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落語家

らくごか

『落語家』とは、落語を生業とする伎芸者の総称。
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概要

日本独自の話芸『落語』に従事する専業芸能者を指し、同義の古典表現噺家」も併用される。

近現代では、「落語家=落語を演じる人」という広義的解釈から各教育機関の落語研究会(以下、落研)に所属する学生、または趣味が高じて落語を演じる素人も「アマチュア落語家」として分類される。

身分制度

芸事である以上、芸歴と技術に応じた身分制度が確立されており、最も有名なのは江戸落語界の真打制度(見習い前座→二つ目→真打)である。第二次世界大戦終戦直後には深刻な人員不足を理由に『前座飛ばし』(見習いと前座の修行期間を飛び越して二つ目待遇で高座に上がる)が黙認された時期もあったが、基本的には所属協会の審査会議で昇進の可否が決定され、入門から真打昇進までに15年前後の下積みを必要とする。

上方落語界では事情が異なり、第二次大戦前にこそ同様の「前座→中座→真打」が存在したが、戦禍による定席の消滅と共に明確な真打制度も消え失せてしまい、現在では桂および笑福亭門派のベテランや直接の師匠などが合議して年季、実力、人気を総合的に判断し、昇進や名跡襲名を決定している。

ただし、名人級の師匠や先輩、席亭(寄席を経営する興行主)などの強い推薦があり、所属協会にその実力と実績を認められた者は年季に関わらず特進を許される特例が存在し、1962年5月に8代目桂文楽の推薦を得た3代目古今亭志ん朝が実現した「入門5年目36人抜き」が現在までの真打昇進最速記録となっている。

小道具と演出

小道具

扇子手拭いのみを小道具として用い、巧みな話術と所作を駆使して聴かせる素噺(すばなし)を基本とするのは東西共通だが、江戸落語では幇間が披露した座興に端を発する座敷芸として発展した経緯から湯呑みを備える場合が多い一方、上方落語では露天の客寄せに端を発する辻語りや啖呵売として発展した経緯から見台、隠し、小拍子一式を、演目によってはこれに叩きを加えて高座に備える場合が多い。

例外の一例としては、江戸落語界では事故を通じて切断した左を隠すために見台を用いた3代目三遊亭金馬、上方落語界では全身を使う躍動感溢れる独特の所作のために敢えて見台一式を取り払った2代目桂枝雀が挙げられる。

演出

いかにも落語らしい演出の1つに『すすり』が挙げられ、文化の相違から江戸落語ではそばを、上方落語ではうどんをすすりの基本としている。

当然ながら、そばとうどんではの太さが違うためにすすりのでその違いを明快に表さなければならず、そばに至っては所作も含めて「もりそばとかけそばの違い」、はたまた『時そば』に見られるような「完璧に茹で上げられたコシのあるそばとグダグダに煮えきったコシの無いそばの違い」にまで徹底的なリアリズムを要求される。

しかし、このすすりの音を左右するの使い方は各人が独自に習得するというのが落語界の常識であり、苦心してすすりの基礎を会得したとしても「麺物と汁物の違い」「味噌汁の違い」「老若男女貴賎の違い」が続々と待ち構えているため、どうしてもすすりが習得できない、あるいはすすり自体は習得してもすすり分けが未熟な者はすすりを必要としない噺に進みがちである。

また、講演中の鳴り物(太鼓三味線、鉦、銅鑼など)についても東西では扱いが異なり、江戸落語では芝居噺や怪談噺などのごく一場面に効果音として用いるのに対し、上方落語では「はめもの」と称してそれらを臨場感に満ちた場面転換や風景描写のためにふんだんに奏でる大きな違いがある。

亭号

現在、専業者として認知されている亭号は少なくとも20以上が存在するが、その一部には上方落語で活躍した者が江戸に移る、またはその逆によってそれぞれの名跡が定着した事例、さらには同じ亭号を名乗りながら東西で分派、独立しているものもあり、代表例である桂号については別記事桂米朝』の項目「文治の名跡」に詳しい。

江戸落語界

三遊派

山遊亭猿松(さんゆうてい えんしょう、初代で三遊亭圓生に改名)を宗家とし、人情噺を得意とする系譜。定紋は『三つ組』。

古今亭、金原亭、橘家、月の家、三升家、むかし家、蝶花楼、昔々亭、五街道、桃月庵、五明楼、橘ノなど最も多くの派生を持つ流派である一方、派閥を超えて19回も改名を繰り返した5代目古今亭志ん生弟子後輩が襲名する名跡の差配を好んで行っていた8代目文楽、継承者を失ってに埋もれた古い名跡を次々と発掘再興する五街道雲助らによる名跡操作の結果、同じ亭号や名跡で直系と傍系が入り交じる複雑怪奇な系譜となっている。

