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笑福亭仁鶴

しょうふくていにかく

四角い仁鶴がまぁ~るくおさめまっせぇ

3代目笑福亭仁鶴(1937年1月28日 - )は上方落語家ラジオテレビ舞台などでのタレント活動、映画、CMなどでも活躍を続ける。

人物

6代目笑福亭松鶴一門の総領弟子。高校時代に初代桂春団治のSPレコードを聴いたことをきっかけに落語に目覚め、前田達(のちの2代目桂枝雀)らと天狗連(素人の落語集団)を結成。前田が3代目桂米朝に弟子入りした後、1961年に自身も6代目松鶴に弟子入りした。時に、戦後の壊滅状態を経てようやく上方落語が復興に向かう時代である。なお、所属事務所は3代目林家染丸の薦めで吉本興業となったが、これは師匠の松鶴らの所属した松竹芸能とは異なる。同じ一門では、自身の弟子・孫弟子の他、師の弟弟子笑福亭松之助、自身の弟弟子の一人笑福亭鶴笑とその一門や、大甥弟子(弟弟子・鶴瓶の孫弟子)笑太らが吉本所属である。

60年代半ばから70年代にかけてテレビやラジオで活躍し、「ヤングおー!おー!」への出演によって全国的に凄まじい知名度と人気を得る。当時の吉本の社長・林正之助すら仁鶴には頭が上がらなかったと言い、息子以上に年齢が下の仁鶴を「さん」付けで呼んでいた。吉本の基礎は仁鶴が作ったとも言われ、現在でも6代目桂文枝西川きよしと並ぶ吉本の大御所として君臨している。

6代目逝去後の松鶴の襲名問題に関しては、人事権を事実上握っていたとされる。元は6代目の長男、5代目枝鶴が7代目を(同時に6代目が4代目松鶴の隠居名「松翁」を)襲名する予定だったが廃業してしまったことから、代わって総領弟子の仁鶴が7代目松鶴の襲名を請われることとなる。しかし、結局所属事務所の関係など様々な理由から固辞した。
後にこの7代目は弟弟子・松葉の襲名に決まったが、松葉は襲名直前に死去。これにより松葉に7代目を追贈するとともに、松鶴の名跡は相応しい者が現れるまで松竹芸能預かりとされ、弟子たちの元を離れた。

露の五郎兵衛会長退任後の上方落語協会会長への推挙が半ば確実視されていたものの、選出方式が選挙方式になり(正確には戻されたものだが以前は選挙と言っても名ばかりであった)桂三枝(当時、現6代目文枝)が会長となったため、就任することは無かった。その後6代目文枝の退任による2018年の会長選挙にて、自身の筆頭弟子笑福亭仁智副会長が当選し、次期会長となる予定。

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