料理とはいうまでもなく、物をうまく食うための仕事である。だが、わたしはなにもここまで改まって料理の講釈をしようとは思わない。
(北大路魯山人著『料理と食器』より)
意味
2.講談の異称。
4.講釈師の略称。
(『三省堂国語辞典』ほか)
概要
前項にもあるように、たいていの場合は「大袈裟かつ冗長な、回りくどい雰囲気の解説」といったニュアンスで用いられるケースが現代では大半である。
これは、ほぼ同義語である『講談』が時事ネタや歴史ネタを多く取り扱いつつも過剰な演出や誇張表現を駆使して必ずしも実態に即したものを語るわけではなかったことを踏まえた上での皮肉でもある。
神田伯山「講談で『あったとか、なかったとか』なんて言い回しが出るってことは、つまり『なかった』ってことでございまして――」
このため、『現代の講釈師』や『まーたあの人は講釈を垂れているよ』といった言い回しは文脈によってはうんちく魔やマンスプレイニングに近い批判的な意味合いを孕むケースも多い。
ただし、かつて「論語読み」や「太平記読み」と呼ばれた後の講釈師たちは、識字率が低かった当時の世相を踏まえて、中世から近世、もしくは明治初期にかけての日本国内の教養普及に一役買ったという事実は評価に値すると思われる。
関連タグ
芸能としての講談はともかく、言動としての講釈の賛否がわかれる所以は『話を面白くする』ために大小の作り話を織り込むために実際にあった事柄からはねじ曲がった内容で伝わってしまうことにもある。