北条時房
ほうじょうときふさ
眉目秀麗な人物であったと伝わり、また後述の通り蹴鞠や和歌にも通じていた事から、源頼家や実朝といった歴代の幕府将軍、それに後鳥羽上皇からも気に入られていたという。
特に後者に関しては上皇の命により一時京での出仕にも繋がっており、これが後年の実朝暗殺後の朝廷との折衝、それに六波羅探題としての活躍の素地ともなった。
泰時の治世下でも、時房は執権である泰時をよく補佐し、また泰時も時房と協調しての幕政運営に務めた。しかし、一方は北条一門の長老格、片や北条氏の嫡男である両者の関係性は必ずしも円満とは言い難かった。
泰時が執権となった当初は、時房との間で主導権を巡る争いがあったと見られ、またそもそも時房の連署就任も泰時の本意でなく、異母姉の政子や大江広元といった幕府重鎮の意向によるところが大きいと見る向きもある。後述の通り、泰時は時房の没後に彼の子孫である佐介流と大仏流との扱いに格差を付けたが、これもまた時房流の分裂とそれに伴う弱体化を意図した、泰時の意向があったとされる。
前半生
北条時政の三男として安元元年(1175年)に生まれる。治承・寿永の内乱には宗時・義時の異母兄たちと違いまだ年少の身だったため関わっていない。文治5年(1189年)の4月に佐原義連(三浦義澄の次弟、蘆名盛氏の先祖)を烏帽子親として元服。義連から一字を取り「時連」と名乗った。
同年に発生した藤原泰衡との奥州合戦で初陣を飾る。正治元年(1199年)正月、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝が死去し、その嫡男である頼家が源氏の家督を継いで二代将軍となったが、時連はこの頃蹴鞠に堪能であったのを買われてか、頼家の側近として近侍している。
また建仁2年(1202年)6月には将軍職についた頼家の命により、名を「時房」と改める。この改名については、当時やはり頼家の側近であった平知康の「時連の「連」の字は「貫」(銭の単位の意)を連想し印象が悪い」との指摘が背景にあった、という逸話も残されている。
この時期まで時房は官職に就く事なく、頼家の個人的な近臣として仕えていたが、改名の翌年に起きた比企能員の変で比企宗員・時員兄弟(共に頼家側近で、時房とも気脈を通じていた)らが討たれ、主君であった頼家も追放されると、時房はそれに連座する事なく主従関係も消滅した。こうした経緯から、時房が頼家に仕えたのも北条氏からの間諜としての役割を果たすためであった、との見方も示されている。
その後は一貫して北条一門としての立場を通しており、従五位下・遠江守次いで駿河守に任官した元久2年(1205年)には、畠山重忠討伐の折にはその討伐軍の大将軍として出陣。さらに和田義盛とその一族との武力衝突の際にも武功を上げ、上総飯富の荘園を拝領している。官位の上でも駿河守から遠江守、さらに武蔵守へと順調な遷任を重ね、時の相模守であった兄・義時と併せて北条氏は武蔵・相模という幕府の重要な国を掌握する格好となった。
六波羅探題と連署
承久元年(1219年)1月、三代将軍・源実朝が暗殺されると、朝廷と幕府との間で将軍後継を巡る問題が生じた。この時折衝の難航に業を煮やした義時は、1千騎の兵を時房に預けて上洛させ、後鳥羽上皇との間で折衝に当たらせた。
両者とも強硬な態度を崩す事なく、幕府側の求めていた「上皇の親王を将軍として東下させる」という案は潰えたが、一方で上皇から摂関家の子弟を鎌倉殿として下して構わないとの妥協案を引き出す事にも成功しており、これが九条道家の子・三寅(後の4代将軍・九条頼経)の鎌倉下向に繋がる事となる。時房も三寅の下向に際しこれに同行、鎌倉へと帰還している。
承久3年(1221年)に発生した承久の乱において、時房は甥である泰時とともに軍勢を率いて上洛。朝廷軍を一蹴し乱が幕府の勝利の裡に終わると、時房と泰時はそのまま京にとどまり、洛中の治安維持と朝廷監視を目的に六波羅探題を設置し、時房はその南方に就任した。
この時北方に就任した泰時はその後、元仁元年(1224年)の義時死去に伴って鎌倉へと帰還し、そのまま第3代執権に就任するが、時房も程なくして泰時からの招聘により、その補佐役として初代連署となり、鎌倉にて幕政の中枢に携わる事となる。貞永元年(1232年)には泰時と共に政所別当にも就任しているが、この時泰時から譲られる形で時房がその筆頭となっている。
