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私の概要です!編集

落語協会所属の落語家(1953-)。本名は大塚英夫(おおつか ひでお)。

昭和後期の東の名人と謳われた3代目古今亭志ん朝の弟子。現在は協会理事も勤める。


1972年3月に3代目古今亭志ん朝に入門、前座名は朝助。1977年3月に二つ目に昇進し、師匠志ん朝の前名・古今亭朝太に改名。1985年9月に真打に昇進して「志ん輔」に改名。

同期に真打昇進した者には26人抜きの抜擢となった10代目柳家小きん(のちの4代目桂三木助)、9代目桂文治門下から志ん朝門下に移籍し笑点で活躍した古今亭朝次(後の7代目桂才賀)ら錚々たる面々がいるが、同期の中のトップとして扱われた。


おかあさんといっしょでのしんすけさんですよ~!編集

だが、30代半ば未満の人たちにとっては、「おかあさんといっしょ」にヘビくんとブタくんと一緒に出てた人、という印象が強いだろう。

1984年より「おかあさんといっしょ」に出演、「朝太ショー」というコーナーを設ける。翌年、真打昇進と同時に「志ん輔」に改名した事に伴い、コーナーも「志ん輔ショー」に改名。

ごくごく初期から知る人にとっては「朝太おにいさんの名前が変わっちゃった!」と驚きの方もいただろうが、慣れた。そして志ん輔となって以降は30代を越えていたこともあり、おにいさんというイメージも無くなり(もっとも歌及び体操のおにいさんの平均就任年齢ではあるが)、単に「しんすけ」とだけ覚えられることも多くなった。

現在でも、「弘道おにいさん」やら「しょうこおねえさん」と元出演者がおにいさん・おねえさん付で呼ばれることも多い中、志ん輔はその特殊なポジションから「しんすけ」とだけ覚えている人が大半なのではないだろうか(実際、キャストクレジットでも、おにいさんおねえさんを差し置いて最初に紹介されるという、優遇っぷりだった)。


「おかあさんといっしょ」にはその後、足かけ15年に渡って出演。この記録は歴代のうた・たいそうのおにいさん・おねえさんの誰よりも上回るし、人形劇の人形たちをも上回る最長記録であった。1999年、相棒のヘビくん、ブタくんと一緒に番組を卒業した。


共演者編集

うたのおにいさん編集

6代目:林アキラ 1984年~1985年

7代目:坂田おさむ 1985年~1993年

8代目:速水けんたろう 1993年~1999年(同時退任)


うたのおねえさん編集

15代目:森みゆき 1984年~1987年

16代目:神崎ゆう子 1987年~1993年

17代目:茂森あゆみ 1993年~1999年(同時退任)


たいそうのおにいさん編集

8代目:瀬戸口清文 1984年~1987年

9代目:天野勝弘 1987年~1993年

10代目:佐藤弘道 1993年~1999年


身体表現のおねえさん編集

初代:馮智英 1984年~1994年

2代目:松野ちか 1994年~1999年(同時退任)


人形劇編集

8代目:にこにこぷん 1984年~1992年

9代目:ドレミファ・どーなっつ! 1992年~1999年


その後はどうしてるかって?編集

2014年10月、神田須田町にオープンした落語・講談の二ツ目専用寄席「神田連雀亭」にプロデューサーとして関わっている。


弟子は古今亭始。元の名を半輔。1984年の生まれで、彼も志ん輔ショーを見て育った一人かもしれないが、そこの詳細は不明である。



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落語家 おかあさんといっしょ のりもの探検隊

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