ピクシブ百科事典

桂歌丸

かつらうたまる

『桂歌丸』とは、噺家の名称。
目次[非表示]

概要

社団法人『落語芸術協会会長を務める江戸落語界の重鎮であり、演芸番組笑点』終身名誉司会

本名は『椎名巌』(しいな いわお)。

来歴

生い立ち

1936年8月14日、神奈川県横浜市中区真金町に生まれる。実家は当時の横浜で指折りの遊郭富士楼』であり、戦禍で焼失した後も店を一手に切り回していた祖母が終戦を機に営業を再開したため、貧窮に喘ぐ世の中にあって比較的裕福な少年期を送る。

本人曰く「お金さえあれば何だって揃う支那街(=中華街)があったおかげでアタシたちハマ(=横浜)の人間は随分と救われた」と語る反面、戦況悪化による疎開千葉県にある母方の実家へ転居した折に強烈な食糧難に直面した体験から「さつまいもが食べられなくなってしまった」とも述懐している。

まだ個人の所有物としては高価だった自宅のラジオを通じて毎日のように落語を聞くうちに夢中になり、小学校の同級生や教師相手に聞き覚えた様々な落語を披露する、いわゆる天狗連に等しいアマチュア活動に没頭し、4年生の頃には早くも「自分の将来は噺家しかない」と悟る。

中学校進学後に生の落語を聴く機会に恵まれ、その場に訪れた春風亭柳之助(後の5代目春風亭柳昇)の舞台にした一件から落語の道に進む欲求を抑えきれなくなり、NHK出版部に勤めていた親類の縁を頼って15歳で5代目古今亭今輔に入門して前座名『古今亭今児』(ここんてい いまじ)を名乗る。

移籍

念願叶って本職として落語を語り聴かせる噺家となり、どんな小さな会にも二つ返事で足を運んでは全力投球で演じる精力的な活動を続けていたが、師匠の今輔が新作落語を主軸としたのに対して自身は古典落語を主軸に定めた反目の姿勢、さらには当時の落語芸術協会内で問題となっていた若手の待遇改善の直訴が引き金となって今輔から破門を言い渡される事となる。

21歳の当時、すでに結婚して一子を設けていたためにどうにかして食い扶持を稼がなければならず、僅かに舞い込む高座出演を必死にこなしつつメッキ工場アルバイト内職(輸出用スカーフのへり縫い、マッチ箱のラベル貼りなど)、化粧品メーカーポーラ化粧品』の飛び込み営業で糊口を凌ぐ日々を送り、しばらくして三遊亭扇馬(後の3代目橘ノ圓)の助け舟を得て破門を解かれたが、「今輔一門への復帰ではなく米丸一門への移籍」の条件に従って1961年に弟子である4代目桂米丸門下となる。なお、セールスマンの苦労を語る上で「化粧品の事なんてわかりゃしませんから、アタシゃ何度洗顔クリームをポマードと間違えて売っちまったことか」を話のオチとしている。

移籍に際し、古今亭の名を使えなくなった事で師となった米丸から『桂米坊』(かつら よねぼう)の名を、1964年には再び米丸から桂歌丸の名を与えられ、1965年に7代目立川談志が企画立案した演芸番組『金曜夜席』へ5代目三遊亭圓楽林家こん平らと共に出演する。1966年に金曜夜席の後継番組として始まった笑点にもそのままスライド出演し、2年後の1968年に師匠の米丸、大師匠の今輔の口上を以って真打に昇進する。

笑点

4代目三遊亭小圓遊との「ハゲ・バケ(妖怪戦争」と呼ばれる絶妙な罵倒合戦で番組を日曜夕方枠の定番にまで押し上げたものの、歌丸と同じく古典派の土俵にあった小圓遊本人は番組のためにキザを演じる偽りの自分があまりにも辛く、憂さ晴らしのが手放せなくなった末に1980年に食道静脈瘤破裂で急逝する事態となる。この後、まだテレビ出演の経験が浅く真打昇進から間も無い三遊亭楽太郎(現・6代目三遊亭円楽)に「俺をネタにして構わないから」と助言を与えて小圓遊に続く「じじい・腹黒戦争」の構図を生み出し、1983年から4代目番組司会として復帰した5代目圓楽をも巻き込む三角関係お約束で番組の人気を不動のものとする。

