概要
日本の古典文学作品。全40巻。鎌倉時代末期から鎌倉幕府滅亡、建武の新政、南北朝並立を経て室町幕府第3代将軍足利義満・管領細川頼之の就任までの約半世紀を描く。
吉川英治が古典としての太平記とその時代を題材として著した『私本太平記』を原作として1991年に放映されたNHK大河ドラマも同題名であり、それについては太平記(大河ドラマ)を参照のこと。
内容と享受
内容は3部構成で、
- 後醍醐天皇の即位から鎌倉幕府の滅亡を描いた第1部(巻1~11)
- 建武の新政の失敗と南北朝分裂から後醍醐天皇の崩御までが描かれる第2部(巻12~21)
- 南朝方の怨霊やその化身である天狗の跋扈による室町幕府内部の混乱を描いた第3部(巻23~40)
からなる。本筋から外れ、和漢の故事を語る脱線に及ぶこともしばしばあり、「呉越合戦」「漢楚合戦」のエピソードは特に長大なものである。後世には太平記読みによって人口に膾炙し、江戸時代には多くの歴史小説に影響を与えた。
作者については、成立から600年以上を経た今なお確定を見ていない。北朝公家の日記には「太平記の作者小嶋法師が世を去ったと伝え聞く、卑賤ながら名匠と評判の人物であった」(『洞院公定日記』)とある。他方で、岩波文庫版『太平記』の解説はこの小嶋法師なる人物が単独で書いたのではなく、複数の作者が書き継いだと考えている。そこには小嶋法師を代表とする、寺院で芸能として太平記を語り演じていた僧侶たち、楠木正成の伝説を語る宗教・芸能系の民が含まれ、さらには後述するように室町幕府関係者も編集にかかわっていたとされる。また同解説は、太平記でその活躍が大きく描かれるが史実の建武政権には記録がなくその人物像に架空性が強い児島高徳と、小嶋法師とが同一人物である可能性にも言及する(『太平記(1)』解説)。余談ではあるが、『平家物語』も多くの琵琶法師が語り継ぐことにより、物語がより洗練されたともいわれている。
また、21巻以前では基本的には儒教的史観を元にしているが、23巻以降では怨霊と化した後醍醐天皇が暴れ回るなど、それまでとは作風がガラリと変わっている。間に入るはずの22巻が逸失していることを含めて、「21巻以前と23巻以降は作者が異なり、23巻より後は21巻までの内容に不満を持った別人が付けたしで書いたのではないか」と主張する者もいる(井沢元彦『逆説の日本史』)。
前述の通り、本作は作者の儒教的価値観と仏教的世界観、南朝擁護の姿勢が強く出ており、当時の下剋上の風潮に対しても否定的である。その一方、南朝の代表格ともいうべき後醍醐天皇は、作中で徳を欠いた天皇として描かれている。具体的な描写から作者の世界観の例を挙げると、巻二七「雲景未来記事」には、貞和五年に将軍・足利尊氏、関白・二条良基、天台座主となった高僧も見物していた四条橋勧進田楽において、桟敷が倒壊して多くの死者がでた事故が記されている。『太平記』はこの事故について、卑しい地下人や商売人に武家・公家・寺家の貴人まで混じって見物した為、八幡神(武家の守護神)・春日神(摂関家・藤原氏の守護神)・山王権現(天台宗延暦寺の鎮守神)の怒りを受けたのだ、と説明する。バサラと呼ばれ、貴賤を一体化して民衆にも開かれた当時の文化に対して、伝統擁護の姿勢を強く打ち出していると言えよう(村井章介『分裂する王権と社会』)。
北朝方・室町幕府の名将・今川貞世が著した『難太平記』にも、太平記成立の手がかりがある。例えば「(太平記の)作者は宮方深重の者にて無案内にて押てかくの如く書たるにや」という記述が見られる。この一文について、太平記が南朝寄りの立場で書かれているという解釈もあるが、南朝の情報に詳しいが北朝や武家に作者が疎いことを批判しているともされる(新田一郎『太平記の時代』)。また新田によれば、北朝の政治家・足利直義の命令で太平記の誤りを修正する事業も着手されたという。つまり、太平記の一部は足利直義の生前に成立していたらしい。また作者側への資料の提供や幕府からの訂正命令、また個人的に自分の功績を加筆するように求めた人も多かったようで、貞世に言わせれば「この記は十が八、九は作り事にや」「人々の高名などの偽り多かるべし」という(『太平記(1)』解説)。
しかし、森茂暁の著書『足利直義』によれば、『太平記』には直義が兄・尊氏を朝敵へと貶め、護良親王、成良親王ら後醍醐帝の皇子を暗殺した張本人として描かれ、南朝方の怨念を一身に受けることによって観応の擾乱を起こして滅亡したとあり、直義を一番の悪役に据える意思が室町幕府にはあったのではないかとの説も提起されている。
持明院統の北朝と大覚寺統の南朝という、皇室が二分されて政治抗争の前面に出ることや、敵味方が簡単に入れ替わるなど、複雑極まる情勢変動が続いた時代を扱うことから、特に戦後においては映像化の例は少ない。数少ない例外の一つが、NHK大河ドラマの『太平記』である(ただし原作は古典太平記そのものではなく、古典太平記を題材にした吉川英治の歴史小説である)。
信頼性
あくまで軍記物であり、内容が史実とは限らないことに注意が必要である。
明治時代の歴史学者・久米邦武は「太平記は史学に益なし」という論文を発表し、学者の研究には全く役に立たぬ読み物と批判した。
一方でこのような軍記物が語られたことも一つの歴史であり、当時の空気を知るために必要という反論もある。
また南北朝時代は信頼できる史料自体が少なく、エピソードは太平記に頼らざるを得ない面もある。
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