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二月騒動

にがつそうどう

二月騒動は、鎌倉時代中期の文永9年(1272年)2月、鎌倉と京で起こった北条氏一門の内紛。
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概要編集

8代執権北条時宗の治世、文永9年(1272年)2月7日、鎌倉で騒動があり、2月11日、北条時章・教時兄弟が得宗被官である四方田時綱ら御内人によって誅殺され、前将軍宗尊親王の側近であった中御門実隆が召し禁じられた。4日後の2月15日、時宗の指示のもと、京都において前年12月に六波羅探題北方に就任していた北条義宗が、鎌倉からの早馬を受け、同南方の北条時輔を討伐した。多くの人々が戦闘で死に、また事件に連座して六波羅探題にあった安達泰盛の庶兄安達頼景が所領を没収され、事件とのかかわりは明確には分かっていないが、同年に渋川義春世良田頼氏は佐渡へ流罪、前将軍宗尊親王は出家した。なお、北条時輔は逐電したとの説もある。

蒙古襲来を控えた、混乱の中の騒擾であった。


間もなく、北条時章に異心はなく誤殺であったとされ、その結果、討手5人が責任を問われて斬首された。なお、時章の子公時は所領を安堵された。




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鎌倉幕府

北条時宗

蒙古襲来


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