概要
1985年8月12日、乗員乗客計524名を乗せた東京国際空港(羽田空港)18:00発大阪国際空港(伊丹空港)行日本航空(以下日航)123便(B747SR-100 JA8119)は離陸約12分後、後部圧力隔壁が破損した衝撃で垂直尾翼を失い、油圧系統を全喪失。操縦桿を用いた操縦が不可能な状態に陥った。
この事態にパイロットはスコーク77(緊急事態)を宣言、羽田空港に戻ることを地上管制に要請。また、通信を傍受していた在日米軍横田基地も最優先で123便を受入れる準備を整えた。
爆発音直後、パイロット達は操縦桿で右旋回、羽田に戻ろうとしたが徐々に抜ける油圧オイルがパイロットから手段と希望を奪った。しかし、エンジン出力を制御することで飛び続けることを可能にした。また、ダッチロールとフゴイド運動で迷走する機体であったが、フゴイド運動を制御することで墜落を免れているのも事実であった。
異常発生から30分以上迷走を続けた後、群馬県と長野県の県境の、後に命名される御巣鷹の尾根にひっくり返る様な形で墜落した。墜落時に機体は跡形もなく木端微塵に破壊されたが、機体後部だけは先に脱落して落下したことで衝撃が小さく、火災に巻き込まれることもなかったのでこの部分にいた4名のみ奇跡の生還を果たした。
異常発生 - 墜落までの機内やり取りの一部始終はコックピットボイスレコーダーが鮮明に記録しており、原則英語でやり取りする航空管制が途中からパイロットの負担軽減を考慮して一部日本語でやり取りされている様子、「パワー上げろ!」「マックスパワー!(エンジン最大出力)」と必死に叫びながら操縦するコックピットクルーのやり取り、墜落直前の断末魔、地面に激突した衝撃音も記録されている。ちなみに当時のコックピットボイスレコーダーは30分ループエンドレステープを使用していたが、長期運用によってテープが延びており、異常発生 - 墜落直前までの状況がギリギリ記録されていた。
犠牲者数自体も去ることながら、その中に多くの著名人やその関係者が含まれていたことも相まって、今でも単に「123便」若しくは「日航機事故」といえばこの事故を思い浮かべる人が多い程人々の記憶に強く刻まれた事故である。
コックピットクルー
機長:高濱雅己(49歳・運航部門指導教官・海上自衛隊第1期航空学生)
副操縦士:佐々木祐(39歳・機長昇格訓練生)
航空機関士:福田博(46歳・エンジニア部門教官)
通常機長が客室より見て左側の席に座るが、この際は佐々木副操縦士機長昇格訓練を実施していたため、通常時とは逆に訓練生・佐々木副操縦士が左席に座っていた。一方、高濱機長は客室から見て右席に座っていた。
当日の飛行計画
墜落したJA8119は事故発生当日以下のフライトプランをこなす計画であった。
事故推移
(CAP=高濱機長 COP=佐々木副操縦士 F/E=福田航空機関士)
時刻 | 音声 | 出来事 |
---|---|---|
18:12 | 123便、羽田空港を離陸 | |
18:24:35 | CAP:何か爆発したぞ | 高度約23,000ft、機体後部で衝撃音が3回程聞こえる。この時機首上げ3度超と後部与圧隔壁・垂直尾翼・油圧配管を破損、APU(補助動力装置)は機体後方に吹っ飛んだ。 |
18:24:37 | 「離陸構成警報若しくは客室高度警報」が作動するが3 - 5回で警報音が消える。 | |
18:24:47 | COP:スコーク77 | トランスポンダ緊急信号であるスコーク7700を発信。東京航空交通管制部(以下、東京ACC)がこれを受信 |
18:24:51 | 東京ACC:日本航空123便、確認しますが緊急事態を宣言しますか? | ここで緊急事態宣言再確認が行われ、正式に緊急事態宣言が発出 |
18:25:04 | 再度「離陸構成警報若しくは客室高度警報」が作動、19:47:28まで鳴り続ける | |
18:27:47 | F/E:ハイドロプレッシャーオールロス(油圧全喪失) | |