六代目 三遊亭圓生師匠
十代目 金原亭馬生師匠
八代目 橘家圓蔵さん
三遊亭圓生(6代目)金原亭馬生(10代目)橘家圓蔵(8代目)

柳派

麗々亭柳橋(れいれいてい りゅうきょう、6代目で春風亭柳橋に改号)を宗家とし、滑稽噺を得意とする系譜。定紋は『五瓜に唐花』。

初代柳橋の弟子であった初代春風亭柳枝、初代柳枝の弟子であった柳亭燕枝(後の初代談洲楼燕枝)、初代燕枝から3代目柳枝に移籍した柳家枝太郎(後の4代目柳亭左楽)が春風亭、柳亭、柳家号の祖という直系直属の流れに加え、柳橋の師であった船遊亭扇橋(現名跡・入船亭扇橋)、初代三升亭小勝(現名跡・三升家小勝)に見出された初代瀧川鯉かんの弟子であった3代目柳橋と3代目立川談志、5代目柳家小さんの弟子であった7代目談志と4代目鈴々舎馬風(元は金原亭・馬派名跡)も含む密接な系譜となっている。

元を辿れば麗々亭や春風亭でありながら今なお流派を柳派と称するのは、江戸落語中興の祖と謳われた初代三遊亭圓朝率いる三遊派に対して柳亭を号していた頃の燕枝が中心となって相争った先史に加え、柳派関連の亭号を5代目小さんが柳家主導で統括した事に由来する。

五代目 小さん師匠
立川談志
それじゃダメじゃんの人
柳家小さん(5代目)立川談志(7代目)春風亭昇太

三笑派

山生亭花楽(さんしょうてい からく、初代で三笑亭可楽に改名)を宗家とし、頓智噺や謎掛け問答、初代可楽が創始した三題噺(客から出された3つのテーマ即興の噺を演じる)を得意とする系譜。定紋は不明。

東西に存在する桂号と林家号に深い縁を持つ流派であり、初代可楽門下であった初代林屋正藏(5代目で林家正蔵に改名)の弟子に上方落語界における林家号の祖となった初代林家正三、2代目可楽の弟子に江戸落語界における桂号の祖となった江戸3代目桂文治(後の初代文楽)が名を連ねている。

一方、元々は三笑派の亭号であった雷門号については、初代可楽を師に持つ初代朝寝房夢羅久(2代目で朝寝坊むらくに改名)の弟子であった2代目立川金馬が初代雷門助六に改名した事で生まれたが、3代目志ん生が5代目助六を襲名して以降は三遊派、柳派とも関わりを持つようになり、現在の9代目助六は古今亭に縁を持つ6代目助六の流れを汲む三遊派に属している。

先述の初代扇橋は初代可楽の弟子、即ち初代柳橋からすれば大師匠に当たり、さらに初代圓生が最初に入門した東亭一門が初代可楽門下の系列にある事から三遊派および柳派の先祖と称するに等しく、江戸二大諸派を「亭号の隆盛から見た『三遊派・柳派』」とする者と「名跡の歴史から見た『三笑派・三遊派』」とする者に分かれている。

三平さん
林家正蔵(8代目)林家三平(初代)林家三平(2代目)

※補足
三笑派直系の林家号は東西共に断絶しており、現在の林家号は

  • 江戸林家:6代目正蔵(2代目燕枝門下)
  • 上方林家:2代目林家染丸(3代目笑福亭松鶴門下)

をそれぞれの祖としている。

上方落語界

上方桂一門

桂文枝(かつら ぶんし)を宗家とし、商家噺や噺を得意とする系譜。定紋は『結三柏』。

元々は初代文治を始祖とする一門だったが、3代目で名跡が上方と江戸に分派し、上方4代目文治の弟子であった初代文枝が名跡襲名を拒否したために上方桂一門宗家の名跡が文枝に変わった。江戸代に倣う特例で一度だけ復活した7代目文治以降、上方落語界では文治の名跡は完全に封印されている。

第二次大戦前は初代文枝とその弟子の『桂派四天王』(文三、文之助、文團治、文都)、初代文團治一門から現れた初代桂春團治が世間を賑わせ、戦後は絶滅寸前であった上方落語界の復興に生涯を捧げた『上方落語四天王』に2代目桂あやめ(後の5代目文枝)、2代目桂小春(後の3代目春團治)、3代目米朝が名を連ね、さらに文枝一門からは桂三枝(現・6代文枝)や桂文珍、春團治一門からは4代目桂福團治や2代目桂春蝶、米朝一門からは2代目枝雀、2代目桂ざこば桂吉朝などを次々と世に送り出した。

