三本の矢
3
さんぼんのや
3本の矢に纏わる伝説、例え。
毛利元就が三人の息子(毛利隆元、小早川隆景、吉川元春)に「一本の矢は折れやすいが三本の矢は容易く折れない」ことから兄弟の団結を説いた逸話に基づく事柄である。広島市のサッカーチーム、「サンフレッチェ広島」の名前もここに由来する。
まさに歴戦の名将に相応しいエピソードだが、隆元は父より先に病死しており、他二人も他家に養子として出されていたため三兄弟は揃いようがなかった(ちなみにこの三人は正室との子だが、側室との間にも四~九男までの6人いた)。
そして関ヶ原の戦いでは小早川と吉川の足並みが揃わなかったせいでせっかくの領地も大半が没収という憂き目にあってしまった。元就は草葉の陰で泣いたことだろう。
江戸時代に編纂された「前橋旧蔵聞書」が逸話のソースであり、史実では「三子教訓状」となっている(文章は毛利博物館に保管されている)。
聖書では「もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。」(伝道者の書4:12)という、似た教えが存在する。
3本でも折れたり1本でも折れなかったりと、逸話を台無しにする展開もお馴染みである。
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