18:28:31 | 東京ACC:日本航空123便、大島へレーダー誘導のため方位磁090で飛行せよ | ここで機長からBut Now Uncontrol(しかし、現在操縦不能)と返答される。管制はこの時点で123便が初めて操縦不能であることを知る |
18:31:15 | 東京ACC:現在位置は名古屋まで72マイル、名古屋に着陸するか? | この時機長は羽田に降りることを提案。管制側も了承すると同時に本来なら英語で行われる交信に日本語を許可 |
18:33:54 | F/E:オキシジェンマスク(酸素マスク)出来たら吸った方が良いと思いますけど | 航空機関士が酸素マスク着用を提案し機長、副操縦士も同意するが最後まで着用した形跡はなかった |
18:45:18 | 在日米軍横田基地(以下YOK):日本航空123便、横田進入管制所、救護についている。聞こえたら機体識別コード5423を発信せよ | 交信を傍受していた在日米軍により横田基地受入が可能であることを通知するが123便はこれを拒否。横田基地は以降も受入体制を維持 |
18:53:27 | 東京ACC:日本航空123便、日本航空123便 | 東京ACCが123便を再度呼出すも操縦不能とのみ返信 |
18:54:25 | F/E:えージャパンエアー123リクエストポジション? | 管制官は「羽田から55マイル北西、熊谷より25マイル西」と返信。現在地を示すラジオ磁気指示計受信アンテナは垂直尾翼にあるため垂直尾翼が破損した状態では使用出来なかった |
18:55:16 | (管制官が横田と羽田が最優先で着陸可能ということに対して)F/E:あい了解しました | これが123便との最後の無線交信となる |
18:56:07 | CAP:頭上げろ | |
18:56:10 | CAP:パワー | |
18:56:14 | GPWS:SINK RATE(降下率に注意) | 対地接近警報装置(GPWS)作動 |
18:56:16 | GPWS:WHOOP WHOOP PULL UP(ウーウー機首を上げろ) | 墜落までGPWSが鳴り響く |
18:56:21 | CAP?:もう、ダメだ若しくはあーダメだ(資料によって解釈は異なる) | 機長らしき声の断末魔。これがボイスレコーダーに残された最後の肉声。事故調査報告書は判別不能としている(実際聞き取りにくい) |
18:56:23 | 最初の衝撃音 | 右主翼と機体後部が地面を掠った、あるいは樹木に接触し、第4エンジンが脱落 |
18:56:26 | 2度目の衝撃音 | 右主翼が地面を抉る様に接触、全エンジンが脱落。完全にコントロールを喪失 |
18:56:28 | 録音終了 | 機体後部が分離し、先に墜落。ボイスレコーダーは電源が絶たれたことによりここで録音が途絶 |
18:56:30 | 墜落 |
捜索・救助
機影消失直後にレーダー監視していた在日米軍が直ちに戦闘機をスクランブル発進(緊急発進)、航空自衛隊も災害派遣要請を受ける前に救難ヘリコプターを先行派遣した、正式な要請が来たのは派遣後数時間経ってからであった。
現場上空に最初に現れた米軍機が災と黒煙を発見し報告・帰投。
次に来たのは航空自衛隊救難ヘリコプターであったが火災の黒煙とそれに伴って発生した上昇気流で地上に近付けなかった。
地上では警察と近隣3県から集められた消防士と地元消防団などにおいて救助隊が編され、第1空挺師団など自衛隊も出動準備を整えたが、日暮れの時間帯であったこと、墜落場所が山岳地帯であったことや当時の機体スペック限界などが救助隊の行く手を阻み、救助隊第1陣が到着したのは事故発生翌朝であった。
余談として現地に認可前のショルダーホンをNTT技術者が持ち込み自衛隊に直談判、超法規的措置により使用可能となった。
現場は爆発と衝撃により周囲が焼け焦げ、見る影もなく破壊された機体残骸・乗員乗客の遺品・墜落の際の激しい衝撃により激しく損傷した乗員乗客の遺体が散乱しており、想像を絶する凄惨な状態であったとのことである。
