概要
南北朝時代初期に活躍した武将。
鎌倉幕府第2代執権北条義時の次男・朝時を祖とする名越流北条氏の直系にあたる。
父・高家は名越流北条氏第5代当主にあたるが、元弘3年(1333年)4月、後醍醐天皇の発した令旨により各地に勃発した反乱を足利高氏とともに鎮圧するために出陣。
しかし、華美な鎧に身を包んでいたことが仇となり久我畷の戦いで赤松円心の一族で弓の名手である佐用範家に討ち取られる失態を侵してしまう。
高家の討死を知った高氏は、直後に朝廷方に寝返り円心や佐々木高氏(道誉)らと六波羅探題を襲撃、鎌倉幕府も新田義貞に鎌倉を襲撃されたことにより滅亡、北条一族も多くが自刃する。
一方で北条氏最後の得宗・北条高時の次男・時行、高時の弟・泰家らが脱出、後醍醐天皇による親政が失敗したことにより鎌倉幕府残党が蜂起、名越流北条氏の血を引く高邦も反旗を翻し小夜中山合戦で戦死したと伝えられる。
フィクションにおける名越高邦
逃げ上手の若君
101話より登場。
幼い弟(後に今川範国に仕え那古野今川家の祖となる名越高範と思われる)とともに6000の兵を率いて鎌倉の北条時行のもとに馳せ参じる少年武将。父の名越高家は第1話で討ち取られる描写がある。
北条氏庶流ながら時行よりも貴公子然としており、
「我が君と被る幼き貴公子」(吹雪談)
「凛凛しい美男子で武芸抜群」(弧次郎談)
「坊より主役じゃね」(風間玄蕃談)
との評に時行はショックを受けている。
しかし、103話にて高師直・師泰兄弟にあっけなく討ち取られてしまう(討たれる場面すら省略)。
名前は出なかったものの遺体は北条一族の血を引くものとして諏訪頼重、諏訪盛高らに回収され、「北条時行の遺体」の替え玉に利用された模様。
余談
作中、この時代に少年武将が多いことがツッコまれているが上には上があり、鎌倉を攻めた朝廷軍は当時無名であった新田義貞ではなく、源氏の系統としてより高名であった足利高氏の嫡男・千寿王(当時3歳、後の室町幕府二代将軍足利義詮)が名目上の大将に立てられている。
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