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三遊亭歌之介

さんゆうていうたのすけ

三遊亭歌之介は日本の落語家。2019年3月に四代目・三遊亭圓歌を襲名。

概要編集

鹿児島県肝属郡錦江町(旧:大根占町)神川字皆倉出身。

小学校1年生の頃に両親が離婚し、母に連れられて兄、姉と共に夜行列車を乗り継いで当時住んでいた京都府から鹿児島県に帰った。少年時代のエピソードは後に自伝落語『母ちゃんのアンカ』にまとめられた。



高校卒業し1978年(昭和53年)3月に3代目三遊亭圓歌に弟子入りし、前座名『三遊亭歌吾』(さんゆうてい うたご)を拝命。

1982年(昭和57年)5月、二つ目に昇進に際して『三遊亭きん歌』を襲名。

1985年(昭和60年)に若手演芸大賞最優秀二つ目賞、並びにNHK新人落語コンクール入賞。

1987年(昭和62年)5月、落語協会の真打昇進試験を受験して自作の新作落語『寿の春』で合格。

同年10月、18人抜きの大抜擢を受けて『三遊亭歌之介』の名で真打昇進。

2018年4月22日、国立演芸場で行われた「三代目 三遊亭圓歌 一周忌追善落語会」の席上、翌2019年3月鈴本演芸場下席より4代目圓歌を襲名することが発表された。

これは師である3代目圓歌が生前、「圓歌の名跡を歌之介に襲名させたい」と同協会長の4代目柳亭市馬に伝え、2017年に3代目が死去した2017年末の協会理事会で承認を得たためである。

2019年3月21日、鈴本演芸場での襲名披露に於いて三遊亭圓歌を四代目として襲名した。またこれを機に出囃子を「われは海の子」から、先代と同じ「二つ巴」に変更。


2022年3月に、入門後間もなくから弟子に対する暴言・暴力のパワーハラスメントを行っていたというの赤裸々な告白記事が週刊誌やネットに取り上げられ、深刻な事態が一般にも明るみに出た。

およそ8ヶ月に亘る対立の末10月下旬、弟子の破門を認め、両者の間の師弟関係に終止符2020年から就いていた協会の理事を辞任したが記事については否定している。

また、元弟子が積年の被害について圓歌を相手取り300万円の慰謝料を求めて民事訴訟で告訴したことが報道された。

その後、元弟子本人は落語協会で落語家活動を続けることを希望し、本名を便宜上の活動名義として、落語協会のホームページでも本名で紹介された。

2023年7月に新たな師匠の下で再入門、新たな名前をもらい落語家としての活動を再開している。

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