当時救助隊として現場入りした者などの証言では「焼け焦げた木の枝かと思ったら人間の腕であった」「地面の土が人の血でぬかるんでいた」「帰ってから暫く食事が喉を通らなかった。肉の焦げ目を見るだけでも吐き気がした」という。
しかし、この絶望的状況の中で4人の生存者が発見される。全員が女性で、機体後部にいたために難を逃れた。
生存者発見後、遺体収容作業が開始されたが、先述の通り墜落の衝撃と火災で犠牲者の遺体は激しく損傷しており、男女の区別も付かない程に焼け焦げたもの、手足が断裂してバラバラとなったもの、遺体に別遺体がめり込んでしまったものなど筆舌に尽くし難い凄惨たる状況であったという。
事実遺体判別に従事した看護師は「今でもデパートに置いてある首がないマネキンを見ることが出来ない」という。
ただし、中には損傷が少ない遺体もあり、これらの方々の多くは機体後部にいた乗客であった。
後部席の乗客については墜落直後は多数が生存していたという証言もある。
DNA鑑定が実用段階になく冷房や保存技術も普及仕切っていなかった当時、遺体身元確認は困難を極め最終的に4ヶ月もの期間を要した。
懸命に機体をコントロールし、最後まで墜落させまいと努力していた機長は、5本の歯が付いた顎の遺骨の一部のみが歯科診療記録により本人のものであると確認された。
遺体安置所となった藤岡市市民体育館は強烈な死臭が漂い、後にクリーニング(特殊清掃)を実施したものの死臭を除去し切れず、解体されて移転したという。
事故原因
事故調査報告書に基づいて記述する。
1987年(昭和62年)6月19日、旧運輸省(現・国交省)事故調査委員会により事故調査報告書が公表された。
まず圧力隔壁「不完全な修理をされたパッチ接続部」が「金属疲労で破断」(衝撃音1)、与圧空気が破損部位から流出し機体尾部の「補助動力装置」を吹き飛び(衝撃音2)、尾部破損で外気圧に耐えられなくなった「垂直尾翼」がもげた(衝撃音3)。また垂直尾翼がもげたと同時に油圧配管4系統を破壊した(ただし、米国NTSBや2014年のフジテレビの取材に応じた航空事故調査官は、2番目の音が垂直尾翼の破損、3番目が補助動力装置の脱落ではないかと指摘している)
この隔壁破断は、1978年にこの機体が起こした「しりもち事故」後の修理ミスがあったことが原因である。
一部破損の上部隔壁はそのままに新しい下部隔壁をリベットで止めることとなっていたが、一部破損の上部隔壁と新しい下部隔壁の距離が足りず補修用パッチで距離を稼いだ。だが何故か補修用パッチを切断して補修し、本来リベット3列で加わる圧力を分散する構造をたった1列で圧力を受けていた。結果として強度不足で寿命を短くしていた。
当時理由を調べようとしたが、企業及び作業員が国外であったため調べられず真相不明のまま迷宮入りしてしまった。後にテレビ局が追悼特番取材で、当時の技師へ質問したが、「仕様です」としか回答せず無意味であった。
この調査結果を受けて、修理履歴がある機体点検作業と非破壊検査徹底化、油圧配管脆弱性が解消された。
余談であるが、この事故以降に「手動操縦不能、エンジン出力のみ制御可能」を想定して自動着陸させるシステムをNASAが開発したが、コスト面から今のところ実用化されていない
最終的に原因不明になったこととそれへの考察・仮説
前提知識として
- 「与圧隔壁」の破損(穴)は意外と大きくはない(垂直尾翼と油圧喪失の方が致命的)。
- 本機の「プレッシャーリリーフドア」は与圧隔壁の「1区画分の圧力」しか逃がせない設計であった
- 「機首上げ3度超」は意図した操作ではない。
- 「油圧配管」は「尾翼が破損した」と同時に「配管が破損した」が、「油圧全喪失」となるまで「いくらか時間が掛かる」。
- 「操縦桿」は「油圧」がなければ使えない(物理系統・ワイヤー系統がない)、非常に軽くなる、何処かの事故の様に筋力では解決しない。
- 本機のエンジンは「墜落まで異常はない」、が「出力制御は燃料流入量の可変によって制御される」ので、直ちに出力制御を行っても「結果が反映されるのに時間が掛かる」。
