北条貞時
ほうじょうさだとき
生没:文永8年12月12日(1272年1月14日) - 応長元年10月26日(1311年12月6日)
別名:幸寿丸(幼名)、崇演(法名)
官位:左馬権頭、従四位上、相模守
鎌倉幕府第8代執権・北条時宗の嫡男で、第9代執権を務めた。先代の在任中に発生した蒙古襲来(元寇)後の混乱、それに打ち続く幕府内での権力闘争を収拾すべく、北条得宗家による専制の強化を推進、これを通じて幕府権威の回復に力を傾けた。
一方でその専制強化に伴う権力の一極集中は、北条氏庶家の弱体化を企図したと見られる嘉元の乱の失敗を経て、貞時が政務への意欲を失った事と併せ、御内人(得宗家被官)や外戚などを中心とした寄合衆による幕府運営に繋がり、却って執権や得宗家当主の地位の形骸化を招く格好ともなった。
幼き執権
建治3年(1277年)12月2日、弱冠6歳で元服。烏帽子親は時の幕府将軍であった惟康親王と見られているが、その惟康親王からの偏諱は受けておらず、貞時の名乗りについては北条氏の祖先とされる平貞盛に倣ったのではないか、という見解が有力視されている。
弘安7年4月4日(1284年4月20日)に父・時宗が34歳で亡くなり、当時まだ13歳であった貞時が、その後を継いで第9代執権に就任する。しかし若年の新執権の船出は決して順風満帆とは言い難く、早くも同年6月には有力御家人の一人であった足利家時(足利尊氏の祖父)が自害(※1)、さらに北条一族の内部でも、佐介流の北条時国が「悪行(※2)」を理由として誅殺され、その伯父の時光も謀反の嫌疑で佐渡に流されるなど、不穏な出来事が立て続けに起こっている。
こうした情勢不安定の背景には、幼少の貞時を支えるべき有力な親族の欠如が挙げられる。時宗には貞時しか子がおらず、また叔父にあたる時宗の同母弟・宗政や異母弟・宗頼も、時宗に先んじて死没していた。
これについては時宗も憂慮していたようで、生前に宗政の長男・師時、宗頼の長男・兼時と次男・宗方を猶子(相続権のない養子)としたのも、貞時を補佐する事を期待しての事であると考えられている。その期待に応えるように、彼らは長じるに及んで貞時政権を支える要職に就く事となる。
(※1 足利家時の自害の理由については、直後に誅殺された北条時国の失脚に関連するものとの見解が有力視されている一方、元寇以降に盛り上がりを見せていた源氏将軍を待望する風潮の中、時宗に殉死する事で得宗家への忠節を示したとする見解も提示されている)
(※2 この「悪行」が何を指すかは現在でも今ひとつ不明瞭なままであり、実際に時国が何らかの不行状に及んだか、あるいは安達氏とも縁戚関係にあったが故の言いがかりかで、見解が分かれている)
政権闘争
上記したような事情から、貞時による幕政は当初、有力御家人の一人で貞時の後見人でもあった安達泰盛(貞時の外祖父(血縁上は外伯父)でもあった)がその舵取りを担ったが、その施策(弘安徳政)は御家人らの既得権益を制限するもの(※3)であり、急激な改革に不満を抱く者も多かった。
また貞時の乳母父で、内管領(得宗家執事)を務める平頼綱らも、時宗の在世時より泰盛と政治路線を巡って対立する立場にあり、両者の対立ははやがて武力衝突にまで発展。これに敗れた泰盛以下安達一族は滅亡に追いやられる事となった。時に弘安8年(1285年)11月、世に言う霜月騒動である。
とはいえ、幕政の実権は単に泰盛から頼綱へと移っただけに過ぎず、未だ若年の貞時は頼綱に擁されるまま、彼の敷く独裁・恐怖政治にも殆ど関与できない(※4)状況が、その後数年に亘って続いた。当然、その中で頼綱の権力が執権をも凌ぐものとなるにつれて、幕府内のみならず貞時にも次第に不満が醸成されていった事は言うまでもあるまい。
