生没年 1551(天文20)年~1597(慶長2)年
官位 従四位 侍従
中国地方の戦国大名・毛利元就の四男として誕生。母は側室の乃美大方。
生涯
永禄9(1566)年、宗家当主で甥に当たる毛利輝元の加冠を受けて元服した。
長男・毛利秀元は輝元の養子になっている。
毛利家の武将として兄弟とともに活躍したほか、文禄の役では病気の輝元に変わって毛利軍の総大将を務めたこともあった。
しかし1597(慶長2)年2月から始まった慶長の役での陣立て表には元清の名はなく、このころから体調を崩してていたといわれる。同年6月に三兄の隆景が亡くなり、その1か月後にに病没。享年47歳。
逸話
- 元清が「穂井田」姓を名乗っていたのは、元になった備中穂田郷(岡山県倉敷市・矢掛町)の猿掛城番になった1575(天正3)年ごろから1593(文禄2)年までで、それ以外は「毛利」姓を名乗っている。
- 文禄の役では虎を2頭生け捕りにして秀吉の下へ送っている。
- 兄・小早川隆景を特に信頼しており、弟達の中でも仲が良かった七男・天野元政に、「困ったことがあったら、何事も景さまに相談するように」と話していた。
- 死期を悟った元清は、同じく病床にあった隆景と共にどちらが先に死ぬかという会話を行い、その後上述のように隆景、元清の順で亡くなった。
創作における穂井田元清
戦国群雄伝のシナリオ2より初登場。初登場時は地味な能力だったが、現在は強化されており統率に関しては80台と元春・隆景に次いで高く隆元で上回っていた。(最新作の創造では相変わらず統率は80台だが、知略に関しては隆元と同じく81となった)
武器:刀剣 声:宮坂俊蔵
「毛利元就が四男・穂井田元清なり!見参!」(特殊台詞)
3Empでは兄3人や輝元と同じく特殊台詞が存在していた。4でも喋り方を変えて続投(声は3と同じく宮坂氏)し、4Empでは特殊台詞が無くなった隆元と元春(弟の隆景が無双武将に昇格した事から?)に対し、彼と輝元のみ特殊セリフはそのまま続投している。