また、2代目桂小春團治が2代目露の五郎を経て2代目露の五郎兵衛を襲名、2代目桂小米朝が2代目月亭文都以来の月亭号を復活させて月亭可朝に改名した事で露の、月亭2つの亭号も桂一門に属している。

五代目 桂文枝さん
テリーマン
桂文枝(5代目)桂春團治(3代目)桂米朝(3代目)

笑福亭一門

笑福亭松鶴(しょうふくてい しょかく)を宗家とし、長屋噺や噺を得意とする系譜。定紋は『五枚笹』。

元々は松富久亭松竹(しょうふくてい しょちく)を始祖とする一門だったが、松竹の弟子であった初代笑福亭吾竹から現在の亭号となり、後に5代目吾竹が3代目松鶴一門に移籍したために松鶴が笑福亭宗家の名跡となった。

上方四天王唯一の他派であり、年長者の立場から5代目文枝、3代目春團治、3代目米朝の3人を牽引した6代目松鶴と、その弟子の笑福亭仁鶴、2代目笑福亭鶴光笑福亭鶴瓶らの活躍によって桂一門に劣らぬ勢力を築き上げた。

また、3代目松鶴の弟子であった5代目笑福亭松喬が2代目染丸(先述参照)を襲名、3代目笑福亭福松の弟子であった笑福亭福郎が藤山寛美の命名によって初代森乃福郎に改名、2代目笑福亭松之助の弟子であった笑福亭さんまが松之助の一存によって明石家さんまに改名した事で上方林家、森乃、明石家3つの亭号も笑福亭一門に属している。

六代目 笑福亭松鶴師匠
鶴瓶師匠
さんまさん
笑福亭松鶴(6代目)笑福亭鶴瓶明石家さんま

※補足
明石家号は、2代目松之助が自身の本名明石徳三』(あかし とくぞう)から取って作った独自の亭号であると同時に、2代目松之助一門における事実上の公称亭号でもある。

系譜上では、一番弟子に当たる明石家つる松(後の橘家圓三)、二番弟子に当たる明石家小禄(後の五所の家小禄)が三番弟子のさんまに先んじて名乗っているが、つる松は3代目染丸一門、小禄は2代目五郎一門からの移籍者であり、さらにつる松は3年後に橘ノ圓都一門に移籍、小禄は1992年に廃業したために松之助の直弟子であるさんまが明石家一門筆頭、ひいては2代目松之助一門の総領弟子となっている。

学生落語その他

落研に所属する学生、並びに同好の士で結成された集団に所属する一般人は、基本的に自身で考案した一代名跡を名乗って活動する。

しかし、それらの集団にも長い年月を経る中で亭号継承や名跡襲名といった本業同様の体制が確立された事例が存在し、以下に挙げる落研の亭号はその代表例である。

浪漫亭

関西大学落研『落語大学』が伝承する6亭号(浪漫亭、千里家関大亭爪田家花の家)のうち、創設メンバーが名乗った最も古い2大亭号の1つ(もう1つは千里家)。

第一期生の1人である6代文枝が名乗った浪漫亭ちっく(ろまんてい-)が有名。

紫紺亭

明治大学落研が伝承する5亭号(紫紺亭、駿河亭生田家和泉家お茶の家)のうち、最も格の高い亭号。

4代目を三宅裕司が、5代目を立川志の輔が、6代目を渡辺正行が立て続けに襲名した紫紺亭志い朝(しこんてい しいちょう)はアマチュア落語界の大看板であり、2015年時点で21代目を数える。

桂三枝師匠
三宅裕司さん
立川志の輔師匠
浪漫亭ちっく紫紺亭志い朝(4代目)紫紺亭志い朝(5代目)

落語家団体

東京

落語協会

現会長は4代目柳亭市馬

1923年に起こった関東大震災で壊滅的な被害に遭い、江戸落語界に最大の危機が訪れた時に5代目左楽が東奔西走し、江戸落語諸派と一致団結して『東京落語協会』を設立する。ところが、翌1924年には早くも協会分裂が発生する事態に陥り、初代会長を務めた5代目柳亭左楽を含む多数が脱退して『睦会』を再興。3年後の1927年には、初代柳家三語楼が一門ごと脱退して全く同名の落語協会を設立し、区別のために前者を「東京落語協会」、後者を「三語楼協会」と称するようになった(三語楼協会は1930年に解散)。

