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北条兼時

ほうじょうかねとき

鎌倉時代後期の武士。第8代執権・北条時宗の異母弟・宗頼の長男。
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概要

生没年 文永元年(1264年)~永仁3年(1295年)9月18日
 鎌倉幕府・第8代執権北条時宗の異母弟・宗頼を父として生まれる。弟に父・宗頼の死後、得宗・北条時宗の猶子(相続権のない養子)となり、「嘉元の乱」を起こしたことで得宗・北条貞時に滅ぼされる内管領・北条宗方がいる。

生涯

 弘安2年(1279年)、元との対外戦争に備えていた父・宗頼が長門国で死去し、弘安3年(1280年)、兼時は父の代わりに長門守護に任じられ、「長門探題」として西国の警備・防衛を担当。
 弘安7年(1284年)から六波羅探題南方、北方を歴任、西国の治安維持・警護を主任務としていたが、正応6年(1293年)1月、探題職を辞して鎌倉に帰還。しかし、同年3月に元との緊張が高まり、執権・北条貞時の命により九州に下向、現地の指揮を執った。

 正応6年(1293年)4月、内管領平頼綱が執権・北条貞時の命により討たれ、兼時にも知らせが届き、現地が動揺しないよう対応をとる。

 永仁3年(1295年)4月23日、探題職を辞して鎌倉に帰還、評定衆に任じられたが、同年9月18日、32歳で死去した。
              

関連タグ

鎌倉時代 鎌倉幕府 北条氏 北条貞時

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