そして正応6年(1293年)4月、頼綱の長男である宗綱による讒訴と、鎌倉を襲った大地震による混乱を好機と見た貞時は、自らの手勢に命じて頼綱の自邸を襲撃させ、これを自害に追い込んだのである(平禅門の乱)。
(※3 弘安徳政は御家人の既得権益と共に、得宗の権限をも制限するものであったという見方がかつては一般的であったが、一方で執権外祖父という立場から、逆に得宗権限の強化を図る意図が泰盛にはあったとする見方もある)
(※4 頼綱が幕政の実権を握ってからしばらくして、それまで重要政務の執事書状に必要とされてきた、得宗による花押のない書状が多数発給されており、この事からも頼綱による幕政において、貞時がお飾り同様の状態に甘んじていた事が窺える)
得宗専制の強化と徳政令の失敗
こうして実権を回復した貞時は、前出の北条師時、宗方ら従兄弟らの抜擢や、霜月騒動の際に追放されていた金沢顕時(北条実時の子)を復権させるなど、自身主導による新体制の確立に着手。同年10月には引付衆を廃止し、さらに師時・顕時に加えて同じ北条一族より北条時村・大仏宗宣・名越公時、そして旧安達派であった有力御家人の宇都宮景綱・長井宗秀を執奏に任命し訴訟制度の改革を行うなど、北条得宗家による専制体制の強化を推進した。
また、蒙古襲来(元寇)以降も異国船が度々日本の近海に出没していたことから、永仁4年(1296年)には鎮西探題を新設、また西国の守護を北条一族を中心に任せる事で、国防強化と西国への支配強化にも務めた。
さらに元寇による膨大な出費に苦しむ御家人を救済し、崩壊しつつあった御家人体制を立て直すべく、永仁5年(1297年)には徳政令を発布(永仁の徳政令、関東御徳政)。しかしこの徳政令の発布により、貸し渋りの風潮が蔓延するなど却って御家人たちは苦境に追い込まれてしまい、翌年には一部の条項を除いて撤廃されるに至っている。
そもそも御家人体制の揺らぎの原因は、単に元寇に際して生じた負担だけではなく、度重なる領地の分割相続により御家人が零細化していった事や、当時進展しつつあった貨幣経済など、複合的な要素が絡んでのものであった事が、昨今の研究の進展により明らかにされつつある。そうした御家人体制に横たわる根本的な問題や、時勢の変化を読み取り切れなかった事が、この徳政令の失敗に繋がったと言えよう。
嘉元の乱
このように幕政の行き詰まりに悩まされる中、正安3年(1301年)に飛来した彗星(現在のハレー彗星に当たると考えられている)を凶兆と憂慮した貞時は、31歳の若さで出家し従兄弟の師時に執権職を譲った。
執権職を退いたとはいえ、未だ働き盛りの貞時はその後も寄合衆を自邸に招き、幕府内に隠然たる権力を保持していたが、一方でこの時期の幕府内では貞時と大仏宗宣が、得宗専制の強化を巡って対立を深めており、さらに執権の師時と宗方との間にも確執が生じるなど、この時期の幕府内には紛争の火種が方々で燻る状態にあった。
そうした対立構造は、やがて最悪な事態を誘発する事となる。世に言う「嘉元の乱」の勃発である。
事の発端は嘉元3年(1305年)4月23日、内管領・北条宗方によって、貞時の命と称して連署の北条時村が殺害された事に始まる。かつては宗方の野心に起因したものと説明されてきたこの事件はしかし、前述の通り「貞時の命」、即ち一族の重鎮となっていた時村を討つ事により、北条氏庶流の力を削がんとする思惑が裏にあった事が、近年では有力視されつつある。
このように構図としては、父の代に起こった二月騒動を思わせるこの事件であったが、貞時にとっての誤算は二月騒動の時とは異なり、無実の時村を討った事に対する庶家からの風当たりが殊の外強かった事であった。
