概要
生没年 生年不詳~興国2年/暦応4年(1341年)?
南北朝時代に活躍した九州の武将。菊池氏第12代当主・菊池武時の九男。
鎌倉幕府打倒の兵を挙げ戦死した父・武時の功により、後を継いだ武時の嫡男・武重は肥後一国を与えられ、武敏は”掃部頭”に任じられる。
建武2年(1335年)、朝廷に背き北畠顕家に京の都を追われた足利尊氏・直義兄弟が落ちのびてくると、武敏は朝廷方の兵を率い足利軍と対峙、多々良浜で戦うこととなった。
尊氏軍は都から落ちのびてきた敗残の軍2000、菊池軍は20000、数の上では菊池軍がまさったが、松浦党をはじめとする軍勢が次々に離反し敗戦。
この戦いに勝った足利軍は九州、中国の武士たちを味方につけ上洛、朝廷方の楠木正成、新田義貞らの軍勢を圧倒していくこととなる。
命からがら領国に逃げ帰った武敏は兄・武重を補佐するが、武重は延元3年/暦応元年(1338年)に死去(異説あり)、兄の死後には武時の嫡出の子・武士(武時の十二男)が後を継ぎ、武敏も弟を補佐したとされるが、同年に死去したとされている(異説あり)。