1940年5月、『日本芸術協会』(後の落語芸術協会)などと合流して『日本芸能文化連盟』が結成され、その傘下にある『講談落語協会』で活動を再開する。1945年の終戦後、再び分裂して講談落語協会が解散となったために落語協会が事実上の復活を遂げ、1946年10月に4代目小さんらによって正式に復活を果たした。

この後も1978年と1983年に協会分裂(前者は5代目小さんと6代目圓生の対立、後者は5代目小さんと7代目談志の対立)を経験するが、「東京4大定席」とされる上野鈴本演芸場新宿末廣亭池袋演芸場浅草演芸ホールを全て使用できる唯一の江戸落語家団体として君臨し続けている。

****小さん一門
3代目柳家小さんを祖とする、落語協会の最大派閥。3代目蝶花楼馬楽、4代目柳家小さん、柳家金語楼、5代目古今亭今輔、9代目桂文治などの弟子を育て、4代目小さんの弟子の5代目柳家小さんが継承し、4代目柳家小せん、5代目鈴々舎馬風、10代目柳家小三治、6代目柳家つば女、3代目柳家小満ん柳家さん喬、3代目柳家権太楼柳家小里ん柳家三寿、4代目柳亭市馬、5代目小さんの孫の柳家花緑などの各一門に分かれるほか、3代目桂三木助の元弟子の9代目入船亭扇橋や6代目三遊亭圓生から破門された川柳川柳、芸協の2代目桂小南一門から落語協会に移籍した2代目桂文朝と桂南喬、同じく2代目桂枝太郎一門だった3代目桂文生も所属していた。
****圓歌一門
初代三遊亭圓歌を祖とする。そこから2代目円歌(2代目のみ新字体)を経て3代目三遊亭圓歌に継承され、そこから三遊亭歌司三遊亭歌之介三遊亭歌る多三遊亭歌武蔵などの各一門に分かれる。
****金馬一門
初代圓歌の弟子で2代目円歌の兄弟子だった3代目三遊亭金馬を祖とする。彼自身は落語協会を脱退し東宝名人会に所属していたが、弟子の4代目三遊亭金馬が1964年に入会し3代目三遊亭小金馬、息子の三遊亭金時らと一門を形成している。
****志ん生一門
3代目古今亭志ん生を祖とする。そこから4代目志ん生を経て5代目古今亭志ん生に継承され、長男の10代目金原亭馬生、次男の3代目古今亭志ん朝、手話落語の達人2代目古今亭圓菊の各一門に分かれる。
****圓生一門
6代目三遊亭圓生の弟子の内、落語三遊協会解散後に落語協会に復帰した三遊亭圓彌三遊亭生之助、6代目三遊亭圓窓三遊亭圓丈三遊亭圓龍らを指し、生之助以外はそれぞれ弟子を育てている。
****彦六一門
林家彦六を祖とする。そこから5代目春風亭柳朝、2代目橘家文蔵、3代目三木助の元弟子の林家木久扇、8代目春風亭柳枝の元弟子の7代目春風亭栄枝、3代目八光亭春輔の各一門に分かれ(春輔に弟子はいない)、さらに柳朝一門は春風亭一朝春風亭小朝春風亭正朝の各一門に、文蔵一門は林家正雀、3代目桂藤兵衛、3代目橘家文蔵の各一門に分かれる(藤兵衛に弟子はいない)。
****馬楽一門
現在は6代目馬楽の弟子の7代目蝶花楼馬楽のみで、彼には弟子はいない。
****文楽一門→圓蔵一門
8代目桂文楽を祖とする。文楽の死後6代目三升家小勝、5代目小さん、7代目橘家圓蔵の各一門に分裂し、6代目小勝一門は彼の死に伴い解散、7代目圓蔵一門から初代林家三平、8代目橘家圓蔵、8代目文楽の元弟子の9代目桂文楽などの各一門に分かれ、三平が亡くなると弟子達は6代目小勝の元弟子の8代目小勝を除き林家こん平一門となる。8代目圓蔵門下では橘家竹蔵と6代目月の家圓鏡にそれぞれ弟子がいる。
****9代目文治一門(消滅)
さまざまな師匠に仕えた9代目桂文治を祖とした。彼には10代目翁家さん馬と7代目桂才賀の2人の弟子がいたが、文治の死後才賀は志ん朝一門に移籍、さん馬は弟子を取らぬまま2008年に亡くなる。

芸能事務所に所属するのは
・5代目春風亭柳朝や弟子の春風亭小朝等は個人事務所所属。
・木久扇一門は『有限会社トヨタアート』(木久扇が立ち上げた芸能事務所)所属。
・初代三平一門は『ねぎし事務所』(こん平のみ個人事務所)がマネージメント。

