鎌倉時代における北条氏本家の当主のこと。鎌倉幕府中期までの幕府における北条氏権力の源泉は、実質幕府最高権力者である執権の称号であり、北条経時までは得宗がそのまま執権に就任していた。しかし、北条時頼が幼い嫡子の時宗への後継を進めるために、己が得宗として実権を握ったまま、北条氏庶流の北条長時(赤橋長時)に執権を譲った。これ以降、得宗が何らかの理由(幼少である、病気療養中であるなど)で執権に就任しない時は、その指揮下で庶流出身の執権が職務を代行する例が見られるようになった。当時の武家の慣習では、一族の庶流は本家に従うことになっていた。それゆえ幕府の大部分の要職を占める北条家全体への命令権のある得宗の権力は、執権の権限を遥かに上回るものとなったのである。
しかし鎌倉時代末期になると内管領である長崎一族が得宗をも上回る権力を持つようになり、得宗は完全に傀儡と成り果ててしまった。
ネットなどでは中世日本の権力の多重性をあらわすのに「内管領の傀儡の得宗の傀儡の執権の傀儡の征夷大将軍の傀儡の上皇の傀儡の関白の傀儡の天皇」などと俗に言われることもあるが、当然ながらそれぞれの地位にある人物の力関係は単純なものではなく一方的に傀儡と言えるようなものではない。
※☆は執権経験者
※★は連署経験者
※△は六波羅探題経験者