2006年の笑点40周年記念特番への出演を最後に5代目圓楽が司会を勇退する運びとなり、表も裏も知り尽くした最古参として5代目番組司会に就任してからは新たに参入した春風亭昇太を定着させるべく付かず離れずの対応で引き立てつつ、こん平の代理を経て正式にメンバーとなった林家たい平を含むベテラン陣(林家木久扇三遊亭小遊三三遊亭好楽、6代目円楽、山田隆夫)を相手に奮闘する。

2016年4月30日、「体力の…私はもう限界なんですね」の宣言と共に5代目番組司会の座を降りる電撃発表に臨み、放送開始満50周年という大きな節目を迎えた直後の同年5月22日、三問目最後の回答者となった小遊三の下ネタオチに対して直前まで大盤振る舞いしていた全員分の座布団没収で応える有終の歌丸ジェノサイドを発動して勇退の花道を飾り、兄弟番組『BS笑点』『笑点Jr.』で総合司会を8年間務めた経験を持つ昇太の6代目番組司会就任を発表した。

これにより、金曜夜席からの出演者全員が番組を降板するという大転換期となったが、半世紀に及ぶ番組への多大な貢献を考慮した制作側の意向によって司会歴23年を誇る5代目圓楽でも成し得なかった番組史上初の終身名誉司会に就任し、同年4月3日から始まった前帯番組『もう笑点』への継続出演も決定した。

現在

老齢に加えて後述の体質的問題から来る基礎体力の衰えに加え、40代で患った脱腸を皮切りに急性腹膜炎、腰部脊柱管狭窄症、腸閉塞といった様々な大病の発症と手術を経験した影響、そして超長期の喫煙を病因としたCOPD(慢性閉塞性肺疾患)の進行で番組や寄席などの出番直前まで医師看護師の介添えによる酸素吸入を必要とする深刻な病身にあり、それでもである冨士子夫人の「あなたが落語を辞めたら張り合いが無くなる」の一言と自身の落語に対する飽く無き探求心を支えに入退院を繰り返しながらも高座をこなしている。

2007年の勲四等旭日小綬章叙勲に続き、文化庁は2016年5月25日に「卓越した話芸で落語界の向上と発展に尽力した」という伝統芸能への功労を理由に文部科学大臣表彰の決定を発表し、同年5月31日に表彰式が執り行われた。表彰に当たり、馳浩文科相(当時)は「国民の誰もが認める落語家だと思います。表彰させていただけて嬉しいです」と敬意を表し、これに対して噺家らしく「大臣の倍以上に嬉しく思います」と洒落混じりに返礼した。

人物

入門前の素人落語も含めれば80歳(2016年時点)ですでに70余年のキャリアを誇る「人生是落語」の体現者であり、師匠の米丸も今輔と同じく新作一筋を貫く関係から江戸落語界に身を置いていながら江戸訛りに縛られないという珍しい芸風を活かして「美しい日本語で語る」の信念を常に心掛けている。また、家庭の事情で幼い頃から遊女の日常生活を余さず目にしていたために郭噺の説得力が非常に高く、それに因んだ珍芸『化粧』(地塗り、紅点し、髪留め、入れ胸などの化粧風景の形態模写)を持つ。

土地の古老から話を仕入れて滅多に遭遇しないとされる大物を狙う渓流釣りを始め、Zippoライター化石の収集を長年の趣味とし、一方で声優(『落語天女おゆい』本人役)やゲームナレーション(『がんばれゴエモン 東海道中 大江戸天狗り返しの巻』本人役)を快諾するなど若者文化への理解も深い多種多様の趣味人。

生粋のハマっ子」を自称するように疎開のごく一時期を除いて横浜以外で暮らした事が無いという地元愛と、70歳を過ぎても大好物の硬い煎餅を平気で噛み砕く自前の(本人曰く「歯だけは丈夫」)が自慢の種。反面、医師から「あなたはもっとを摂って太りなさい」と再三の注意をされるほど肉の脂肪を受け付けず、ヒレやササミであればどうにか食べられるという体質である上、遊郭という深夜営業特有の習慣「しけ飯」(深夜近くに夕食を取る)を当然としていた朝食抜きの1日2食生活、魚介類蕎麦を好む嗜好も手伝って20代の頃から一般男性の平均体重を遥かに下回る軽量(2015年時点の本人の談で「38kgあるか無いか」、2016年11月末出演の『徹子の部屋』で「今の体重が36kgなんてみっともなくて言えたもんじゃない」「一番体重があったのが40代の頃で50kgってのが最高で、普段47、8kgを保ってたんです」)のままで50年以上過ごしている。

