成であった。
通常は後楽園ホールで収録されるのだが、年に3〜4回全国のどこかの都道府県に出張し、2週に渡って放送する「地方収録」がある。
この地方収録は、日テレ系でホールに観客を入れて公開収録を行う番組が少ないため、系列局から収録の依頼が殺到している状態である。そのため、激しい誘致競争に勝ち抜こうと開局周年記念で行われることが多い。ただ、関西地区での地方収録は行われていない。これは基本江戸落語の番組である笑点と上方落語との関係があるが、かつて関西地区での収録が持ち上がった際に、日本テレビの笑点スタッフと、上方落語との関係を重視しすぎた読売テレビとの間でトラブルを起こした為、読売テレビによる笑点収録はないらしい。後述するが、笑点自体と上方落語協会は対立関係にはない。
OPで流れている『笑点のテーマ』(作曲:中村八大)も有名だが、実は放送当初は歌詞が付いていた。
だが、歌っていた当時の笑点メンバー (下記参照) があまりにも下手くそだったために数回でボツになり、以降はイントロのみが流れる事となった。これは後に『トリビアの泉』で取り上げられ、一躍話題となった。
なお、笑点のテーマの最後に「パフッ♪」と鳴るのは実は演奏上本来は存在しない音でありアクシデントであったが、タイミングが良くマッチした為そのままになった逸話がある。
現在の笑点のテーマは実は2代目。1967年1月から初代司会者の立川談志が降板するまで笑点音頭が流れていた。作詞は立川談志。歌は立川談志。石井伊吉、三遊亭圓楽、桂歌丸、柳亭小痴楽、三遊亭金遊、林家こん平。
こちらは談志がメインで歌い、それ以外のメンバーはバックコーラスでの参加だった。
たまに各門下の真打昇進した者のお披露目挨拶を大喜利前の演芸コーナー枠で行う事がある。
大喜利
本来、大喜利は寄席での余興であってその日の出演者達へのアンコール演目である。本番組では大喜利を「お題に対して面白い答えを出す」という「とんち」に絞った形で披露しており、その後のお笑い番組にも大きな影響を与えた。
司会者がお題を読み上げ、メンバーがそのお題に沿った回答をしていき、いい答えには座布団をあげ、悪い答えには逆に座布団を没収する。座布団には実際にメンバーが座っており、10段近くなるとかなりの高さとなる。
座布団の権限はたいていは司会者にあるが、座布団運びまたはメンバーの気分であげたりとったりする場合もある。そして見事に座布団10枚を達成したメンバーには、「キーワード」に因んだご褒美が与えられる。
座布団運びには専門の要員がついており、1984年からは山田隆夫が担当している。なお、この座布団は重さ2.3kgで、積み重なっても(更にその上に人が乗っても)崩れないよう綿のバランスが調整されている。値段は非公開だが「とても高価」とのことで、古くなったものはメンバーに引き取られている。
レギュラー大喜利のメンバーは江戸落語の3派(落語芸術協会、落語協会、圓楽一門会)のいずれかに所属する男性落語家に限定されるが、若手大喜利ではこの限りではなく、落語立川流(立川談春、立川生志、立川晴の輔)、上方落語協会(桂三四郎)、女流落語家(林家きく姫、川柳つくし、林家ぼたん、林家扇)、講談師(3代目神田山陽、神田蘭)などが出演していた。
※座布団10枚の達成者・ご褒美は座布団10枚を参照のこと。
なお、歌丸が5代目圓楽の代理として司会を務めていた2006年5月7日放送回(2015回)には、たい平が「少年よ大志を抱け」のキーワードにちなんで(?)タイから空輸してきた石、即ち「タイ石(証拠写真付き)」を獲得している。また、小遊三については、5代目圓楽が最後にレギュラーで司会を務めた2005年10月16日放送回(1988回)で「明日は明日の風が吹く」にちなんで、5代目圓楽の自宅押し入れから出てきた10年前の扇風機を獲得して以来、長らく10枚獲得がなかった。しかし、2013年12月1日放送回で10枚を獲得し、司会を歌丸が実質的に継承してから8年経って、漸く大喜利メンバー全員が座布団10枚獲得をなしとげた。
2015年5月24日からの賞品のキーワードは「笑点50周年にふさわしい超ものすごい商品」で、2016年5月8日放送回で昇太が獲得。50万円の南部箒が贈られ、舞台を掃除するというオチが付いた。
