プロフィール
概要
武蔵野美術大学卒業という経歴を持ち、自分の高座を収録したCDには自ら挿絵を描いている。
大学時代に落語サークルに入会し、廃止寸前だった同サークルを復活させている。
当初は「落語」というもの自体が分からずコントや漫才で繋いでいたが、人間国宝・五代目柳家小さんの『粗忽長屋』を聞いて感動し、本格的に落語の研鑽に打ち込んでいった。
1988年に海老名家への住み込みの条件をのんでこん平に弟子入りし、若手時代を過ごしてゆく。
妻は元キャスターの友田幸岐(本名・千華)で、夫人との間に2男1女がいる(長男については後述)。
笑点では若手大喜利のメンバーとして出演していて、本編の大喜利には1998年7月12日に座布団運び代理として初登場。(1998年7月は山田隆夫が休演しており、若手大喜利の成績優秀者に座布団運び代理としての出演権が与えられていた。)その6年後の2004年9月に師匠のこん平が入院・休演したのに伴い、同年12月26日に笑点の仮メンバーとして師匠の着ていたオレンジの着物を引き継いだ形で登場。(現時点で降板した前メンバーの色紋付をそのまま引き継いで笑点に出演した最後のメンバーである。)2005年10月に5代目圓楽が脳梗塞で倒れて休演した際はメンバーがローテーション(後に歌丸で固定)で代理司会を行ったが、たい平だけはしてなかった。これは「(当時は)師匠の代役として出演しているため、差し置いて司会はできない」とのこと。2006年5月14日の40周年スペシャル後、5代目三遊亭圓楽の勇退、師匠こん平の事実上の降板及び桂歌丸の5代目司会者就任に伴い、正規メンバーとなった。ちなみに翌週の5月21日には同じく若手大喜利のメンバー(司会)であった春風亭昇太が新メンバーとなっている。
ただ、この加入により息子の林家いっ平(現在の三平)を笑点メンバーに加入させたい海老名香葉子からパワハラを受けるようになったという都市伝説(実話)もある。大喜利での「何かあったのか劇場」(昇太に対する定番のいじりネタ)も、こればかりは何かあったのが昇太ではなく、たい平だったのである。(後に三平は歌丸の勇退後の2016年5月29日に新メンバーとして加入し、5年7ヶ月も在籍していた。)
なお、笑点加入の経緯が経緯なので永遠の若手のイメージがあるが、近年は世代交代による大喜利回答者の新規加入が相次いだこともあり、回答者の中では好楽、小遊三に次ぐ古参メンバーとなっている。
笑点の一コーナーである「若手大喜利」及び兄弟番組の「BS笑点」「笑点Jr.」から昇進。
上記の2004年12月26日放送の若手大喜利の優勝賞品が「こん平の代役として大喜利に出演する権利」だったため、師匠・こん平のいた席を射止めんと張り切るも、空回りが過ぎて座布団の数が伸びなかった。
この時司会だった春風亭昇太も「こん平師匠の弟子であるたい平にレギュラーの座を射止めてほしい」と願っていたため、苦肉の策として他の出演者の座布団をことごとく没収するという歌丸ジェノサイドも真っ青の荒業を使い、どうにかたい平をレギュラーの座へと導いた(当時の公式サイトの記録)。
笑点の高座でこそはっちゃけているが、フリーの彼を知る人は「めちゃくちゃ真面目でマメな性格だ」と語る。
三遊亭圓丈はファンでもない子に手拭いをくれと頼まれて(本来とても失礼な行為)、自分は断ったがたい平は丁寧に応対して手拭いを渡すのを見たことを「自分にはここまではできない、未来のファンを大事にする人だ」と紹介したり、柳家小さんが「かつらを脱ぎたいが置く場所がない」と悩んでいるのを一升瓶とトイレットペーパーで解決してから覚えがよくなったりという、さながら現代の一休さんや豊臣秀吉みたいなエピソードも持つ。
初代三平の家に住み込んでいたときはなんとか飲み会に行きたいので知恵を絞って「銭湯へ行くかっこうをしてタクシーを使って飲みに行き、冬至の日なので柚子を買って頭にかけて誤魔化した」など、サボり方にまできめ細やかな配慮が行き届くその姿は、三遊亭円楽をして「真面目すぎる」と呆れられたほど。
海老名家の濃いメンバーの中で、家を追い出されないようにするには気持ちのいい人間でなければならないと悟りを開き、なんとかきめ細やかに生きたことが噺家として役に立っているという。
その甲斐あってか笑点メンバーで一番若手だった頃は先輩方によくかわいがってもらい、特に春風亭昇太とは笑点の若手大喜利以前からよくしてもらっていた(先述の若手大喜利のエピソードはその氷山の一角である)他、林家木久扇にも商売の楽しさを布教された。