垸飯
鎌倉幕府の重要な儀式の一つに垸飯(おうばん)がある。元日より数日にわたり、北条氏以下の有力御家人が将軍に太刀・名馬・弓矢とともに食事を奉る儀式である。特に元日から3日までの間の垸飯は、鎌倉幕府内の序列を意味した。義時没後の元仁2年(1225年)以降、泰時がその役目を担った嘉禄2年(1226年)と安貞元年(1227年)の2年間以外、一貫して時房が垸飯をつとめている。
他方で、最初の垸飯を務めた元仁2年には元旦のみその沙汰を行い、その後一時的に京都に戻っており、この行動にもまた前述した泰時との主導権争いが絡んでいると考えられている。
嘉禎4年(1238年)に正四位下に昇叙の後、翌々年の延応2年(1240年)に病没。享年66。時房の死に伴って連署も5年以上の間空席のままとなり、後任の連署として北条重時が就任したのは、泰時の次々代の執権である北条時頼の治世下である宝治元年(1247年)になってからの事であった。
時房死後の佐介流と大仏流
時房の庶長子で佐介流の祖となった北条時盛は、時房と泰時の死後に連署就任を要求するもかなわず、却って泰時の孫・北条経時により六波羅探題南方の職を解任。無役になり息子らとともに幕政から排除された。
その後、二月騒動で北条時輔が誅殺され空席になっていた六波羅探題南方に時盛の孫の時国が就き、佐介流も久しぶりに日の目を見た。しかし、時国を引き立てた北条時宗が早逝して間もなく時国は「悪行」を理由に常陸へ配流・誅殺の憂き目に遭い、同時期には彼の叔父である時光も謀反の廉で佐渡配流に処されるなど、一連の流れを通して佐介流は完全に没落した。余談だが時国は安達泰盛の与党だったため、時国処分はのちの霜月騒動の前哨戦と見なされることがある。
その一方で、時房の四男である朝直を祖とする大仏流は、朝直が泰時の娘婿であった事から時房流の嫡流として重用されており、前述の通り佐介流が没落した後は大仏宗宣が11代執権に就任するなど隆盛を誇った。
もっとも、幕府将軍を烏帽子親とし偏諱を受けていた得宗家や赤橋流に対し、得宗家当主を烏帽子親としていた大仏流は家格の上では前二者よりも一段劣る立場にあったとも見られており、この得宗家との歪な関係性が後の北条貞時の治世下における、貞時と宗宣の政治的対立にも繋がったと考える向きもある。
鎌倉殿の13人
主人公義時の異母弟。時政の三男として誕生し、生後すぐに生母と死別。事実上継母のりく(牧の方)に養育される。元服後に暫くは「時連」を名乗っていたが、史実通り平知康の助言により「時房」へ改名。以降公式を含む作中内外で「トキューサ」と呼ばれる羽目に。
父譲りの人懐こさで敵を作らず、懐に飛び込むのも上手い。特に蹴鞠は友康のお墨付きを得たほどの腕前で、噂を聞きつけた後鳥羽上皇相手に披露するほど。その反面恐ろしく現実的思考の持ち主であり、汚い手段を取れる度胸も時政譲り。泰時の理想論と違って必要とあらば裏工作も平然と行うなど(対人スキルの高さ故に露見しにくい)、政治的な才覚は父や兄を遥かに上回る。
表舞台の政治争いで摩耗していく義時にとっては本音を話せる数少ない存在。
関連記事
親記事
兄弟記事
コメント
pixivに投稿されたイラスト
すべて見るpixivに投稿された小説
すべて見る- kmkr殿の世界線に転生しちゃった話
貴方の手のひらとぬくもり・後編
誤字脱字、その他内容の矛盾等注意。鎌倉殿のサウンドトラックの中だと、軒下の梅Requiem辺りが読みながら聴くのにおすすめです。表紙は、かんたん表紙メーカーさんでつくらせてもらいました! ↓感想等、こんなif展開とか短い幕間とか書いて欲しいのあればどしどしお寄せ下さい!!もらえると飛ぶほど喜びますんで!!お願いします!! https://wavebox.me/wave/bziv88g1lbvazj8a/17,784文字pixiv小説作品 - 鎌倉殿の13人 に想う
すでに覚悟をさだめている弟に、私は 第42回 「夢のゆくえ」
