概要
建長4年7月4日(1252年8月10日)~徳治元年10月9日(1306年11月15日)
鎌倉幕府第8代執権・北条時宗の正室で第9代執権・貞時の母。安達氏出身で父は安達義景(出生の翌年に死去)、21歳上の異母兄に泰盛がいる。幼くして父を亡くした彼女は泰盛に養育される。
10歳の時に1つ上の時宗の元へ嫁ぎ、20歳の時に嫡男・貞時を生む。26歳の時に流産している。
弘安7年(1284年)4月に病床にあった時宗とともに出家し、覚山志道大姉と安名。4日に時宗が34歳で亡くなり、貞時が9代執権に就任。翌年に起きた霜月騒動で安達氏一族が内管領・平頼綱と貞時によって誅殺された際は、一族の子供達を庇護したとされる。同年、貞時の承認を得て東慶寺を建立した。徳治元年10月9日に55歳で亡くなる。2年前に生まれた孫の高時が執権に就任する10年前のことであった。
その他
大河ドラマ『北条時宗』
演:吉谷彩子→児玉真菜→西田ひかる→十朱幸代。十朱氏はナレーションも兼任。
ドラマの語り部。作中では『祝子』という名で呼ばれている。
時宗に嫁いだ日の夜に時宗と口喧嘩をして実家に帰ってしまう。その夜は時宗の異母兄・時輔の母・讃岐局が時輔に反発されたショックで我を忘れて安達の館に火を放った日であり、祝子は逃げ遅れて燃える館の中に取り残されてしまう。祝子はその讃岐局によって命を救われるが、讃岐局は焼死してしまう。
妻として時宗の心を誰よりも理解しようとけなげに尽くす(西田氏曰く、彼女は『やじろべえ』的な存在らしい)が、どこかワンテンポずれたほんわかとした女性(時宗役の和泉元彌氏談)。時宗を心配するあまり彼が訊かれたくないことを何度も訊いてしまい、その度に時宗から「うるさい!」と怒られている。
絵を描くのが趣味で、本編やプレタイトルでもたまに絵を描く場面がよくある。ちなみに絵は松下禅尼から習っていた(第3話より)。
幼少の頃から時宗に言われているほどの泣き虫。だが時宗が病により政の表舞台から身を引いてからは「せめて時宗様を笑顔でお見送りしたい」として泣かないことを時宗に誓い、時宗のやり残したことを果たそうと陰で行動を続けた。そして時宗の最期をある人物とともに看取った。時宗の弔いを済ませたあとに出家(作中の時宗は出家しないまま亡くなった)し、覚山尼と称した(総集編のナレーションより)。最終回は彼女が32年ぶりに流した涙で締めくくられた。
本編では基本的には西田氏の姿だが、プレタイトルではたまに32年後の姿である十朱氏の姿で登場している。執権に就任したばかりの彼女の孫・高時や祖父・足利家時を自害により亡くしたばかりの高氏に説法をしていたが、上述の通り史実ではその10年前に亡くなっている。