その細い体と薄い頭髪の関係から、笑点では被り物との相性が非常に良かった1人であり、カツラフサフサの白髪、カールヘアーの金髪月代を晒した落ち武者、おどろおどろしいざんばら髪など)を被って客席に向き直した姿だけで収録会場の観衆を大いに賑わせ、特に大喜利夏季恒例の幽霊ネタでは天冠を手にしただけで会場を大爆笑させた。

笑点・夏の風物詩『歌丸に天冠』

お盆



年齢を重ねるほどに味わいを深める一種のカツラ芸は番組の名物として認知されるようになり、司会後期にはそれを間近で何十年と見続けてきた6代目円楽が発した「いらないいらない、若返っちゃう」「おかしいよそれ、増えてるもん」の一言に対し、その洒落を理解した前提で乱暴にカツラを脱ぎ捨ててさらなる笑いで返すという力技も披露した。

6代目円楽率いるブラック団の「歌丸死亡ネタ」も名物であったが、過去に裏で死亡説が二度あったらしく、死亡説を耳にした日本テレビの報道部がの裏取りをしてきた際は笑点スタッフが仰天して冨士子夫人に安否を確認する事態にまで発展した。ちなみに、歌丸本人は後年になってその話を耳にするまで全く知らなかった。

定紋の疑問

系譜から見れば、歌丸は江戸6代目から一代限りの名跡借りを実現した上方の7代目桂文治に通じており、その文治が名跡を襲名するまでは2代目桂文團治を、もっと遡れば初代桂米團治を名乗っていた事から4代目米團治を師とする上方の桂米朝とは遠縁の同門に当たる。しかし、歌丸が使用している定紋は東西桂一門共通の『結三柏』ではなく『丸に横木瓜』である。

これは「落語界では真打昇進後の紋変えは自由」、つまりは定紋と替紋の使い分けはもとより定紋そのものの変更や創作を咎めないとする慣習から来ているためであり、2代目桂小文治門下であった5代目今輔も当初に在籍した初代三遊亭圓右の『高崎』(三遊亭圓朝一門の定紋)とも『結三柏』とも関わりの無い『三つ茶の実』に、後年にはさらに『丸に違いの羽』に変更している。

本人の口から詳細は語られていないが、先述の破門騒動に端を発する「歌丸改名後の真打昇進が定紋変更の契機となった」という流れが最有力であり、それが証拠芸能人ブロマイドを取り扱う老舗マルベル堂』で販売されている青年期の写真では今輔や米丸と同じ三つ茶の実の黒羽二重五つ紋を着用している(歌丸への改名に至った後もその写真を商品として取り扱い続けているために便宜上で商品名を「桂歌丸」としているだけで、本来の商品名は二つ目時代の「古今亭今児」もしくは「桂米坊」であった可能性が極めて高い)。

  • 系譜から見る定紋の変遷
7代目文治(結三柏)→2代目小文治(結三柏→切り十字)→5代目今輔(高崎扇→結三柏→三つ茶の実→丸に違い鷹の羽)→4代目米丸(三つ茶の実)→歌丸(三つ茶の実→丸に横木瓜)

主な持ちネタ


など、主に郭噺と圓朝噺(初代圓朝による創作および改作噺)を得意とする。

関連イラスト

圓楽追放


師匠ー、すぐ歌丸そっち(天国)に送りますからー。
圓楽さーん、悪いけどあと80年待ってくれー。

歌丸師匠


何処で打つのか延珠の鐘が陰に籠ってもの凄く、ボーン…と鳴ります。

山田君、座布団全部持ってって。


一度でいいから見せてみたい、アタシが本気で闘(や)るところ。歌丸です。

関連タグ

伝統芸能 落語 落語家
日本テレビ 笑点
三遊亭圓楽 三遊亭楽太郎 立川談志 桂米朝

pixivに投稿された作品 pixivで「桂歌丸」のイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 112402

コメント