- 「フラップ」は動作するが、油圧は使えないので「電動」で動く、ただし非常に時間がかかる。
- 「与圧」は「操縦室の与圧設定が異常ではない」、且つ「エンジンが動作(吸気)」し続ける限り「客室は与圧され続ける」。
- 「客室高度警報」と「離陸構成警報」は同じ警報音で大音量(救急車のサイレンよりは小さいぐらい)である、「脚位置指示器」が「降着装置の着陸状態を検知」している間は「客室高度警報」は無効になる。
- 「客室高度警報」は高度10,000m以上で一定時間(1.5秒程らしい)与圧設定を維持出来ない場合、「高度10,000mを下回る」or「与圧が回復する」まで鳴動し続ける。
- 「脚位置指示器」は「降着装置の着陸状態を検知」し「機内の与圧を排出する」、また離陸構成に異常がある(特にフラップ)」と「離陸構成警報」が鳴動し続ける。
- 1.パイロット達が酸素マスクを使用しなかったこと
事故があったのは高度約23,000フィートは約7,000m(エベレスト登山級の高度)、「高度順化していない一般人なら数分以内に失神する環境」であり、真っ先に使用すべき酸素マスクを使用しないのは異常である。
さらに「18:25:04」から新たな警報が鳴り始めてからも酸素マスクを使わない理由も不明。
しかし、3人は少なくとも1度も失神はしていないので「高度順化していない人間が突然高高度環境に放り出された」訳ではないと思われる。
また、上記の「事故推移」で示した様に航空機関士は着用を推奨している。報告書では操縦専念のために後回しにされたと推測されている他、「何で騒いでんの」「ジャパンエア、どこだ」などと唐突に機長が怒鳴っている、上記の着用勧告には生返事を返したのみという点から、クルーが低酸素症となっていた可能性及びクルーが失神しなかった理由として、フゴイドによって高度変化があったために呼吸が出来た可能性が指摘されている。
- 2.衝撃音直後の警報音が直ぐ止まったこと
生存者の証言に「爆発音後に白い霧が見えたが直ぐに消えた、酸素マスクが出て来て使用した(意訳)」というものがある他、水平尾翼内から断熱材の破片が発見されたので、少なくとも「貨物室での減圧はあった」と思われる。
しかし、操縦室では酸素マスクを使用していないこと、直ちに機体を降下させなければならないことを誰も言及していないことから「減圧を認識していない」と思われる。
また衝撃音直後の「ギアみてギア」という発言から少なくとも「降着装置の異常」が疑われる。
以上のことから「減圧はあった、が"何らかの理由"で減圧は収まった、その後に警報が鳴動した」と思われる。
警報音に関しては「機首上げ3度の強いG」により「脚位置指示器が誤作動」し、「約1.5秒間だけ"離陸構成警報"が動作した」と思われる。
※"何らかの理由"で与圧隔壁の亀裂を塞げるものとして、近くにあるものは「断熱材」である。
- 3.18:25:04から警報がなり始めたこと
ことの始まりは「"何らかの理由"が阻止していた減圧を阻止出来なくなった」からであると思われる。
エンジン以外ほぼ制御不能でダッチロールはしていたが高度23,000フィート前後を概ね水平飛行していたので「客室高度警報」であると思われる、また同時に徐々にフゴイト運動が大きくなる。この警報は高度10,000フィートを下回るまでの間連続して鳴動していることとなっている。
ただしDFDRは「客室高度警報と離陸構成警報」は記録範囲外、書き起こしでは警報音を共用している関係か区別もしていない。
- 4.高度10,000フィート未満で警報が鳴動したこと
フゴイド運動のGで「脚位置指示器」が誤作動している間だけ「離陸構成警報」が誤作動していたのなら説明が付く。また「フゴイト運動の上昇最高点での数秒間」は警報が止まっている。
- 5.墜落直前に極端な低速度になっていたのに錐もみ状態にならなかったこと
18:49:40前後、この時の対気速度は110~140ノット(真対気速度120~130ノット) 高度9900フィート以下 フラップ0度、フゴイト運動の最高点である。
