概要
建治元年(1275年)~応長元年9月22日(1311年11月3日)。
鎌倉幕府第8代執権・北条時宗の同母弟・宗政の子として生まれる。第9代執権・貞時の従弟にあたり、妹は貞時に正室として嫁いでいる。また、師時の正室は貞時の娘。母方の祖父は第7代執権・政村。
父が29歳という若さで亡くなったため、彼は時宗の猶子として育てられた。
平頼綱が鎌倉大地震のどさくさまぎれに討たれた平禅門の乱の直後に鎌倉幕府の中枢に抜擢される。師時は引付衆を経ずに評定衆となり、宗政の異母弟・宗頼の子・宗方共々北条家庶流の一員というよりは得宗家に近い扱いだったとされる。
正安3年(1301年)8月に貞時が出家(鎌倉に彗星が飛来し、これを不吉なものと考えたと伝えられている)したことに伴い、幕府第10代執権に就任。貞時の嫡男・高時が成長するまでの中継ぎとしての就任であり、幕政の実権は貞時の手の中にあった。
応長元年9月22日に37歳という若さで死去。評定の最中に亡くなったと伝えられている。
貞時が亡くなる1ヵ月前のことだった。