復讐、目的の達成に向けて苦難を耐え忍ぶという意味を表す四字熟語。
解説
「臥薪」とは“薪の上で寝る”こと、「嘗胆」とは“苦い肝を嘗める”こと。
元は『史記』、並びに『春秋戦国』にて記された言葉で、“惨敗の雪辱を果たして仇を討つ”ことを指す言葉。
つまり「復讐を誓い、それを果たすこと」が原義だった。
時代が下って意味が少し好転し、現在のように扱われるようになった。
日本では、とくに三国干渉に屈して遼東半島を放棄したときに唱えられた。主導したロシア帝国への日本人の敵愾心が高まり、日本は日露戦争まで内政・外交ともに対露戦を想定した政策をとるようになる。
由来
時は戦国時代、呉王闔閭はライバル国の越に攻め入る最中矢傷を負い戦死した。その息子の夫差は王位を継ぎ、決して悔しさを忘れることの無いよう薪の上で眠り越への恨みを募らせ軍拡に勤しんだ。
そして夫差はついに越に攻め入り、越王勾践を追い詰め降参させるに至った。
勾践は許されて国に戻った後、苦い肝を毎晩舐めることで苦汁を飲まされたことを思い返して富国強兵に挑み、遂に夫差を倒したのだった。
臥薪嘗胆民
恒心綜合法律事務所の公式サイト内に掲載されていた弁護士唐澤貴洋のプロフィールの一文が由来。
『大学後の進路を考えたときに、自分の思いと直面し、司法試験を目指しました。』
『臥薪嘗胆の日々を経て、合格。』
当人の経歴を逆算すると最低でも5年間の空白期間が存在することから「臥薪嘗胆の日々」と称しながら公認会計士である父親の庇護のもと甘やかされ、5年間の大半をダラダラと過ごしてたのではないかと揶揄され、親のすねを齧りながら定職に付かず自宅で一日を過ごす者、所謂「ニート」を表す言葉として一部の界隈で「臥薪嘗胆民」などと呼ばれている。
なお、唐澤貴洋自身は後に「高校中退して、周りが一切離れて、天井ばっか見てた時代」があったことを明かしている。
とはいえ、日本でもトップクラスの難易度を誇る司法試験を合格するのは並大抵の努力では叶わない為、多かれ少なかれ勉強に追われる臥薪嘗胆の日々を本当に送っていたと考えられる点には注意。