この直後(18:51:20以降)にフラップが展開され始めて18:55:30前後で設定値?の25度?になる。
カタログスペック上の失速速度はあくまで国際標準大気(※)時の目安であり、気流の流れや湿度、温度などの気象条件によって機体のスペックは大きく変化する。この場合、失速速度には達したものの気象条件の影響で失速ギリギリの状態を維持していた為と見ることもできる。また、降ろしていたフラップが作用した可能性もある。
※国際標準大気目安は海面上(高度0m)の場合
・気圧:1,013.25hPa=29.92inHg
・密度:1.225kg/m3
・温度:288.15K°(15℃=59℉)
・音速:340.294m/sec
・重力加速度:9.80665m/sec2
となる。湿度に関しては0%、つまり乾燥した完全ガスが基準。このため湿気が多い日本、それも夏場ならモロに影響を受ける。
本事故で亡くなった著名人及びその関係者
- 坂本九(43歳):座席番号64H(2F席)
- 国民的な人気歌手であり、マナセプロダクション所属のタレント。大阪府羽曳野市の市議選挙に出馬する友人(過去に坂本のマネージャーを務めていたことがあった)の選挙応援として、8月13日に行われる事務所開きに駆け付ける途中であった。
- なお、坂本本人は本事故以前から日航を信頼しておらず、飛行機での移動にはいつも全日空を使っていた。しかし、当日は全日空便が満席で、飛行機やホテルなどを手配した招待側の側近はチケットを確保出来なかったため、仕方なく確保したのがJAL123便チケットであった。
- 同行していた所属事務所のマネージャー(本事故で共に死去)は当日、羽田空港で全日空便への振替を何度も交渉したが、お盆ということもあって叶わなかった。墜落から99時間後の8月16日、身に付けていた笠間稲荷神社のペンダントが決め手となってようやく身元が確認された。
- 北原遥子(24歳):座席番号29D
- 女優。元・宝塚歌劇団雪組娘役。帰省先である横浜の実家から、大阪の友人に会いに行く途中。死因は脳挫傷・内臓破裂で、8月17日午後、両親によって遺体の身元が確認された。比較的前方の座席だったが、墜落時の衝撃で奥へ分け入った場所まで投げ出されたため、墜落後の火災に巻き込まれず、遺体は目立った外傷や損傷もない綺麗な状態で発見された。
- 中埜肇(63歳)
- 浦上郁夫(47歳)
- 塚原仲晃(51歳)
- 竹下元章(47歳)
- 緋本こりん(26歳)
- なお、事故当時者が有名人ではないが、大相撲の元大関・清國(当時は7代目伊勢ヶ濱親方)の妻と長男・長女が、また吹田明日香の母がいずれもこの機に搭乗し、全員亡くなっている。
運命の分かれ道
当初はJAL123便に搭乗する予定であったが、偶然にも直前で回避したため難を逃れた人物もいる。
東海道新幹線で移動
- 逸見政孝
- 稲川淳二
- 東京での仕事が終わった後、大阪に123便で移動するはずであったが、東京での仕事の前から体調が優れず、翌日の朝1番の新幹線で大阪入りすることとなった。
- だが稲川氏の友人であり、スタッフ・和田浩太郎は、直ぐにも別の用事で大阪に向かうために空港に行き、たまたま大阪に予定よりも早く着くこの便の席が手に入ってしまい123便に搭乗、事故に遭遇し亡くなった。氏は後にこの出来事を生涯忘れられない運命の分かれ道」と語っている。
別便で移動
- 麻実れい
- 当日の123便に搭乗予定であったが、搭乗前の仕事が早く終わって1便早い飛行機に振替えた。
- 西川のりお
- 大阪に帰るため搭乗予定であったが、羽田空港に向かっている時に利用していたタクシーが渋滞に巻き込まれ搭乗に間に合わず命拾いをした。
- いしだあゆみ・浅野ゆう子
- 共に帰郷するため搭乗する予定であったが、空港到着が遅れて別便に搭乗。
- 深田恭子
- 当時2歳で、家族に連れられて搭乗予定であったが東京モノレール遅延により間に合わず命拾いをした。
- 当時の笑点メンバー一行(高座名は当時)
