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吉川元春

きっかわもとはる

戦国時代の武将、大名。毛利元就の次男。 毛利両川の一人。生涯不敗を誇る名将。
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生涯

享禄3年(1530年)に、毛利元就と妙玖夫人の間に生まれる。
元就による政治基盤を盤石にする為、吉川家へと養子に出された。
その後元就の謀略により吉川家の家督を継ぐこととなる。
これによって毛利宗家を支える吉川家という構図が完成した。
そして、同じく元就の謀略によって小早川家の家督を継いだ弟・小早川隆景とセットになり、
名高き「毛利両川」として活躍して行くこととなる。

それから元春は武勇面で優れて厳島の戦い、月山富田城攻めなど毛利の名だたる戦場に出陣し、
勢力拡大に大変貢献した。
しかし、中央で勢力を増す織田家と衝突し、背面には九州の大友家が圧迫してくるという
非常に厳しい局面にぶつかってしまう。
またこの時強大な後ろ盾であった元就が死去してしまった。元春の奮戦も虚しく
どんどん窮地に陥ってしまったが、「本能寺の変」により織田信長が死去し、
羽柴秀吉側から和睦を持ちかけられて、これに応じて事なきを得ることとなった。

和睦後は、家督を嫡男の元長に譲って隠居してしまうが、秀吉は九州征伐への参陣を強く要求した。
この時重たい病を患っていたが、これに従い結果として病状の悪化により
豊前小倉城で生涯を終えることとなった。享年57。

逸話

  • 元春の生涯における通算戦績は76戦64勝12分。戦国史を見ても燦然と輝く立派な数字で、不敗の名将と名高い。
  • そんな元春の唯一の敗北とされるのは、幼い日に弟の隆景と雪合戦を行ない、隆景の策によって裏をかかれ、敗れた。敗北は生涯これ一度きりと言われている。
  • 性格面からよく粗暴と言ったイメージが付きがちだが、本人は文武両道だった。その例として、太平記を丸ごと写すことを趣味としていたらしい。
  • 関ヶ原の戦いにおいて最大のキーマンの一人である吉川広家は彼の三男である。
  • また、彼の子孫の一人がミュージシャン吉川晃司である。


創作

軍師黒田官兵衛伝

堂々たる体躯と荒々しい面持ちが特徴な猛将。生涯無敗を誇る武断派武将であり、秀吉との和睦にも最後まで反対していた。
この時代としては珍しく側室を持っていない(そのため、隆景共々側室を持っていない黒田官兵衛に親近感を抱いていた)のだが、その正室がすこぶる醜女であり、敵軍はおろか隆景からも散々バカにされている。

戦国無双シリーズ


武器 槍(激)、刀(2emp) cv 草尾毅(2emp)

激・戦国無双から一般武将として登場している。
2empiresでは三本の矢の教えを元にした会話イベントのほか、上杉謙信を大天狗と称した事を下敷きにした大天狗というイベントがある。

関連タグ

日本史 戦国時代 戦国武将 中国勢 
毛利元就 毛利隆元 毛利輝元  小早川隆景 毛利両川
信長の野望 太閤立志伝 創作戦国
広島県

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