今回は、北条政子さんの視点のお話です。 今回はこのお方を書くのは苦労するだろうなと思っておりましたが、やはり書き上げるまでに、かなり苦労してしまいました😭5,166文字pixiv小説作品 - 鎌倉殿の13人 あとがたり
時を継ぐ者 第16話 「序列」
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』をモチーフにした、ドラマのあとの物語を描く二次創作ものシリーズの第16話です。よろしくお願いします🙇♂️ ドラマの後の展開については、さまざまな資料を参考にしながら、貧弱な脳みそ😭を駆使して考えて書いていますが、間違えていましたら誠に申し訳ございません🙇♂️ 今回の話に出た、元日の儀式である『歳首の椀飯』沙汰を、トキューサこと北条時房さんがつとめた件に関しましては、北条泰時さんと時房さんが水面下で権力争いをしていた可能性を示しているという説もありますが、本シリーズは大河ドラマの設定を参考にしているため、二人は仲良しだということにしています🙇♂️ この先の展開によっては変わるかもしれませんが……。 ああ、なんて書きづらいんだ、このシリーズは😭2,732文字pixiv小説作品 - 時のかたみに
雪は降りつつ
建保五年三月~建保七年正月。唐船の完成直前から、運命の雪の日までの実朝と泰時の話です。今回諸事情で時間がかかってしまいました。 頼家も実朝も近年再評価が進んでいますが、あの日あの場所で命を落とした事実そのものは動かないわけで、なんともやるせない気持ちになります。 ドラマの実朝と泰時の間に流れるあの絶妙な空気感が大好物なのですが、私の筆力ではいまいち表現しきれないのが残念。初登場のトキューサと初ちゃん(と仲章)は書いていて楽しかったです。安達景盛はドラマにもいましたが、キャラがいまいちわからないので捏造気味です。 ドラマでははっきり描かれませんでしたが、讃岐守辞退の件の後に義時から侍所別当を譲られる泰時、というのはなかなか味わい深いものがあります。執権を継いだのは父の没後ですが、少なくとも侍所別当は父から直接引き継ぐことができたんだなあと思うと…。あと事件後に悲嘆にくれる御家人たちはどうしても入れたくて。頼朝のときでさえ出家した人はそう多くないのに、景盛を含む百人前後が出家したというのは、実朝が御家人たちに慕われ期待を寄せられていた何よりの証拠だと思うのです。 作中に使わせてもらった泰時の和歌は『東撰和歌六帖』より。実際に詠んだ時期は不明ですが、一枝だけ散り残った花という地味なところに目を留めるあたりがなんとも泰時らしくて好きです。 執筆時BGM:https://www.youtube.com/watch?v=XCcdeiXapsE19,501文字pixiv小説作品 - 宇宙戦艦ヤマト × 鎌倉殿の13人
沖田十三の13人 第46回 「将軍になった女」
なんだ、これ(・_・; 鎌倉と京のいさかいが、のちの『元寇』の遠因に……なるわけないだろうが(・_・; まさか『和田合戦』のあとも、『波動砲』ネタが出てくるとは😅678文字pixiv小説作品 - 鎌倉殿の13人 あとがたり
時を継ぐ者 第4話 「揺動」
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』をモチーフにした、ドラマのあとの物語を描く二次創作ものシリーズの第4話です。よろしくお願いします🙇♂️ 今回も、書き上げるまでにかなり苦労してしまいました😭 いろいろ調べて書いてはいるのですが、間違えていましたら、誠に申し訳ございません🙇♂️ やはり、ドラマの放送が終わってからスタートするべきだったのか😭 って、いまさら遅いって(・_・;2,030文字pixiv小説作品 - 鎌倉殿の13人 あとがたり
時を継ぐ者 第3話 「覚悟」
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』をモチーフにした、ドラマのあとの物語を描く二次創作ものシリーズの第3話です。よろしくお願いします🙇♂️ 本シリーズは凄く頭を使うので😭、なかなか一気に書けないです😭886文字pixiv小説作品 - 鎌倉殿の13人 あとがたり
