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北畠親房

きたばたけちかふさ

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した公卿。南朝方の重臣。
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概要

生没年 永仁元年(1293年)1月~正平9年・文和3年(1354年)4月17日
 最終的に北朝方につくこととなる万里小路宣房、後醍醐天皇の吉野行きに従った吉田定房とともに「後の三房」と称され、信頼された後醍醐天皇側近の一人。南朝の正当性を主張した『神皇正統記』の著者として知られる。
 北畠師重を父、左少将藤原隆重の娘を母として生まれる。子に陸奥守に任じられた長男・顕家、顕家亡き後北朝方と戦いつづけた次男・顕信、三男・顕能らがいる。

鎌倉幕府滅亡

 正中元年(1324年)、後醍醐天皇の信任を得て大納言に任官。なお、この年9月、後醍醐天皇による鎌倉幕府打倒の計画が発覚、天皇側近の日野資朝が佐渡に流罪、日野俊基も捕らえられるも罪一等を減じられて許され、天皇自身も幕府に詫び状を提出することで事件は落着した。
 元徳2年(1330年)、出家し法名・宗玄、後に覚空を名乗る。
 
 元弘元年(1331年)4月、後醍醐天皇による鎌倉幕府打倒の謀議が、天皇の身を案じる吉田定房の通報により発覚、8月、天皇は京の都を脱出し山城国・笠置山に籠もるも敗れ、翌元弘2年(1332年)3月、幕府は皇位を持明院統に属する光厳天皇を立てて、後醍醐帝を廃して隠岐に配流とした。
 同年12月、延暦寺天台座主となっていた後醍醐帝の皇子・護良親王、河内の豪族・楠木正成が倒幕の兵を挙げ、護良親王の令旨を得た赤松円心佐々木道誉らも挙兵、これらの反乱鎮圧に幕府も北条高家足利高氏を大将として軍勢を京に派遣したが、軍を率いていた北条高家があえなく討死すると高氏は朝廷方に寝返り、赤松円心、佐々木道誉らとともに六波羅を攻略する。
 元弘3年(1333年)5月22日、各地に反乱が広がるなか幕府の本拠地・鎌倉が陥落、得宗北条高時をはじめとする北条一族、長崎円喜ら近臣が自害、鎌倉幕府は滅亡した。

建武の新政

 鎌倉幕府の崩壊により、帰京した後醍醐天皇は北条氏に擁立された光厳天皇を廃すると、元号を「建武」に改め、天皇親政を志し、各地に国司・守護を派遣する。
 これにより、陸奥守に北畠親房の長男・顕家を任じ、親房は天皇の第七皇子・義良親王(後の後村上天皇)とともに奥州・多賀城において東北を、成良親王と足利尊氏の弟・直義を鎌倉に派遣して関東の支配に着手した。

 その一方で、公家や寺社の所領を安堵したり、恩賞や人事に不公平があったりするなど、各所で武士たちの不満が高まり、新政権への期待はまたたく間に失望へと変わった。
 

そして南北朝時代へ

 武士たちの不満が高まるなか、建武2年(1335年)、北条高時の次男・時行が幕府残党3万を率いて蜂起、足利直義が迎え撃つが敗退し、鎌倉は陥落寸前となる。
 この事態に京より足利尊氏が出陣、尊氏は幕府残党を破るも朝廷からの帰洛命令に従わず、鎌倉にとどまりつづけ、その間、尊氏の弟・直義は味方する武士たちに恩賞を与えつづけた。

 業をにやした朝廷は新田義貞らに尊氏追討の命を出す。その報に追討軍を迎え撃った直義軍は敗れ、当初、恭順姿勢を示していた尊氏も迎撃に出陣、追討軍を破って京に進撃、建武3年(1336年)、京において尊氏軍は新田・楠木・顕家連合軍に敗れ、九州に落ち延びていった。

 しかし、尊氏は九州で勢いを盛り返す。多々良浜の戦いで朝廷方の菊池武敏を破ると西国の武士を糾合、光厳上皇の院宣も得て摂津国・湊川の戦いで楠木正成が討死、新田義貞の軍勢は四散、逃れた後醍醐帝は吉野に新たな朝廷を立てると親房らもこれに従い、ここに北朝南朝という2つの王朝が鼎立することとなった。

 建武5年・延元2年(1337年)、長男・顕家が伊勢、伊賀を経て大和へと入り、河内・摂津で奮戦するが、和泉国堺浦で高師直に敗れて討死。兄の後を継いで顕信・顕能兄弟は北朝方と戦い、顕能は後に伊勢国司となり、子孫は織田信長に滅ばされるまで伊勢を支配しつづけた。
 暦応元年・延元3年(1338年)、南朝の勢いを盛り返すため常陸に向かうが、近隣豪族は誘いに乗らず失敗、吉野に戻る。

正平の一統

 足利氏の内紛に乗じて、正平6年・観応2年(1351年)、足利尊氏・義詮父子が降伏、「正平の一統」がなり、後村上天皇らとともに京に還幸したが一時的なものであり、北朝方の光厳上皇・光明上皇・崇光天皇を拉致、後村上帝とともに吉野の賀名生に退却、正平9年・文和3年(1354年)4月17日、その地で没した。

神皇正統記

 南朝の退勢を立て直すために北畠親房が著した歴史書。神代から後醍醐天皇の崩御、後村上天皇の即位までの歴代天皇の即位・改元・享年など皇位継承を記すことによって、南朝の正当性を主張した書物となっている。天皇の超越的性格を三種の神器と合わせて説き、神国思想を強く打ち出したことにより、後世に大きな影響を与えた。

関連タグ

太平記 南北朝時代 室町時代

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