落語の方は丁寧でバカバカしいが毒々しいものがなく、師匠方からも評判がよい。本人の賑やかでクリーンなイメージから「ドラ落語」なんてものをやったりと、その人好きのするキャラと器用万能さから様々なほうに引っ張りだこである。
笑点での主なネタは「物真似(動物や芸能人、アニメキャラなど多岐に渡る)」「オカマネタ」「恐妻ネタ」「花火ネタ」だが、一番はなんといっても三遊亭小遊三と繰り広げる「大月秩父戦争」であり、初出は2007年末の年忘れ大喜利3問目である。また、座布団運びの山田隆夫をいじってはどつかれたり飛び膝蹴りを食らう。これは、こん平から受け継がれた物といえるが、歌丸が司会者に就任して以降は一度座布団を没収されてから、没収された座布団+1枚の座布団を獲得するケースが多くなっている。
なお、花火ネタとふなっしーダイブ(横っ飛び)は体を張っているため、ふなっしーダイブに関しては隣に座っているメンバーが座布団から席を外してそこにダイブすることが多い。ただ、新メンバーとして加入してから日が浅かった立川晴の輔は直撃でダイブされた挙句、チームマカロンの三遊亭好楽と桂宮治も将棋倒しの勢いで巻き込まれてしまい、宮治が「こっちは高齢者がいるんですからね!」とツッコミを入れていた。
また、こん平の病気卒業によりメンバーになったことから「師匠に毒を盛った」などと言われるネタもある(それに加え、掛け持ちで出る形になった「BS笑点」の若手大喜利では「一人だけ地上波行った裏切り者」といじられていた)。これを使っていたのは主に6代目三遊亭円楽(当時三遊亭楽太郎)だが、程なくして今度は5代目圓楽が脳梗塞に倒れたためやり返されるようになる。このように円楽(楽太郎)がたい平いじりに使うネタはなぜかことごとく円楽にブーメランした。
2006年10月18日、CD『芝浜ゆらゆら』で歌手デビューした。(江戸落語家で歌手としてレコード・CDを出している人物はあまりおらず、それも落語協会所属落語家に多い。代表的な人物としては初代林家木久蔵(現林家木久扇)、たい平の師匠である林家こん平。また柳亭市馬がプロの歌手として活動。なお上方落語家には、笑福亭仁鶴・笑福亭鶴光・月亭可朝などの例が多いが、これは上方落語の興業形式が江戸落語と異なることに由来している)。
2000年代後半にラジオで意気投合したテリー伊藤を弟子に取り、テリーは「林家テリ平」と名乗った。自分より歳も年期も上なところに自由奔放でいうことを聞いてくれないのだが、肝心の芸は達者とあって強くは言えず、色々と手を焼いていた模様。
また同じ頃、こん平の弟弟子で漫談家の林家ペーを(落語家として)弟子にしており、ペーは「林家ペリ平」を名乗っている。
テリーとペーは芸能人としての経歴や実績もあり特にペーは叔父弟子でもあるため特別枠扱いであり、正規の弟子は色物の林家あずみと長男の林家さく平の2人だけ。
以前は林家なみ平の高座名をつける予定で取った見習いが居たが、落語協会の年齢制限に引っかかったためにたい平門下への弟子入りが出来ず、圓楽一門会である好楽一門へ入門した。これが現在の三遊亭鯛好である。
2016年、24時間テレビ39のチャリティーマラソンに挑戦することを発表。師匠こん平の「チャラーン!」を号令にスタートし、見事番組中に100.5km完走(距離数の由来は、桂歌丸の本名「椎名巌(しいないわお)」にちなんだ「いわおゴー」)を成し遂げた。
2017年にはVシネマ『帰ってきた動物戦隊ジュウオウジャー お命頂戴!地球王者決定戦』でゲスト悪役の宇宙マフィアポカネ・ダニーロを演じる。身勝手な金銭価値至上主義者でありながら、手にした扇子で葉巻を吸う仕草をしたり、本編の幹部達のコピーを召喚する際に座布団を媒体にしたりと、落語家ならではのネタも取り入れられている。
実は『ぶらり途中下車の旅』で、初代ナレーターの滝口順平と、2代目ナレーターの藤村俊二の代役でナレーションを務めたことがある。
自身がプロデュースした、たい平カレーを販売している。木久蔵ラーメンを展開する木久扇は自身のラーメンが売れなくなることを危惧してか大喜利の中でかなり扱き下ろしていた(無論ネタの範囲内)。
味付けは、蕎麦屋のカレーを好む人に好評の味付けらしい。
2022年12月2日、同年9月30日に逝去した円楽のお別れの会が開かれ、たい平が笑点のオレンジ色の着物を着て司会を務めた。冒頭の挨拶でその理由を語り、「師匠こん平の代理で加入してからずっと隣で薫陶を受けていた」「時に優しく時に厳しくずっと支えてくれた」と涙ながらに円楽への感謝の意を表した。