昇太司会就任後は座布団10枚のキーワードは特になく、2017年11月12日以降は「十枚箱に入っている素晴らしい賞品」が贈られると毎回説明が入る。
また、その年の最後の放送になると「年忘れ大喜利大会」と題し、3VS3のチーム対抗で大喜利を行うこともある。5代目圓楽政権では、毎回チーム編成が変わっていたが、歌丸政権では、「木久扇・好楽・小遊三」の年寄りチームと、「6代目円楽・昇太・たい平」の若手チームに固定されている。
2011年終了時点での戦績は以下の通り。
第1戦目(2007年) | 年寄りT ○-× 若手T |
---|---|
第2戦目(2009年) | 年寄りT ×-○ 若手T |
第3戦目(2010年) | 年寄りT ×-○ 若手T |
第4戦目(2011年) | 年寄りT ×-○ 若手T |
2020年5月17日放送回からは、新型コロナウイルスの感染拡大という状況により感染防止の観点において、司会の春風亭昇太以外のメンバーがそれぞれの自宅から収録参加する形でのリモート放送を開始。翌週の5月24日放送回では、史上初の「リモート大喜利」に挑戦。なおリモート化に伴って座布団を運ぶ山田隆夫は欠席となり、座布団の枚数はデジタル表示となった。大喜利では「自宅にある小物を使って“だじゃれ小話”をする」等リモートならではのお題が出された。収録の際は、三遊亭小遊三が飼い猫を持ち込む際に妻が画面に映り込んでしまったり、三遊亭好楽の回答中に救急車のサイレン音が入り込んだり、林家たい平の自宅の回線が一時切断されてしまったりと、リモートらしいハプニングも生まれた(笑点特大号の「若手大喜利」も、同年7月16日放送回からリモート大喜利を開始した)。なお、リモート放送ではやることが大きく限られるためか、毎回大喜利を実施しているという訳ではなく、過去の放送を視聴して楽しむという回もある。
その後、たい平や三平、隆夫の順に徐々に後楽園ホールに戻していき、9月27日放送回では4ヶ月ぶりに全員揃った(但し、メンバー間にアクリル板を挟んだうえで、前後ジグザグになるように並んでいる)
メンバー
現在の出演者(2022年1月1日現在)
司会者
名前 | 出演期間 | 司会在任期間 |
---|---|---|
春風亭昇太(6代目司会者) | 2006年5月14日 - | 2016年5月29日 - |
メンバー
名前 | 出演期間 |
---|---|
林家木久扇(加入当初:初代林家木久蔵) | 1969年11月9日 - |
6代目三遊亭円楽(加入当初:三遊亭楽太郎) | 1977年8月28日 - |
三遊亭好楽(加入当初:林家九蔵) | 1979年9月9日 - 1983年10月9日、1988年4月3日 - |
三遊亭小遊三 | 1983年10月16日 - |
林家たい平 | 2004年12月26日 - |
桂宮治 | 2022年1月23日 - |
座布団運び
名前 | 出演期間 |
---|---|
山田隆夫 | 1984年10月7日 - |
この他に、「例のもの」配りや後述する歌丸ジェノサイド時のような大幅な座布団の出入りの介助、さらに収録時の前説を担当する座布団運びアシスタントが存在している。
アシスタントは出演者(過去の出演者含む)を師匠・あるいは兄弟弟子に持つ若手〜中堅の落語家が担当している。6代目円楽も最初はアシスタントとして出演していた1人。
2021年現在の座布団運びアシスタントは以下の4名である。
過去の出演者
現在でこそ「笑点メンバー」というキーワードが一般化しているが、もともとは『金曜夜席』からの流れで真打に昇進したばかりの若手噺家がテレビでの顔見せに登場する場としていたため、2年ぐらいのスパンで回答者がほぼほぼいれかわる程度に出入りが激しかった。初代司会の談志の時代は(『金曜夜席』からの流れで)一貫して回答者5人。その後、前武交代直後に4対4の対戦形式を試すも不評で、1970年6月から現在の回答者6人体制となる。その後も入れ替わりはそこそこ頻繁に行われ、席の配置も頻繁に変えていた。初回からほぼ通しで出演していたのは三遊亭小圓遊と桂歌丸の2人ぐらい。
ここまでに看板的出演者だった小圓遊と三波がレギュラー出演のまま急逝しており、「『笑点』に長く出続けるとよろしくない死に方をする」という曰くまでついてしまう。この事もあって三波の死後、方々に司会を打診するもすべて断られ、やむなく7代目談志が降板する際になるべく噺家から大喜利の司会を出すなと言う意向を破って5代目圓楽に司会を打診することになる。余談だが、この談志も立川流の去就問題もあって一時期かなり追い詰められており、自殺騒動に発展している(談志の自殺願望を見抜いたのは木久扇の師匠である8代目林家正蔵、後の林家彦六)。結局は2011年に天寿を全うしたが。この事があって、5代目圓楽は身体の自由がまだしも効くうちに笑点を降板することを決意し、歌丸もまたそれに倣ったことで上記のイメージを払拭した。
5代目圓楽が司会に就任して以降、メンバー入れ替えが抑えられるようになり、1986年にほぼメンバー・席順とも固定化された。その後、1988年に一番圓楽よりにいた桂才賀が卒業し好楽と交代(復帰)、1992年にその好楽が師匠の圓楽に激しく叱責されたことをきっかけにまともに回答できなくなってしまったため、見かねた小遊三が自分と席を入れ替えさせたことで現在の配置となる(この時圓楽の方は歌丸が諌めている)。その後はこん平の病気休場による長期離脱(後にたい平の正式メンバー化により自動的に卒業)に伴うたい平の代理出演(後正式メンバー化)、圓楽引退・歌丸司会就任に伴う昇太加入、歌丸引退・昇太司会就任に伴う三平加入など、個々のメンバーのリタイヤに伴う入れ替わりの機会のみが続いたが、2021年に三平が「勉強しなおしてくる」と降板する事となった。また、2006年1月1日の大笑点では、番組内の予選大喜利トーナメント(決勝は笑点の名場面から出題される早押しクイズであった)を勝ち抜いた長州小力が、1日限りの大喜利メンバーとなり、木久扇と6代目円楽の間に座った。2014年4月6日では、二宮和也(嵐)が、1問目は座布団運び、2問目は回答者、3問目は司会補佐と、1日で大喜利の3役をこなしている。
司会者
名前 | 司会者の期間 | 回答者としての出演期間 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
初代 | 7代目立川談志 | 1965年3月12日※1 - 1969年11月2日 | なし | 1990年にも真打披露口上にて出演 |
2代 | 前田武彦 | 1969年11月9日 - 1970年12月13日 | なし | 落語家ではない |
3代 | 初代三波伸介 | 1970年12月20日 - 1982年12月26日※2※3 | なし | 落語家ではない |
4代 | 5代目三遊亭圓楽 | 1983年1月9日 - 2006年5月14日※4 | 1965年※1 - 1969年3月30日/1970年6月21日 - 1977年3月27日 | 2008年にもスポット出演あり |
5代 | 桂歌丸 | 2006年5月21日 - 2016年5月22日 | 1966年5月15日 - 1969年3月30日/1969年11月9日 - 2006年5月14日 | ※5 |
※2:三波はこの年の12月8日に急逝したため、年末特番体制を前倒しして乗り切った。
※3:三波の急逝に伴い、1983年の正月特番ではピンチヒッターとして愛川欽也起用。視聴者の評判はよく、そのまま正式な司会就任を要望されるも落語家をまとめる重責から断っている。同様のオファーは東八郎と山城新伍にも出されていた。
※4:5代目圓楽は『金曜夜席』時代初期にも大喜利のみ司会を努めたが、カラー化前に自らの希望で回答者に回り、司会を談志に交代した。
※5:歌丸は2016年の勇退後、終身名誉司会者として遇され、逝去するまで勤めた。その後、死去に伴って永世名誉司会に変わった。(しかし、この歌丸に対する「特別待遇」には疑問を呈す声もあり、特に挙げられるのが歴代最長の23年間司会を務めた5代目圓楽を差し置いて歌丸のみを名誉職に置くことはある意味両氏に対して失礼ではないかというものである)
レギュラーメンバー
- 初代柳亭小痴楽…のちの2代目春風亭梅橋
- 林家こん平
- 三遊亭金遊…のちの4代目三遊亭小圓遊
- 柳家かゑる…のちの5代目鈴々舎馬風
- 三升家勝二…のちの8代目三升家小勝
- 柳家さん吉
- 三遊亭好生…のちの春風亭一柳
- 春風亭栄橋
- 2代目三遊亭歌奴…のちの3代目三遊亭圓歌
- 4代目三遊亭金馬
- 9代目柳家小きん…のちの6代目柳家つば女
- 6代目三遊亭圓窓
- 三笑亭夢之助
- 古今亭朝次…のちの7代目桂才賀
