ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

目次 [非表示]

私の概要です!

落語協会所属の落語家(1953-)。本名は大塚英夫(おおつか ひでお)。

昭和後期の東の名人と謳われた3代目古今亭志ん朝の弟子。現在は協会理事も勤める。


1972年3月に3代目古今亭志ん朝に入門、前座名は朝助。1977年3月に二つ目に昇進し、師匠志ん朝の前名・古今亭朝太に改名。1985年9月に真打に昇進して「志ん輔」に改名。

同期に真打昇進した者には26人抜きの抜擢となった10代目柳家小きん(のちの4代目桂三木助)、9代目桂文治門下から志ん朝門下に移籍し笑点で活躍した古今亭朝次(後の7代目桂才賀)ら錚々たる面々がいるが、同期の中のトップとして扱われた。


おかあさんといっしょでのしんすけさんですよ~!

だが、30代半ば未満の人たちにとっては、「おかあさんといっしょ」にヘビくんとブタくんと一緒に出てた人、という印象が強いだろう。

1984年より「おかあさんといっしょ」に出演、「朝太ショー」というコーナーを設ける。翌年、真打昇進と同時に「志ん輔」に改名した事に伴い、コーナーも「志ん輔ショー」に改名。

ごくごく初期から知る人にとっては「朝太おにいさんの名前が変わっちゃった!」と驚きの方もいただろうが、慣れた。そして志ん輔となって以降は30代を越えていたこともあり、おにいさんというイメージも無くなり(もっとも歌及び体操のおにいさんの平均就任年齢ではあるが)、単に「しんすけ」とだけ覚えられることも多くなった。

現在でも、「弘道おにいさん」やら「しょうこおねえさん」と元出演者がおにいさん・おねえさん付で呼ばれることも多い中、志ん輔はその特殊なポジションから「しんすけ」とだけ覚えている人が大半なのではないだろうか(実際、キャストクレジットでも、おにいさんおねえさんを差し置いて最初に紹介されるという、優遇っぷりだった)。


「おかあさんといっしょ」にはその後、足かけ15年に渡って出演。この記録は歴代のうた・たいそうのおにいさん・おねえさんの誰よりも上回るし、人形劇の人形たちをも上回る最長記録であった。1999年、相棒のヘビくん、ブタくんと一緒に番組を卒業した。


その後はどうしてるかって?

2014年10月、神田須田町にオープンした落語・講談の二ツ目専用寄席「神田連雀亭」にプロデューサーとして関わっている。


弟子は古今亭始。元の名を半輔。1984年の生まれで、彼も志ん輔ショーを見て育った一人かもしれないが、そこの詳細は不明である。



関連タグも、よろしくね!

落語家 おかあさんといっしょ のりもの探検隊

関連記事

親記事

落語家 らくごか

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 898

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました