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生涯

享禄元年(1528年)~天正4年(1576年)
戦国時代安土桃山時代)の伊勢三重県)の北畠晴具の長男として生まれ、朝廷から官位を授かり、従三位・権中納言にまでなった。
天文22年(1553年)に父の隠居により家督を相続して第8代当主に。
長野家や九鬼家などとの争いに勝利し勢力を拡大し、北畠家を伊勢の有力勢力にまで成長させた。
永禄6年(1563年)には嫡男の具房に家督を譲って隠居するも、隠然たる影響力を持った。
永禄11年(1568年)から織田信長が伊勢に侵攻し、徹底抗戦。長らく奮戦するも降伏し、信長の次男・信雄を具房の養嗣子にすることで和睦した。
しかし、信長との不和と対立は続き、天正4年(1576年)に信長と信雄の命を受けた家臣の襲撃によって一族ともに暗殺される。享年49歳。

剣術に長けており、塚原卜伝から教えを受けて奥義も伝授されたほどの腕前を持つ。

関連タグ

戦国時代 戦国武将 伊勢 織田信長 織田信雄 塚原卜伝

創作

信長の忍び

伊勢の鬼退治

(画像奥)
CV:石井康嗣
伊勢を支配する大名。針金のように突き立った髪とヒゲ、鷲のように鋭い目を持つ男。
個人戦であれば最強と目される天下一の剣豪大名であり、武術は最大値「10」をマークしている。強さに恥じず極めて好戦的であり、一兵卒に扮して戦場を忍び歩き敵を皆殺しにすることで恐れられていた。部下はおろか軍馬にもその戦闘狂ぶりは知れ渡っており、敵である千鳥がフツーに一騎打ちに応じた際には罠と疑うどころか歓迎の垂れ幕まで用意していた

信長の伊勢攻めに関しては部下の反対を押し切って前面抗戦に望み、滝川一益に包囲され籠城戦を強いられても先述の辻斬り戦法で織田軍を震え上がらせていた。主人公・千鳥との一騎打ちを行い圧倒するも、全装備を解除しフルスピードを発揮した千鳥に敗北、息子・北畠具房らの懇願もあり降参の旗印を掲げる。

ところが、具教の戦いはまだ終わっていなかった。信長の伊勢攻めから7年後、将軍・足利義昭から密書が届き、今一度織田家と戦って死ぬ事を決意し謀反を企てる。それを知った信長は千鳥を通じて息子・信雄とその家臣(元は具教の家臣)に粛清を命じた。
迫り来る敵を次々と斬り伏せていく具教だったが、かつての家臣・長野左京亮に斬られ討死。彼が望んでいた千鳥との再戦は叶わなかったが、剣豪として最期まで刀を手放す事はなかった。

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