結局、5月2日には時村殺害は誤りとして、その実行に関与した五大院高頼ら11名が斬首に処され、同4日には時村殺害を宗方の陰謀と見做す形で、大仏宗宣らが宗方とその与党を誅殺に及んでいる。この一連の事後処理は、貞時が自らへ責任追及の矛先が向く事を回避すべく、已むを得ず行ったものと見られている。
得宗専制の形骸化
嘉元の乱で信頼する腹心を失った事、そしてそれと前後して長男・次男に先立たれた事は、次第に貞時から政務に対する情熱を失わせていったようで、晩年の貞時は酒宴耽りの生活に明け暮れる日々を送っていた事が、幕府官僚の残した諫書などからも明らかにされている。
このように貞時が政務を放棄する一方で、貞時を支える御内人や外戚、それに北条氏庶家からなる寄合衆による幕府運営は、執権の存在を抜きにしても十分に機能しており、得宗専制の強化と幕府権威回復を目指した貞時の思いとは裏腹に、これ以降の執権そして得宗家当主もまた、かつての幕府将軍と同様にその立場を弱体化・形骸化させていく事となったのである。
それでも徳治3年(1308年)には久明親王を廃し、その子である守邦親王を新将軍とした他、三男・高時の将来を見据え、その足場固めのために長崎盛宗と安達時顕を登用、延慶2年(1309年)には高時の元服式を執り行うなど、世代交代に向けた布石を打っている。
しかし応長元年(1311年)には、高時成長までの中継ぎを担っていた10代執権・師時が死去。その後任として、前述の通り貞時と対立関係にあった大仏宗宣が執権に就任した事は、この時既に病身であった貞時の幕政への影響力が弱まっていた事、そして貞時が全力を傾けてきた得宗専制の強化が頓挫した事を象徴するかのようなものであった。
そんな貞時も師時の後を追うように、わずか一月後の10月26日(1311年12月6日)に帰らぬ人となった。享年41(満39歳没)。その死に際し、貞時は長崎円喜(徳治3年頃に出家)と安達時顕に対し、高時を補佐し幕府を盛り立てていくよう命じ置いたが、前述の通り得宗家当主がお飾りも同然の立場となりつつある中で、高時が主体的に実力を発揮できる機会が巡ってくる事は遂になかったのである。
NHK大河ドラマ『太平記』
同作には貞時本人は登場していない(一応、初回の前半部分は貞時の治世と重なってはいる)が、第21話での北条高時の台詞の中で、貞時について言及する部分が存在する。(実情はともあれ)「名執権」と謳われた父・貞時の存在、そしてその父が重んじた「公平」、この二つこそが高時を暗君へと歪める一因となった事が、この場面において示されている。
NHK大河ドラマ『北条時宗』
父・時宗が主役の『北条時宗』では、物語中盤の第26話より登場。同話数にて時宗と時輔が久々に顔を合わせ、語り合っている最中に誕生した。
続く第27話では、安達の館から執権館に母子共々戻ろうとしたところを名越流の教時とその姉・桔梗が差し向けた刺客に襲われ、御内人数人が死傷する事件が発生。これが同作における二月騒動勃発の引き金となった。事件後は両親を相次いで失い、時宗に引き取られた時輔の嫡男・時利と兄弟同然に育つ。
その時利とは当初は折り合いがあまり良好と言えず、「兄弟ではありませぬ!」と時宗に反発し、時宗に叱られた事もあった。また幼少ながらもプライドが高く、元服前には時利との『兄弟』喧嘩から、執権館全体を巻き込んだ失踪事件を引き起こす。これにより、懐妊していた貞時の母・祝子を流産させてしまうことになる。時宗が亡くなる直前には「人を殺すな。誰も殺すな。」と遺言されるが、守られることはなかった。
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