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三遊亭小遊三

さんゆうていこゆうざ

三遊亭小遊三とは、日本の落語家。誰もが知る長寿演芸番組『笑点』のメンバー。
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プロフィール編集

本名天野幸夫(あまの ゆきお)
出身地山梨県大月市
所属落語芸術協会、有限会社大有企画(マネジメント)※
生年月日1947年3月2日
師匠三代目三遊亭遊三

※大有企画には小遊三、師匠・遊三はじめ9人落語家が在籍。


概要編集

大学在学中、6代目三遊亭圓生の弟子入りを志願し、圓生の自宅に通い落語を習っていたが入門は断られてしまう。しかし落胆する天野(小遊三の本名)を不憫に思った圓生の弟子で前座の三遊亭ぬう生(現:3代目三遊亭圓丈)の勧めもあり落語芸術協会(当時は日本芸術協会)の3代目三遊亭遊三に弟子入りする。(3代目三遊亭遊三は2022年現在健在。)

卒業と同時に芸名「遊吉」で初高座。

1973年、二ツ目昇進、「小遊三」に改名。

1983年3月、抜擢により真打昇進。

同年10月16日、三遊亭好楽(五代目圓楽の強い希望により、1988年4月3日に復帰)の後任として『笑点』の大喜利レギュラーに就任。(小遊三以降の加入した笑点メンバーは加入前に真打に昇進している。)


現在は落語芸術協会参事。尚、2005年から2019年までは同協会副会長を務めており(2018年以降は会長代行も兼任)、笑点などではこれをもじって「便所でお尻を拭く(副)会長」というフレーズを用いていた事もある。


あまり威張り散らさないフランクな雰囲気を出すことに成功し、同世代の噺家がこれを「拭かない奴はいないだろう」と指摘するのも鉄板ネタだった。


笑点の高座での豪快な語り口と下ネタのイメージにたがわず、落語の方も古典、特に長屋噺を得意とする。「短命」などのちょっとスケベ感のある噺が実にうまい反面、人情噺をまったく語らないという生粋のコメディアン気質。特に「番頭や手代が美人の女中に夜這いに行って大失敗する」という筋の噺「引っ越しの夢」は、実に小遊三感あふれている。

昔からかなり自由な人だったようで、二ツ目に昇進したときには放任主義だった師匠の遊三から「俺の下じゃなかったらこんなにもたなかっただろうな」と言われたり、圓丈にはその性格や芸風が自分と似ていると書かれた上で、一度コントの前の打ち合わせで喧嘩になった話も暴露されている。

べらんめえで豪快な語り口と、下ネタと犯罪ネタの多さからは意外なことに、身ぎれいでスキャンダルとも縁がない恐妻家であり、非常に真面目でしっかり者で義理堅い人物。


他にも友人であるヨネスケの落語家廃業を引き留めたり、落語協会分裂騒動にまったく関わっていなかったり、その特殊な立ち位置から6代目円楽と圓丈の対談への同席(鼎談)や、まったく別団体の6代目円楽襲名披露口上を務めたりなど、常に騒動の渦中から一歩引いたところにいる。6代目円楽の存命中はよく5代目圓楽一門会と落語芸術協会の合同イベントなどにもよく出席していた。


しょうもない下ネタばかり言ってるオッサン感があるものの、実はスポーツ万能。

学生時代は卓球部に所属しており、落語家になった現在も『らくご卓球クラブ』のヘッドコーチを務め、世界ベテラン卓球選手権大会に数回出場している。「突撃!ヨネスケちゃんねる」でゲストとして自宅に突撃された際は卓球の話の方が盛り上がっていたほどの生粋のスポーツマン。

1964年東京オリンピック(当時高校生)と1998年長野オリンピック聖火ランナーとして走ったことがある。さらに、2019年12月には翌年に開催される東京オリンピックの聖火ランナーを務めることが山梨県より発表された。

