前史
院政期に伊勢平氏・平正盛が一族のために供養堂を建立。子の平忠盛が「六波羅館」を開き、平清盛の時代に平氏政権の中心となった。仁安元年(1166年)、清盛は洛中(八条一坊)に「西八条第」を造営して政治の拠点を移した。その後も軍事の拠点であり続けたが寿永四年(1183年)の平家都落ちの際に西八条第ともども完全に焼失した。
のち、六波羅の地は源頼朝に与えられ、京都守護となった北条時政が六波羅館跡に京都守護の庁舎を置き、甥の北条時定らが使用している。
六波羅探題設置
承久の乱後の承久3年(1221年)、北条義時は六波羅の北と南に出先機関を設置しこれがのちに六波羅探題と呼ばれた。北方と南方があり、多くの時代において北方だけが存在していた。
多くの場合、北方が南方より上席とされるが、初代南方・北条時房は初代北方・北条泰時の叔父甥コンビの時は例外とされ政治経験もあった時房は泰時よりも先に鎌倉からの書状を読んだうえで泰時に伝え、重要案件を処理したと伝えられている。
歴代六波羅探題
北方
- 北条泰時(得宗家)…第2代執権・北条義時の長男。のちの第3代執権。
- 北条時氏(得宗家)…泰時の長男。のちの第4代執権・北条経時、第5代執権・北条時頼の父。
- 北条重時(極楽寺流)…義時の三男。のち第2代連署に就任。のちの第6代執権・北条長時、時頼の正室・葛西殿の父。第8代執権・北条時宗の外祖父。赤橋守時、登子(足利尊氏の正室)兄妹、北条高時、足利尊氏らの高祖父。
- 北条長時(極楽寺流赤橋氏)…重時の嫡男、第2代鎌倉探題南方・北条時盛の娘を正室に迎える。のちの第6代執権。のちの第16代執権・赤橋守時、登子(足利尊氏の正室)兄妹の曽祖父。
- 北条時茂(極楽寺流常盤氏)…重時の三男。長時の同母弟。足利尊氏の曽祖父(尊氏の父・足利貞氏の外祖父)。
- 北条義宗(極楽寺流赤橋氏)…長時の嫡男。「二月騒動」において南方・北条時輔を討ち取る。のちの第16代執権・赤橋守時、登子(足利尊氏の正室)兄妹の祖父。
- 北条時村(政村流)…第7代執権・北条政村の嫡男、のちの第9代連署。嘉元の乱で北条宗方に暗殺される。
- 北条兼時(得宗家)…時宗の異母弟・北条宗頼の長男。
- 北条久時(極楽寺流赤橋氏)…義宗の嫡男。のちの第16代執権・赤橋守時、登子(足利尊氏の正室)兄妹の父。
- 北条宗方(得宗家)…兼時の弟。
- 北条基時(極楽寺流普恩寺氏)…第7代連署・北条業時(重時の四男)の孫。のちの第13代執権。
- 北条時範(極楽寺流常盤氏)…時茂の子。
- 北条貞顕(金沢流)…義時の五男・実泰の曾孫。のちの第12代連署→第15代執権。
- 北条時敦(政村流)…政村の孫。
- 北条範貞(極楽寺流常盤氏)…時範の子。
- 北条仲時(極楽寺流普恩寺氏)…基時の子。最後の六波羅探題北方。メイン画像手前の武士。
南方
※☆・・・北方へ異動した人物
- 北条時房(時房流)…初代執権・北条時政の三男。のちの初代連署。
- 北条時盛(佐介流)…時房の長男。娘は北条長時の正室。
- 北条時輔(得宗家)…時頼の庶長子、「二月騒動」に連座して滅ぼされる。
- 北条時国(佐介流)…時盛の孫。
- 北条兼時(得宗家)☆
- 北条盛房(佐介流)…時盛の孫。
- 北条宗宣(大仏流)…第8代連署・北条宣時(時房の孫)の子。のちの第10代連署→第11代執権
- 北条貞顕(金沢流) ☆
- 北条貞房(大仏流)…時盛の弟・朝直の孫。
- 北条時敦(政村流)☆
- 北条維貞(大仏流)… 宗宣の子。のちの第13代連署。
- 北条貞将(金沢流)…貞顕の子。
- 北条時益(政村流)… 時敦の子。最後の六波羅探題南方。メイン画像奥の嫉妬している武士。