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概要編集

1968年7月14日生まれ。東京都新宿区出身。太田プロ所属。ファンからの愛称「ひろみちおにいさん」


NHKの教育番組『おかあさんといっしょ』にて10代目たいそうのおにいさんに抜擢され、1993年から2005年までの実に12年という長い期間を務め上げた。これは歴代でも3位に入る長さである。

一躍「たいそうのおにいさん」として名前が広く知られるようになり、派生番組である「おかあさんといっしょ あそびだいすき!」では同期であったタリキヨコ(3代目身体表現のおねえさん)と共にメインパーソナリティとして出演していた。


『おかあさんといっしょ』を卒業した2005年以降は、子ども中心の体操教育に従事する傍ら、タレントとしての民放への出演も多くなる。


2015年には弘前大学大学院医学研究科博士課程を修了し、医学博士になった。


2024年6月に脊髄梗塞を発症し、下半身不随となり芸能活動休止を発表。それから約2ヶ月に渡るリハビリの末、同年8月20日に退院を報告。歩けるまでに回復したものの、下半身の麻痺やしびれが残り、歩行に不自由を感じる状態であることを明らかにした。

その後、同年10月5日に放送された『おかあさんといっしょ』の65周年特集では、番組の後輩である小林よしひさ福尾誠と共にゲスト出演。椅子に座ったままの状態(同時期に足を負傷していた佐久本和夢も同様)ではあるものの、歴代の体操曲をミックスした「たいそうメドレー」を披露した。


人物編集

一般的には爽やかな正に「たいそうのおにいさん」然としたキャラクターで通っているが、母が非常に作法に厳しかったこともあり、私生活ではタオルをきっちり畳むほどに几帳面人物


なお、後任の小林よしひさ氏(在任期間第1位)は大学の後輩である。


2003年頃から活躍したイチジョウマンという忍者ヒーローの正体という噂もあるが、正体は謎のままである。


1997年に長男、2000年に次男が誕生している。


体操のお兄さんのオーディションの話を持ち掛けたのは後の妻であり、彼女は日本体育大学の同級生で当時テレビ体操の出演者だった。


共演者編集

うたのおにいさん編集


うたのおねえさん編集


身体表現のおねえさん編集


その他編集


人形劇編集


関連タグ編集

おかあさんといっしょ


うらみちお兄さん:彼をネーミングモデルにしたと思しき漫画。本人も存在は知っており、公式Twitterで「気になる漫画を見つけたぞ」とツイートしている。

グロみちお兄さん;ニンテンドーDSソフト「ひろみちお兄さんの親子体操ナビ 親子のスキンシップ&体力づくり」のプログラムを損壊させ、崩壊していく佐藤弘道を観賞する遊び

東京フレンドパーク「弘道お兄さんと言えばこの番組」と印象に残ってる声も複数いるだろう。特に見所はウォールクラッシュであり、CLEAR上に飛行機セットがあった頃は何度もCLEARゾーンにいった事が何度もあり、一部の回ではルールそっちのけで自らよじ登り飛行機セットのプロペラを停止させた事がある。

SASUKE:フレパ同様こちらの番組にもほぼ毎回出場している。第22回大会と第24回大会では2ndステージに進出した。


歴代たいそうのおにいさん

天野勝弘佐藤弘道小林よしひさ

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