- 2代目林家三平
座布団運び
- 三升家勝松…のちの4代目桂文字助
- 石井伊吉(毒蝮三太夫)…初期に本名名義で出演
- 三遊亭笑遊…のちの5代目三遊亭圓遊
- 初代三笑亭夢丸
- 小野千春
- 桂米助(ヨネスケ)…現在も真打・襲名披露口上などで芸協参事としてしばしば出演
- 松崎真…元々は悪役俳優
色紋付
大喜利メンバーは全員色紋付を着用している。当初は冬場の数ヶ月のみ着用していたが、カラーテレビの普及に伴い、カラー映像の色調整の意味合いもあって色紋付が定着した。
色は用意されたものを各メンバーが適当に選んだものがそのまま定着した。
派生番組
BS日テレで派生番組が放送されている。
笑点なつかし版
BS日テレで毎週火曜日と水曜日に放送される。
笑点デラックスの後継番組で、数度の改変を経て、現在は火曜日には桂歌丸司会時代が、水曜日には5代目三遊亭圓楽司会時代が放送される。
ただし、一部の回答や出演者挨拶がカットされたり、当時の放送と回答順が入れ替わって編集されている回がたまにある。
笑点 特大号
毎週水曜日にBS日テレで放送。
ディレクターズカットの大喜利や新撮の演芸などが放送される。若手大喜利もこの番組でよく放送され、春風亭吉好師匠が出演したこともある。
BS笑点ドラマスペシャル
BS日テレで2017年より1~2年に1作のペースで放送される単発スペシャルドラマシリーズ。
笑点歴代出演者のうち1人の半生をフィクション混じりに描いたもので、各回の登場人物はほぼ共通している(初代林家三平のように途中でキャストが交代となっている例もある)。
放送時点の笑点メンバーも春風亭昇太が古里光プロデューサー役で出演しており、回答者や座布団運びもエキストラやナレーターとして出演している。また、主人公が存命の回は、冒頭で本人が案内役を務めている。
これまでに主役として取り上げられたメンバーは次の通り。
余談
タイトル
この「笑点」という番組タイトルは
放送開始当時の高視聴率TVドラマにして、北海道旭川市の作家・三浦綾子の小説「氷点」をもじって名付けられたという。
放送事故
1987年6月、笑点の前座枠にて放送された『NNNニューススポット』のオープニングで笑点のテーマが流れる放送事故が発生した。
大喜利の座布団
笑点の座布団は一般の座布団より重く作られており、重ねて座った際に崩れにくくなるようになっている。そのため、座布団運びでまとめて数枚持って行く場合、特に没収時は結構な重量になるという。その座布団の価格は高級ちりめんで作られていることもあって、約36000円である。
上方落語と笑点
笑点の大喜利は江戸落語の噺家でメンバーが固められているが、演芸コーナーでは関西の漫才師が度々登場することからも分かる通り江戸落語の業界の排他性は番組内においてはある程度薄められている。(上方落語にも上方落語協会はあるが、江戸落語と異なり儀礼的組織で興行は芸能事務所に所属して芸能事務所が執り行う。上方落語家が漫才師やその他のお笑い芸人との垣根が低いのはこのためである)。また正月のスペシャル番組や上方落語家と笑点メンバーの選抜組とがチーム対抗する東西大喜利対決も行われている。
また、笑点の司会席はもともと見台・膝隠と呼ばれる上方落語の道具である(江戸落語では邪道とされる)。
なお上記にもあるが上方落語のお膝元である関西地区では「笑点」の地方収録は行われていない。
関連動画
関連タグ
テレビ番組 落語 座布団一枚
TOKIO(ジャニーズ):グループで2005〜2008、2014、2016年にゲスト出演しており、大喜利レギュラーメンバーとの大喜利対決では6戦全勝している。
ナポレオンズ:演芸コーナーで最多出演を誇る。
綾瀬はるか:昇太政権にて、正月スペシャルで毎回共演している。
笑点のコラボタグ一覧
松点:おそ松さんとのコラボタグ
笑点×ラブライブ:ラブライブ!シリーズとのコラボタグ
アイマス×笑点:アイドルマスターとのコラボタグ
笑点のネタ
笑点メンバー罵倒集
歌丸ジェノサイド:5代目司会の桂歌丸師匠が全員の座布団をすべて没収する行為。
ブラック団:6代目三遊亭円楽師匠が林家たい平師匠と春風亭昇太師匠を巻き込んで半ば強制的に結成した集団。
死亡ネタ:笑点で歌丸をいじるにあたって出たネタの1つ。
やるかジジイ:笑点で楽太郎師匠が歌丸師匠を罵倒するときによく放ったセリフ。