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概要編集

元仁元年(1224年)~建治2年10月23日(1276年11月30日)

金沢流北条氏の当主。父は第2代執権・北条義時の六男実泰

小侍所別当引付衆評定衆越訴頭人寄合衆を歴任した。

文永の役の翌年である建治元年(1275年)に政治の表舞台から退き、六浦に隠居する。翌年、53歳で死去。

鎌倉幕府第15代執権北条貞顕は彼の孫にあたる。


金沢文庫編集

実時は明経道清原教隆に師事して法制や漢籍など学問を学び、舅の政村からは和歌など王朝文化を学んだ文化人としても知られている。隠居後に実時は鎌倉を中心に金沢家に必要な典籍や記録文書を集め、収集した和漢の書を保管する書庫を金沢郷に創設する。文庫は実時の蔵書を母体に拡充され、貞顕が六波羅探題として京都へ赴任後は収集する文献の分野も広がっていった。貞顕も自ら写本を作成し「善本」の収集に努めたという。

北条氏滅亡後は称名寺が管理を引き継いだが文庫自体は衰退し、蔵書も後北条氏徳川家康らによって持ち出されていったが、明治になってから伊藤博文らによって復興。現在は『神奈川県立金沢文庫』として中世歴史博物館となっている。


創作物における北条実時編集

大河ドラマ北条時宗編集

彼を演じたのはピーターこと池畑慎之介。作中の彼は幕府の扇の要と言える重要人物で、第42話で病死するまで幕府のよき知恵袋として活躍する。その知識は時頼から幼き日の時宗に「人の心に迷いし時は実時殿じゃ。ただし、相手に聞く耳がないと知れば口を閉ざすゆえ、日頃の学問を怠るでない。」と言い聞かせておくほど。時宗が成長した後は傅役として政の指南にあたった。実時は執権や連署といった地位よりも幕府内での釣り合いを重視し、その一環として長年連れ添った妻と離縁して政村の娘を娶る。これによって前妻は自害し、息子・顕時は実時に反発して荒れるようになってしまう。実時はこの件で人の情けというものを思い知らされたと後に述べている。


時宗に自分の病を見抜かれたことから、時宗が病を抱えていることに気付いた数少ない人物でもある。当の時宗は実時にそのことを尋ねられた際、「儂は壮健じゃ。10年でも20年でも生き抜いて、この国の安泰を見届ける。」と返し、自らも余命5年の病の身であることは明かさなかった。

彼の死後、北条一門を中心とする体制を作ろうとする時宗の政策を支持する平頼綱と御家人として反独裁を訴える安達泰盛の対立が表面化し、幕府の空気が一変することとなる。


関連項目編集

鎌倉時代 北条氏

金沢文庫駅・・・京浜急行電鉄本線の駅で金沢文庫最寄りの駅

神奈川県立金沢文庫

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