時を継ぐ者 第15話 「面影」
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』をモチーフにした、ドラマのあとの物語を描く二次創作ものシリーズの第15話です。よろしくお願いします🙇♂️ ドラマの後の展開については、さまざまな資料を参考にしながら、貧弱な脳みそ😭を駆使して考えて書いていますが、間違えていましたら誠に申し訳ございません🙇♂️ しばらく脱線して、ほぼギャグの別のシリーズものを書いていたので、本シリーズはご無沙汰してしまいました。 やはり、このシリーズは頭を非常に使うので😭、書くのはかなり難しいです😭 政務に関する記述については、一部私の想像箇所が混ざっておりますので、ご了承お願いします🙇♂️2,135文字pixiv小説作品 - 時のかたみに
波路の果て 上
貞永元年七月、和賀江島築港中の由比が浜にたたずむ泰時。 この連作もようやく終わりに近づきました。おなじみの人々が次々に世を去っていくのはやはり書いていてしんどいものがあります。貞永元年の時点で存命なのは、泰時たち兄弟と初、盛綱、時房、三浦義村・光村、安達景盛、結城朝光、長沼宗政、千世、あと後鳥羽上皇くらいでしょうか(のえさんは史料では没年不明)。 政子が最後に日照りと疫病のため盛大な僧供養を発案したことは吾妻鏡にあり、なんとなく『源氏物語』御法巻の紫の上を連想させます。しかもその後本当に雨が降っていたりして、大江殿が「尊い……』とうっとり拝んでいそうな。 今回は話の進行上、ドラマやこれまでの話には出てこなかった人たちが何人も登場しています。特に泰時の息子たち。個人的にドラマの初は「三浦義村の娘」と「安保実員の娘」を合わせたようなキャラだと思っているので、時実くんも仮に初の子ということにしておきます。頼全くんがドラマでは実衣の子のように描かれていたのと同パターンで。時氏は承久の乱の話で出そうか迷ったのですが、通称が泰時と同じ「太郎」なので紛らわしくなりそうで出せませんでした。実はあのときもいたということにしてやってください……。 前に難しくて書けないと言った明恵さんですが、少し調べただけでもじつに魅力的なお方。肖像画にはほんとに小鳥や栗鼠が描きこまれていたりします。泰時との歌の贈答がまたいいんですよね。宇都宮頼綱との関係といい、泰時はどこか年上の相手に対して甘え上手なところがある気が。父との関係が実際どうだったのかはわかりませんが、やはり愛されて育った人なのかなという雰囲気は感じます。 孫の戒寿くんは言わずと知れた後の五代執権、時頼です。彼の乳母夫が平盛綱というのがまた美味しいポイントですね。完全に「お坊ちゃまとじいや」の関係性で。あと、ドラマに一切出てこなかった諏訪盛重を名前だけでもここで出しておきたかった理由は、某漫画をご存じの方ならきっとわかってくださるかと。 お話は後半へと続きます。 執筆時BGM:https://youtu.be/2zKeW_ksfys13,713文字pixiv小説作品 - 鎌倉殿の13人 あとがたり
時を継ぐ者 第18話 「設置」
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』をモチーフにした、ドラマのあとの物語を描く二次創作ものシリーズの第18話です。よろしくお願いします🙇♂️ ドラマの後の展開については、さまざまな資料を参考にしながら、貧弱な脳みそ😭を駆使して考えて書いていますが、間違えていましたら誠に申し訳ございません🙇♂️ 『連署』や『評定』の設置に関する内容は、さまざまな説があるため、一部は適当な内容となっておりますので、ご了承よろしくお願いします🙇♂️1,795文字pixiv小説作品 - 鎌倉殿の13人 に想う
揺らぐ根幹に、私はどう処すべきか 第42回 「夢のゆくえ」
昨日は、ほぼ甥っ子にスマホを貸していたため、昨日のうちに投稿することはできませんでした😭2,428文字pixiv小説作品 - 鎌倉殿の13人 あとがたり
時を継ぐ者 第8話 「派遣」
