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三遊亭圓歌

さんゆうていえんか

三遊亭圓歌は落語の名跡である。2019年3月、三代目の弟子・三遊亭歌之介が四代目を襲名。
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初代(1876年 - 1927年)編集

初代三遊亭圓右門下。


二代目(1890年 - 1964年)編集

昭和噺家名人撰 二代目三遊亭圓歌

初代三遊亭圓歌門下。元落語協会副会長


三代目(1932年 - 2017年)編集

[メイン画像の人物。]

1932年1月10日生まれ。東京都出身。元落語協会会長。

本名は中沢信夫。僧侶としての法号(後述)は圓法。実は1929年生まれ説があるが、公式では1932年生まれとなっている。


戦前は国鉄職員として、新大久保駅の駅員を務めた。

終戦後に退職、2代目円歌に入門した。前座名・歌治。

1948年4月に二つ目に昇進し、2代目三遊亭歌奴に改名。(初代歌奴は師匠・2代目円歌の前の名前)

1958年9月に真打昇進。

この頃黎明期のテレビ演芸番組に多く出演し、1960年代は売れっ子芸人の一人になる。外国アニメ『ドラ猫大将』ではメインキャラの一人・ベニ公を演じている。

一時期「笑点」の大喜利メンバーとして出演したり、昭和天皇の前で御前公演をしたり、浪曲好きが昂じて浪曲師に弟子入りもした。

1970年9月、3代目圓歌を襲名。以後はテレビ出演を控え、高座に専念した。


古典・新作双方をこなす。新作の『授業中』『浪曲社長』『中沢家の人々』が有名だが、古典でも『替わり目』『坊主の遊び』『西行』などのレパートリーを持つ。この境目となる『電報違い』という変わりネタも持つ。

様々な意味で破天荒な人であり、同世代の林家三平とともに「落語界をめちゃくちゃにした(本人談)」。いろんなことをボヤいたり、同業者を容赦なくネタにしたり、中には客を批判しているように見せかけて絶妙に笑い話につないでいくという、ちょっと毒のある芸風が特徴。自身の吃音症や戦争時代に死んだ知人の話などもしれっと混ぜて反動で笑い話にしてしまう。

地噺やマクラにはどこまで本当か分からない絶妙なリアリティがあり、『中沢家の人々』『昭和の噺家』『私の駅員時代』などは代表的。噺家の言うことを本気にするなと本人が言っている始末。

桂歌丸は実家が遊郭だったが、この人は生まれが私娼窟の向島であることに加えて本人の趣味が廓遊びだったこともあり、艶噺に歌丸とは違った絶妙にいやらしいリアリティが出る。『坊主の遊び』などではこれが存分に発揮される。今では歌丸タウンとしてすっかりクリーンなイメージになった真金町の在りし日も知っているようで、たまにクスグリに使っていた。


1985年に出家。日蓮宗久遠寺で修行し、僧侶「本遊院圓法日信」と噺家「三遊亭圓歌」の二つの草鞋を履く。

年配になってからの仏門へ入門だったため、お経を唱えながら水垢離を行っている最中に心筋梗塞で倒れ入院。退院後の病室は著名人が立て続けに入院して亡くなっていったこと、マスコミからの問い合わせに対し、弟子が言い間違えて『病状は(自主規制)です。』と答えたこと、自分の両親、亡くなった前妻の両親、再婚した妻の両親と計6名と同居していたこと、自分が日蓮宗の僧侶なのに後ろで6人揃って念仏を唱えられたこと(日蓮宗は念仏に批判的である)を『中沢家の人々』でネタにしている。


高座では初めて黒以外の色の紋付きを着て務めた噺家である。


落語協会では副会長⇒会長⇒相談役についている。

弟子も多く、その中には

がいる。


2017年4月23日、腸閉塞により85歳で病没。

その7年後、弟子の4代目円歌が起こした不祥事を報じる記事に顔写真が間違って掲載され、7年ぶりに人々に話題を届けた。



関連項目

笑点 三遊亭小圓遊 桂歌丸 林家木久扇(初代林家木久蔵) 三遊亭金馬


四代目編集

三遊亭歌之介師匠

三代目の弟子の一人・三遊亭歌之介が2019年3月に四代目・三遊亭圓歌を襲名することが発表された。

報知スポーツより。


外部リンク編集

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