なお、落語家に転身するきっかけになったのは卓球で国体に進出できずに、「(卓球は)ここまでだな」と実力を見限ったからである。

最近では笑点でも使わなくなったが結構な野球ファンであり、ジャイアンツファンの三遊亭圓楽が喜ぶ回答をすることもあった。


主なネタは、「自称イケメン(その対象は主に、木村拓哉ペ・ヨンジュン福山雅治アラン・ドロン)」「銀杏拾い」「下ネタ」「犯罪者ネタ」「自販機の下で小銭拾い」だが、一番はなんといっても、林家たい平と繰り広げる「大月秩父戦争」。因みに、この戦争の初出は2007年末の年忘れ大喜利3問目である。大月秩父戦争が長期化の様相を呈した結果(?)、大月・秩父両市で交流の話が持ち上がり、2010年には「ホーム・アンド・アウェイ方式」の落語会・トークバトルイベントが大月・秩父両市で開催され、当時の大月市長、秩父市長がそれぞれの自治体をPRした。

  • 小遊三「たい平が落語家やめて力士になりました。 」→歌丸「四股名は?」→小遊三「ばかちちぶ!」→楽太郎「うまい!うまい!」→歌丸「山田くん、1枚やって。秩父の皆さん、これシャレですからね。」

最近はあまり出して居ないが、以前は着物の色と丸顔にちなんだドラえもん(大山のぶ代時代)の物マネや、怪しい外国人ネタ(「あ、コレちょっと内緒の話アルがね」など)も良く展開していた。

また、メンバー(山田隆夫以外では)の中では、最も本名(天野幸夫)が出やすい。6代目の三遊亭円楽は、この本名をネタにして改作した「代書屋」を持ちネタのひとつにしていた。天野幸夫なる人物が、自分の名前を「天罰の天!野グソの野!不幸の幸!人に二重線を引いて「人でなし(夫)」!」と紹介し、大喜利の前にやる落語として披露していた。


2005年10月以来長らく、座布団10枚を未だ達成していなかったが(それでも、「瞳を閉じて」の達成回では木久扇とダブルリーチまでいくという快挙を成し遂げた)、2013年12月1日の放送で遂に、歌丸政権で自身初の10枚達成を果たした(現メンバーでは最後に達成)。

また、歌丸勇退の日、最後の最後で歌丸ジェノサイドを発動させたのは彼である。


春風亭昇太が司会になり、桂宮治春風亭一之輔が入ってからも相変わらずしょうもない回答で座布団を取ったり取られたり。「時間帯を考えなさい!僕はそういうのは嫌いだ!」「あのねぇ、少しケツから離れなよ!」「普段からそういうことばっか考えてるから!そうなっちゃうの!」と司会に叱られ続けて45年というすごい人。

2022年に桂宮治が新加入する際に30年ぶりに席替えが行われたが、既存メンバーでは小遊三のみ席替えが行われなかった。


なお、2024年現在は笑点メンバーの中では好楽に次ぐ古参メンバーであり、たい平・一之輔など、自分より若い世代の「番組の分をわきまえていない行動(司会にやたら文句を言ったり、数人でつるんだり)」にはかなりきつめの苦言を呈することもあるなど、芸風からは想像できないほどに一線をわきまえている厳しい人物である。


円楽亡き今はピンクの人にあんまり威厳がないので、番組の空気を引き締める最後の砦。また黄色い人に若干苦手意識を持っているようで、書籍やインタビューなどでよくこぼしている。


1980年に亡くなった三遊亭小圓遊が着用していた青色の紋付を好楽を経て引き継いで現在に至っているが、歌丸や木久扇に何度か小圓遊と言い間違えられたことがある。


アニメでは次の作品で劇中、落語を披露している。

らくごアニメ・滝田ゆう落語劇場(1991年

落語天女おゆい2006年)・・・本人役


上記にあるように犯罪者のネタがおなじみだが、犯罪心理学者の甥がいる。





関連タグ編集

落語天女おゆい

春風亭昇太 三遊亭好楽 林家たい平 立川晴の輔 春風亭一之輔 桂宮治 山田隆夫

桂歌丸 林家木久扇 三遊亭楽太郎(6代目三遊亭円楽) 5代目三遊亭圓楽 林家三平 林家こん平 長州小力 菅野美穂

大月(山梨県大月市) 歩く18禁

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