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』をモチーフにした、ドラマのあとの物語を描く二次創作ものシリーズの第8話です。よろしくお願いします🙇♂️ ドラマの放送がまだ終了していないため、ドラマの後の展開については、さまざまな資料を参考にしながら、貧弱な脳みそ😭を駆使して考えて書いていますが、間違えていましたら誠に申し訳ございません🙇♂️ 『六波羅探題』に関する説明につきましては、『歴史人』2022年12月号の記事を参考にしました🙇♂️3,169文字pixiv小説作品 - 鎌倉殿の13人の小説
挑戦状
東重胤→源実朝で、BLチックな内容を含むので、念のためR15としておきます。東重胤が、少年実朝をめぐって、小四郎叔父上にたたきつけた挑戦状とは。 吾妻鏡によると、小四郎叔父上が怒った実朝と重胤との間を取り持ってあげているんですが。実朝が重胤に送ったらしき和歌は、金槐和歌集では「恋の部」に入っているらしく( ̄▽ ̄)。しかし、だからといって、実朝と重胤が本当に恋愛関係にあったかどうかは不明です。練習のためだけに読んだのかもしれないし、重胤は実朝よりも15歳くらいも年上ですし(;^_^A。二人が本当に恋愛関係にあったとしたら、小四郎おじさんがその仲立ちをしたことになってしまいます(-_-;)。重胤からの実朝への返歌は残念ながら分かっておらず、返歌の解釈は私の勝手な妄想であります。 在五中将の「東」下りと「東」重胤をかけて、重胤には、東の在五中将を気取ってもらいました。 それと、平六おじさんが、まな板の上の雁がどうとか言っていますが。金槐和歌集には、「まないたというものの上に、雁のあらぬさまにして置きたるを見てよめる」との詞書の後に、「あわれなり雲居のよそにゆく雁もかかる姿になりぬと思えば」という歌があります。もちろん、平六おじさんの言ったような意味で、実朝はこの歌を詠んだわけではありません。 いろんなエピソードをもとにしたフィクションでございます。あしからず。5,356文字pixiv小説作品 - 宇宙戦艦ヤマト × 鎌倉殿の13人
沖田十三の13人 最終回 「報いの時」⑥
なんだ、これ(・_・; 見た目は若いのに、じじい呼ばわりされる三浦義村さん😭 これが、のちの『宝治合戦』につながる訳ないだろうが(・_・;792文字pixiv小説作品 - 鎌倉殿の13人 に想う
尼将軍となった私は、鎌倉と、鎌倉のために敵に命を差し出そうとする弟を守るために、演説をおこなう 第47回 「ある朝敵、ある演説」
64文字も使った、長いタイトルだ😭 今回は、北条政子さんの視点のお話です🙇♂️ 小池栄子さんの演技は凄すぎました🙇♂️ 最終回の予告に震える自分🥶 公開された最終回のある場面に茫然としています😭7,139文字pixiv小説作品 - 鎌倉殿の13人 に想う
我が跡を継ぐ者が鎌倉殿に取りこまれないために 第42回 「夢のゆくえ」
今さらではありますが、第42回のお話における、北条義時さんの、北条泰時さんに抱いている心情のお話です🙇♂️ 第42回が放送された週に途中まで書きかけていたのを、今ごろになってようやく書き上げました🙇♂️5,437文字pixiv小説作品 - 鎌倉殿の13人 あとがたり
時を継ぐ者 第19話 「実権」
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』をモチーフにした、ドラマのあとの物語を描く二次創作ものシリーズの第19話です。よろしくお願いします🙇♂️ ドラマの後の展開については、さまざまな資料を参考にしながら、貧弱な脳みそ😭を駆使して考えて書いていますが、間違えていましたら誠に申し訳ございません🙇♂️ 『鎌倉殿』ロスがまだおさまらないなか、次の大河ドラマ『どうする家康』の初回放送を拝見しましたが、まだ初回なのでなんともいえません。これから先の展開に期待したいと思います🙇♂️ ここ最近はいろいろ脱線してしまって、なかなか小説を書くところまで進みませんでした😭 もともと、北条泰時さんを軸に据えた話を書くのは難しいと思っておりましたので、本シリーズはかなり難儀しております😭 なんとか完結はしたいと思っておりますので、不安だらけではありますが、なにとぞよろしくお願いします🙇♂️2,505文字pixiv小説作品