月亭八方(つきていはっぽう)、本名寺脇清三は日本の落語家。月亭可朝門下なので、桂米朝一門、笑福亭双方とつながりを持つ。大阪市福島区出身、バリバリの大阪育ち。
関西での知名度は非常に高い一方、関西以外の知名度は皆無に近いというほどだった(関西の番組でも、東西の知名度が雲泥の差の芸人ランキングで上沼恵美子、やしきたかじん、浜村淳らと並び上位にいた)。
本人は若手時代にラジオ番組を中心に一気に売れたので、上京して成功した桂三枝や笑福亭鶴瓶のように東京進出を図ったこともあったのだが、結局水が合わんかったというより名が売れる以前に短期間で関西に出戻り、逆に生まれ育ちの大阪に愛着が湧き関西での知名度を盤石にしてやろうと、一層芸事にも励むようになった。
表向きでは筋金入り阪神ファンゆえのタイガース落語、破天荒な芸風などで売れっ子テレビタレントを演じているが、本業の噺家稼業としては一切の妥協を許さないほど厳しい稽古でも知られ、その実力は立川談志も評価している(師匠の月亭可朝もかなりリベラルな芸風であり、また立川談志も月亭可朝、笑福亭松鶴など上方落語家と交流を密にしていた)。また、テレビ出演はCMも含め精力的だったものの、上沼恵美子ややしきたかじんのように冠番組を持ったりはしなかった(本業は噺家であることはしっかりと弁え、海外公演なども精力的に行っていた)。
自由自在、奔放な枕も人気があり、創作落語もかなり演じている。
昨今では長男の月亭八光が東京で活動していることや月亭方正の師匠として東京に招かれ高座に上がることも少なくなく、そのたび「弟子が非常に有名な、師匠の月亭八方といいます」などと自虐ばりの紹介をしていたこともあった(というより、方正のあまりの知名度と人気に驚きを隠せなかったという)。なお、月亭方正を弟子にとったのは八方の長男であった月亭八光と飲み友達であったことから(このあたりの詳しいエピソードは月亭方正を参照)。
ちなみに母校は笑福亭鶴瓶と同じ、当時は強豪校として知られた浪速商業(浪商高校)であり、プロ野球選手を目指していたこともあった(先輩に高田繁がおり、周りのレベルの高さを思い知って、自分は絶対プロになれないと、野球を断念、落語家を目指すきっかけにもなったという)。
松村邦洋と並ぶ大の阪神タイガースファン芸人としても有名であり、少年時代タイガースのスター選手だった三宅秀史に、眼科でサインをもらったのがきっかけ。1985年の阪神優勝時には公言通り自費で、アドバルーンで空を飛んだりもした。時価100万円、純金の野村克也監督人形を購入した一人である。