生涯
明応8年(1499年)、安芸国国人・吉川国経の娘として小倉山城で生まれる。
ちなみに妙玖は法名で、本名は不明。
毛利元就の元に、政略結婚という形で嫁ぐ事となった。
そして、天文14年(1545年)、郡山城内で死去。享年47。
人物
- 妙玖の存在は大きく、彼女の息子である隆元や元春、隆景達は戦国時代きっての名将となり、毛利家発展の重要人物となった。
- 形こそ政略結婚であったが、元就とは非常に仲睦ましい夫婦として伝わっており、実際この時代では珍しく、妙玖存命中は側室を一人も置くことが無かった。
- 筆マメで知られている元就の手紙にも度々妙玖に言及する部分が登場しており、内容としては「妙玖が生きていればな」など、妙玖の死を嘆くものが多い。
- そんな両親を見て育ったためか、息子の隆元や元春、隆景も側室を一人も置かない当時としては非常に珍しい一途な一族となった。
毛利元就(大河ドラマ)では
演:富田靖子
この作品では『美伊』という名前で、『美伊』『美伊様』『美伊の方』と呼ばれている。
吉川家の娘で、叔父・尼子経久の意向で元就に嫁いだ。最初は元就に嫁ぐことに反発し、了承して嫁した初夜に「危害を与えない」という意思表示としていきなり元就の前で全裸になったことから傷ついた元就に距離を置かれてしまう。しかし、元就を刺客が襲った事件をきっかけに打ち解けた。
元就との仲はとても良く、元就は浮気したことはあったが、側室を持つことはなく、ようやく息子たちのすすめで側室を持ったのは美伊の死後だった。
性格は朗らかで「勝ったようなもの」が口癖。息子の中では特に徳寿丸(小早川隆景)を可愛がり、徳寿丸が小早川家に養子に出されると知った時はショックを受けるが、前向きな気持ちで送り出した。
やがて美伊は病に冒され若くして亡くなり、その後杉の方(元就の義母)も亡くなり、大事な人が立て続けに亡くなったこともあり、元就は美伊の実家の吉川家を乗っ取ろうとするなど鬼のごとき謀略家になった。
しかし、美伊の死後、美伊と入れ替わりで『妙(たえ)』という女性(隆景の妻・阿古姫の侍女)が登場し、藤野(美伊の侍女)の説得で元就の側室に入ったことで、元就は美伊が在りし日の生き生きとした表情を取り戻した。
この作品では、前半は美伊、中盤からは妙が、元就の大事な女性として描かれていた。