落語芸術協会

現会長は桂歌丸

折しも人気絶頂にあった柳家金語楼が「ラジオに出演する芸人は寄席の出演禁止する」という席亭一同の協定によって定席から締め出されていた頃、東京進出を果たした吉本興業が金語楼に強い興味を抱き、吉本興業の誘いを快く受けた神楽坂演芸場席亭の千葉博巳が目を付けていた6代目春風亭柳橋と共に金語楼を売り出す算段を整え、1930年に6代目柳橋を初代会長とする日本芸術協会を設立する。

しかし、翌1931年に金語楼が協会を去ってしまい、1940年5月に落語協会などと合流して日本芸能文化連盟を結成し、講談落語協会として活動を続けたが1945年の分裂に際して日本芸術協会に戻る。1977年に『落語芸術協会』に改称するも、1984年に鈴本演芸場と絶縁したためにしばらくは上野の『株式会社 吉池』本店ビル(通称「吉池デパート」)7階を拠点とし、1996年からお江戸上野広小路亭を使用している。

2代目笑福亭鶴光は上方落語協会と落語芸術協会双方に籍を置いており、東京の寄席でトリを務める資格を持つ唯一の上方落語家である。

****小文治一門
2代目桂小文治を祖とする、芸協の最大派閥。さまざまな師匠に仕えた5代目古今亭今輔、同じく2代目桂枝太郎、6代目雷門助六の元弟子の4代目三遊亭圓遊、3代目金馬の元弟子の2代目桂小南、10代目桂文治の各一門に分かれ(ただし枝太郎一門は3代目桂圓枝桂枝助の死、桂文生の落語協会移籍で消滅、桂歌春は歌丸一門に引き取られる)、さらに今輔一門は4代目桂米丸、3代目三遊亭圓右の両一門に、米丸一門は今輔の元弟子の桂歌丸、桂米助などの各一門に分かれる。ちなみに、今輔→米丸→文治→歌丸と、1974年からこの一門が芸協会長職を独占している。
****圓馬一門
3代目三遊亭圓馬を祖とする。そこから4代目圓馬に継承され、4代目三遊亭小圓馬、3代目三遊亭遊三、3代目橘ノ圓などの各一門に分かれ、さらに遊三の弟子に三遊亭小遊三らがいる。
****柳橋一門
6代目春風亭柳橋を祖とする。彼には大勢の弟子がいたが、一門を形成したのは5代目春風亭柳昇と7代目春風亭柳橋のみで、さらに柳昇一門は9代目春風亭小柳枝昔昔亭桃太郎瀧川鯉昇春風亭昇太、5代目春風亭柳好の各一門に分かれる。
****可楽一門
8代目三笑亭可楽を祖とする。そこから今輔の元弟子の三笑亭夢楽三笑亭笑三、9代目三笑亭可楽の各一門に分かれる(笑三に弟子はいない)。
****助六一門
6代目雷門助六を祖とする。そこから2代目枝太郎、初代雷門福助、4代目三遊亭圓遊、6代目の息子の8代目雷門助六の各一門に分かれ、8代目から9代目雷門助六と4代目春雨や雷蔵の両一門に分かれる。
****圓遊一門
助六一門から分かれた4代目圓遊の弟子の5代目三遊亭遊朝、5代目三遊亭圓遊、三遊亭金遊三遊亭笑遊(現在は5代目圓遊の弟子扱い)。かつての惣領弟子に4代目三遊亭小圓遊がいた。
****鶴光一門
前述のとおり、笑福亭鶴光と、東京で活動する弟子達であり、惣領弟子の笑福亭學光は含まれない(彼は上方落語協会に所属)。
****談幸一門
落語立川流から移籍した立川談幸とその弟子達。
****左楽一門(消滅)
5代目柳亭左楽を祖とした。彼は落語協会から脱退し落語睦会を経て晩年を芸協で過ごし、4代目柳亭痴楽が芸協の柳派の総帥を継いだものの、病に倒れ、落語家の弟子のうち2代目春風亭梅橋は早世、5代目柳亭痴楽も2009年に死去し途絶えた(柳亭楽輔は存命だが、4代目痴楽が倒れた際に夢楽一門に移籍している)。

芸能事務所に所属するのは
桂米助が『古舘プロジェクト』所属。
・鶴光一門が『松竹芸能』所属。(學光も含む。後述の大阪・松鶴一門も参照)