デビュー当時からのサザンオールスターズのファンであり、中学生の頃からボーカルの桑田佳祐の物真似をしていた。なお、桑田の物真似についてはサザンのパーカッション担当の野沢秀行から「デビュー当時の歌い方に似ているよ!」と評価され、間接的にではあるが事実上の公認を貰うことが出来た。桑田の還暦の誕生日にあたる2016年2月26日には、日経トレンディネットの企画で『林家たい平が選ぶ「カラオケで、車のなかで、桑田佳祐と一緒に歌いたい」20曲』と題したプレイリストを発表した。
2008年夏には子供を連れて靖国神社のみたままつりを訪れたことを自身のブログで報告しており、俳優・コメディアンの伊東四朗が揮毫したぼんぼりに書かれた言葉に感銘を受け、同ブログで紹介した。
大月秩父戦争
大喜利内において三遊亭小遊三と繰り広げられる不毛な掛け合い。
どちらも出身地が笑点メンバーの中では田舎とされる場所であることから。笑点メンバーは江戸落語家であり、ほとんどが23区内出身者である。桂歌丸司会就任以降、例外はたい平、小遊三の他、歌丸、昇太、一之輔、晴の輔の4名(なおそれ以前のメンバーでは、こん平が新潟県のチャーザー(千谷沢)村出身で有名だったほか4代目三遊亭小圓遊も群馬県出身だった)。ちなみに本業は歌手の山田隆夫も台東区。
ただ、歌丸は横浜市であり、都外ではあるがかなりの過密商業都市。昇太は静岡市で、比較的田舎だが、一応政令指定都市で東海道新幹線の駅があり、2020年台になって加入した一之輔と晴の輔は一之輔が千葉県野田市でギリギリ東京圏内、晴の輔は兵庫県の県庁所在地である神戸市で生まれ、横浜市のお隣で中心駅に多数の路線が乗り入れする神奈川県藤沢市で育ち、高校時代は岡山県第3規模の都市である津山市で過ごすと、やはり田舎のイメージが薄いため、大都市軸から外れるこの2人の地元が特に目立つことになる。
大月市は、中央本線や中央自動車道、富士山麓電気鉄道などが通り、古くから交通の要衝ではあるものの、山あいの谷間であるが故にまともな平地が無く、利便性が仇となって街の発展どころか周辺(主に東京)への資本流出に悩まされている。
一方、秩父市は古くから盆地に栄えた都市であるものの、交通網ではどん詰まりに位置し、利便性に乏しい。それもあってか地方に共通する過疎化に、秩父市ばかりか秩父地域全体もまた悩まされている。
かように、強みと弱みが好対照であるため、且つ同じ関東地方であることからネタとして成立しやすい状況になっている。
3つの予言
たい平は、これまでに大喜利で3つの予言となる解答・発言をしてしまっている。
1つ目は第2259回(2011年4月3日OA)で「旅館にとって二度と来てほしくない客とはどんなものか」というお題に対し、
「『ダイエット中なの~』と言って、自慢の料理に一切箸を付けない客」
という解答を出したのだが、これは当時既に有り得る話とされていたものの、2010年代後半に入って「インスタ映え目的の注文」「低糖質ダイエットの流行による食品ロスの発生」というかたちで社会問題化した。
2つ目は、第2254回(2011年2月20日OA)において、昇太の回答に歌丸がムッとした様子を見せ、
歌丸「10年後の昇太さんの顔が大変楽しみになってきました」
円楽「見られないからね」
歌丸「うん、そうだと思う
…………今『見らんないかもね』つったのは俺のことなんだろ?」
たい平「10年後には師匠が亡くなってて見られないから……」
と言ってしまい、円楽ともども座布団全没収の憂き目にあったのだが……
歌丸は2018年に逝去したため、これまた現実のものとなってしまった。
そして3つ目は第2661回(2019年5月5日OA)、笑点メンバーVS若手の対抗大喜利の二問目で相手チームの一人に胡麻をする問題。たい平が若手チームの桂宮治を指して胡麻をするのだが
たい平「宮治さん、結構面白い答え言ってるから、ことによったら三平君と代わってここに座れるんじゃないかな~?」
宮治「それほどでも~」
たい平「でもさ……」
(三平を下がらせて宮治を隣に並ばせる)
たい平「どう?同じような顔になっちゃうんだよね~!」
2021年限りで三平が卒業した後に本当に宮治が加入、席替えで並ぶことはなかったものの再び髪型が似ている点をネタにされた。
関連映像
芝浜ゆらゆら
※Youtube・林家たい平『天下たい平』チャンネル
関連タグ
春風亭昇太 三遊亭好楽 三遊亭小遊三 立川晴の輔 春風亭一之輔 桂宮治 山田隆夫
5代目三遊亭圓楽 桂歌丸 林家木久扇 三遊亭楽太郎/三遊亭円楽 林家三平 林家こん平
田上明…本名同じ。たい平と同じ秩父市出身で元大相撲の力士にして元プロレスラー。地元でも“日テレ的”にも先輩。名前もたい平の本名と一字違い。
アキラ100%…本名は大橋彰。たい平の中学校の後輩。名前の読みもたい平の本名や田上と同じく「アキラ」。