円楽一門会

現会長は三遊亭好楽

1978年の真打昇進を巡って5代目小さんと対立し、脱退を決めた6代目圓生に義理堅く追従した5代目三遊亭圓楽を中心として『落語三遊協会』が設立される。水面下で会員獲得交渉に奔走し、同年5月24日に記者会見を開いて正式に新団体設立を宣言したが、勧誘した大多数が不参加を決めて三遊協会への合流を避けたために6代目圓生一門から参加した5代目圓楽率いる弟子数名、7代目圓蔵一門、5代目月の家圓鏡(後の8代目圓蔵)一門、3代目志ん朝一門で構成されるに留まった。

ところが、翌25日に開かれた4大定席の席亭会議で「三遊協会の寄席出演は認めず、席亭会議は圓生が落語協会に復帰することを勧告する」という決議声明の発表を受け、程なく圓蔵一門、圓鏡一門、志ん朝一門が一斉に離脱して落語協会に復帰してしまい、三遊協会は「6代目圓生を会長とする事実上の5代目圓楽一門」にまで縮小してしまった上、肝心の圓生が1979年9月3日に過労を遠因とする心筋梗塞で急逝する追い討ちに見舞われた。これを見た落語協会から復帰を持ち掛けられたが5代目圓楽は頑として受け入れず、1980年に自身の一門に所属する直弟子のみで三遊協会を『大日本落語すみれ会』として再結成する。

1985年に『落語円楽党』に改称するも、4大定席への寄席出演が叶わず弟子の育成に大きな支障を来たしていた現状を打破するべく、私財に1億6千万円の借金を上乗せした莫大な資金(推定総額7億円)を投じて江東区に円楽党専用の寄席を組み込んだ一大拠点『若竹ビル』を建造した。「噺家の純粋培養」を謳った5代目圓楽待望の寄席として生まれた反面、立地条件の関係で客道の悪さから客足が伸び悩み、一門の若手は他所で行う余興に明け暮れ、圓楽本人も借金返済のために仕事漬けの毎日を余儀なくされる悪循環に陥った結果、4年後の1989年11月25日に閉館となった。

1990年からは『円楽一門会』に改称し、現在は墨田区のお江戸両国亭と台東区の池之端しのぶ亭(好楽の自宅1階に設けられた小規模寄席)を中心に活動している。

5代目圓楽の直弟子の内、弟子がいるのは三遊亭鳳楽、好楽、三遊亭圓橘6代目三遊亭円楽三遊亭栄楽三遊亭愛楽の6人。

かつて一門は芸能事務所『星企画』に所属(後に五代目圓楽は長男が社長の個人事務所へ移籍)したが、現在は個人事務所を構えるなどしている。6代目圓楽は自身のマネージャーが独立した『オフィスまめかな』に移籍(一門の一部やその他の落語家も在籍)。
6代目圓楽の実子・三遊亭一太郎(二ツ目)は落語以外の仕事は青二プロダクション所属。

落語立川流

現代表は10代目土橋亭里う馬(前・立川談十郎)。

1983年の真打昇進を巡って5代目小さんと対立し、脱退を決めた7代目談志が設立した独自の家元組織。実は、1978年の三遊協会設立構想を発案したのは7代目談志本人であり、6代目圓生退任後に次期会長の座を射止める算段まで整えていたところ、ある日にそれとなく6代目圓生に探りを入れてみると「次期会長には志ん朝を据える」と返されて愕然とし、これが三遊協会発足直前に起こした掌返しの真相とされている。そして、5年後に迎えた落語協会脱退を契機に自身を頂点とし、自身とそれに近しい芸談巧者の目で本当の真打を名乗るにふさわしい技量を見極める実力至上主義集団『落語立川流』設立に繋がった。

7代目談志自身、二つ目の柳家小ゑん時代から抜群の記憶力学習能力を活かして落語、講談、歌舞音曲、漫談、謎掛け、コント、スタンダップコメディタップダンスに精通する多芸多才の人であり、東西に存在する落語家団体の中でも最も昇進審査が厳しいとされた上、上納金制度やコース選択といった他に類を見ない特徴を持っていたが、7代目談志逝去後の2012年6月に「家元および上納金制度の廃止」「立川流Bコース・Cコースの解散」「原則3年の見習い期間」の3つを主軸に据えた新体制に改められた。

現在の円楽一門会と同じく落語協会脱退に伴って4大定席の出演を禁止されているが、7代目談志が落語の可能性に挑戦する意志から定席に縛られる事に疑問を感じていた事もあってホール落語を中心とする方針に切り替えて活動し、現在の立川一門は上野広小路亭の高座にも上がるようになっている。

談志の直弟子の内、弟子がいるのは立川左談次(2018年死去)、立川談四楼立川龍志立川志の輔立川談春立川志らく立川談慶、6代目立川談笑の8人。
芸能事務所に所属するのは
・志の輔が『オフィスほたるいか』所属。(個人事務所)
・志らくが『ワタナベエンターテインメント』(文化人部門)所属。

大阪

上方落語協会

現会長は6代目桂文枝


第二次大戦の影響で並み居る定席が壊滅し、上方諸派が四散して上方落語存亡の危機にあった1957年に3代目林家染丸、4代目笑福亭枝鶴(後の6代目笑福亭松鶴)、3代目桂小文枝(後の5代目桂文枝)、2代目笑福亭福團治(後の3代目桂春團治)、3代目桂米朝ら18名が連名して発起人の3代目染丸を初代会長とする『上方落語協会』が設立される。

2003年に6代文枝(当時は三枝)が協会会長に就任した折、大阪天満宮の門前町である天神商店街で落語会を行える物件の斡旋を商店街組合に依頼した一件から、この案件に対して組合、天満宮、協会の三者会議を重ねた結果、「天満宮用地に落語専門の定席を新設する」という合意で決着し、宮司の好意によって無償提供された天満宮北側の用地、『繁昌亭建設募金』を通じて個人や企業から寄付された約2億4000万円の費用を元に建設が始まり、2006年8月8日に約60年振りの定席『天満天神繁昌亭』が完成した。

協会副会長職の合間を縫って建築家と共に東京の寄席を調べ歩いた4代目染丸が試行錯誤した内観に、6代目松鶴と縁の深いホール落語席『千里繁昌亭』から取った名前、かつて上方桂一門桂派の寄席であった『幾代亭』に掲げられていた「薬」の一字を3代目米朝が自筆した書額、生前の5代目文枝が実際に使っていた膝隠しを備え、さらに上方落語隆盛の語り草となった初代春團治の「赤い人力車」を復元展示するなど並々ならぬ思いが込められている。

東京の落語家はほとんどがマネジメントを自分で管理する(芸能プロダクションに所属する者もいるが)のに対し、上方では吉本興業、松竹芸能、米朝事務所の影響が強く、事務所主催で落語会を開くことが多い。

****松鶴一門
2代目笑福亭松鶴を祖とする、上方落語協会の最大派閥。次の代で初代笑福亭福松と3代目松鶴の両一門に、さらに3代目松鶴一門は2代目林家染丸と4代目松鶴の両一門に分かれ、4代目松鶴から5代目松鶴、そして6代目松鶴へと引き継がれ、3代目笑福亭仁鶴、笑福亭鶴光、笑福亭福笑、6代目笑福亭松喬笑福亭松枝笑福亭呂鶴笑福亭鶴瓶、4代目笑福亭圓笑笑福亭鶴笑などの直弟子がそれぞれ弟子を増やしている。
ほとんどが松竹芸能に所属するが、仁鶴や鶴笑などは吉本興業に所属、福笑は個人事務所を経営、圓笑はフリー、鶴瓶の弟子の笑瓶は東京の太田プロダクションとなっている。
****松之助一門
現在は6代目松鶴の弟弟子の2代目笑福亭松之助明石家のんきの親子2人のみ。一門会には明石家さんまも参加する場合があるが、上方落語協会会員はのんきのみなので松鶴一門と同一扱いされる場合が多い。
いずれも吉本興業に所属。
****森乃福郎一門
初代笑福亭福松を祖とする。彼の弟子と孫弟子は福松を継いだが、3代目福松の弟子が藤山寛美の提案で森乃福郎に改名する。初代福郎の死後に弟子が継承。
いずれも松竹芸能に所属。
****米朝一門
3代目桂米朝を祖とする。そこから3代目林家染丸の元弟子の月亭可朝、2代目桂枝雀、2代目桂ざこば、2代目桂歌之助桂米輔桂吉朝桂米二、米朝の長男の5代目桂米團治などの各一門に分かれるが、可朝一門は除外される場合が多い。
ほとんどが米朝事務所に所属。可朝はフリー、可朝の弟子の月亭八方らは吉本興業に所属。
****圓都一門
3代目林家染丸門下から2代目松之助門下を経て橘ノ圓都門下となった橘家圓三が唯一圓都一門を名乗っている。圓都の死後圓三は米朝一門と行動を共にしている。
芸能事務所には所属していない。
****文枝一門
3代目桂文枝を祖とする。そこから5代目文吾と4代目文枝の両一門に分かれ、後者から5代目文枝を経て6代目桂文枝、桂きん枝桂文珍桂文福桂小枝、2代目桂枝光桂文華などの各一門に分かれる。
ほとんどが吉本興業に所属。
****春團治一門
初代桂春團治を祖とする。そこから2代目春團治を経て2代目の息子の3代目桂春團治と2代目露の五郎兵衛の両一門に分かれ(ほかに3代目桂文我祝々亭舶伝の両一門もあったが消滅)、3代目春團治から4代目桂福團治、2代目桂春蝶、4代目春團治、3代目桂小春團治、4代目桂梅團治、2代目春蝶の息子の3代目桂春蝶などの各一門に分かれる。
ほとんどが松竹芸能に所属。
****露の五郎兵衛一門
3代目春團治同様、2代目桂春團治の弟子の2代目露の五郎兵衛を祖とする。弟子がいるのは露の都露の團四郎露の新治の3人。何故か女性落語家が多い。
所属事務所はまちまちである。
****染丸一門
2代目林家染丸を祖とする。そこから3代目林家染丸と3代目林家染語楼の両一門に分かれ、さらに3代目染丸一門は3代目林家染三、4代目林家小染、4代目林家染丸らの各一門に分かれる。この内染三一門は上方落語協会を退会したことにより現役の落語家は林家三笑のみとなる。現在は4代目染丸が総帥となっている。
ほとんどが吉本興業に所属。
****7代目文治一門(消滅)
7代目桂文治を中心とした、桂派の中興の祖。弟子に3代目米朝の大大師匠の3代目桂文團治、2代目春団治の師匠の初代桂春団治、2代目小文治と3つの一門に分かれた。
****文團治一門(消滅)
3代目文團治一門は3代目桂米團治と4代目桂文團治の両一門に分かれ、前者は孫弟子に3代目米朝がいて一門を拡大したのに対し、後者は最後まで師匠に仕えた4代目桂文紅が弟子を取らず文團治も襲名しないまま2005年に亡くなり途絶えた。

フリーの落語家

春風亭華柳:1991年に落語芸術協会を退会。
6代目桂小文吾:5代目桂文吾の唯一の弟子。宝塚新芸座を経てフリーで活動。
2代目快楽亭ブラック:2005年に落語立川流を破門。
雷門獅篭雷門幸福:2002年に落語立川流を破門され、名古屋の大須演芸場でたった一人で活動していた雷門小福(初代福助の弟子)に弟子入り。

架空の落語家

小説および映像作品

太字の人名は本物の落語家。

ちりとてちん

  • 徒然亭一門

3代目徒然亭草若(渡瀬恒彦
徒然亭草原(桂吉弥
徒然亭草々(青木崇高
徒然亭小草若→4代目草若(茂山宗彦)
徒然亭四草(加藤虎ノ介)
徒然亭若狭(貫地谷しほり

  • 万葉亭一門
万葉亭柳宝(4代目林家染丸
万葉亭柳眉(桂よね吉
  • 土佐屋一門
土佐屋尊徳(芝本正)
土佐屋尊建(波岡一喜)
など

タイガー&ドラゴン

  • 林屋亭一門

6代目林屋亭どん兵衛→2代目林家亭小虎→林家亭小猫(西田敏行
初代林屋亭小虎→3代目林家亭小虎(長瀬智也
林屋亭小竜→7代目林屋亭どん兵衛(岡田准一
林屋亭どん太(阿部サダヲ
林屋亭どん吉(春風亭昇太

  • 高田亭一門
高田亭馬場彦(高田文夫
ジャンプ亭ジャンプ(荒川良々
  • 柳亭 ※読みは実在の「りゅうてい」ではなく「やなぎてい
柳亭小しん(小日向文世
など

しゃべれども しゃべれども

  • 今昔亭一門

今昔亭小三文(伊東四朗
今昔亭三つ葉(国分太一
など

漫画およびアニメ作品

美味しんぼ

  • 快楽亭一門

快楽亭八笑(丸山詠二
快楽亭吉笑→2代目福々亭末吉(林家こぶ平) ※9代目正蔵襲名以前の出演
快楽亭ブラック(青野武
など

昭和元禄落語心中

  • 有楽亭一門

7代目有楽亭八雲家中宏
初代有楽亭助六(神奈延年
有楽亭菊比古→8代目有楽亭八雲(石田彰
有楽亭初太郎→2代目有楽亭助六(山寺宏一
有楽亭与太郎→3代目有楽亭助六(関智一

  • 円家一門
円家萬歳(茶風林
4代目円家萬月(遊佐浩二
など

関連タグ

日本 伝統芸能 落語

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