- 5代目三遊亭圓楽・桂歌丸・林家こん平・初代林家木久蔵(現・林家木久扇)・三遊亭楽太郎(後に6代目三遊亭円楽)・古今亭朝次(現・7代目桂才賀)・三遊亭小遊三・山田隆夫
- 8月13日に徳島での仕事(徳島阿波踊りへのゲスト参加)を控えており、徳島行飛行機の予約を取っていた。しかし、当初予約しておいた便が悪天候で条件付運航となったため、1本後の123便としようという案(伊丹に着陸後、神戸港からフェリーで徳島入りするプラン/※1)が出たものの、こん平が「良いんじゃないかい。予約した便でゆったり行こうよ、きっと着陸出来るよ」と提案したために123便への搭乗を回避している。しかし、同行していた広告代理店社員は先を急いで振替えてしまい、帰らぬ人となった。
- なお事故そのものは徳島へ到着後、宿泊先に移動中に知ることとなり全員がショックを受け、特に歌丸師匠に至っては後年「もしあの時に乗ってしまっていたら笑点の歴史はそこで終わっていたか、今とは全然異なる番組となっていたかもしれない」と語っている。
- 前述した元大関・清國はこの事故で家族を亡くした後、気を持ち直して再婚した。この再婚後に生まれた息子・嘉由生(亡くなった長男・長女の名から1文字ずつと、「生きる」という字を取って名付けた)は後年、木久扇師匠に弟子入りし、林家希林(真打昇進前は木りん)を名乗って落語家になっている。奇しくもやはり関係者に犠牲者が出たタイガースがこの年以来38年振りの日本一を獲った2023年、希林は真打に昇進した。
- 長江健次
- ラジオ番組『MBSヤングタウン』に出演するために搭乗予定であったが、別便での移動へ振替えた。
- 明石家さんま
- 1985年7月まで東京でテレビ番組『オレたちひょうきん族』収録があり、終了後はJAL123便で大阪に戻り、ラジオ番組『MBSヤングタウン』の生放送に出演するのが日常であった。しかし、自身が主役として出演していたコメディ番組『さんまの駐在さん』(ABCテレビ製作)の収録が同年7月に火曜から月曜へ変更されたことに伴い、移動日もその前日(日曜)に切替わった関係で「月曜にJAL123便に乗る」必要がなくなっていたため、結果的に難を逃れる形となった。事故当日、ラジオで123便が墜落したことを知ったさんまは言葉を失い、番組内容を変更することだけを話した他、音楽も氏の希望で暗めの雰囲気のものが放送された。以後新幹線で行ける場所への移動に新幹線を使う様になったという。
- また、この出来事がキッカケで、氏の座右の銘は「生きてるだけで丸儲け」となり、娘のIMALUの名付けの元ともなった。
- なお、「事故当日にキャンセルし、他社便で移動した」というのは誤りであることが判明している。
その他
- ジャニー喜多川と少年隊メンバー(錦織一清・植草克秀・東山紀之)
- 8月11日に公演が始まった近藤真彦氏の大阪での舞台応援のために、123便に搭乗して大阪に行く予定であった。しかし、ジャニー喜多川氏は公演初日の記者会見に来て欲しいという要請を受けて前倒しで大阪入り。少年隊の3氏は搭乗をキャンセルして東京に残った。
- 結果的に命が助かったが、この30年以上後に日本国内全体を巻き込む大スキャンダルが発覚したため、ジャニー喜多川氏に関しては予定通り当便に乗り事故に巻き込まれ他界してれば事故以降30年以上の被害が出ることがなかったため被害拡大を防げたのではないかとの意見もある。
- ただし、ジャニー喜多川氏が悪事を働いていたとはいえ、多くの死者を出した事故に「巻き込まれていれば良かった」と他人の死を望むのは余りにも不謹慎な話ではある。彼がいなければそれ以降のアイドルグループが誕生することもなかったのもまた事実である。
- 舛添要一
なお、一般客も例外ではない。事故当日、当時羽田空港に乗入れる唯一の軌道系交通機関(※2)で、遅れることが珍しい東京モノレールに何故か遅延が発生し、123便に乗り遅れて助かった人がいたという。逆にキャンセル待ちが成功して123便に乗り、そのまま事故に遭遇して亡くなった乗客もいる。
また、真偽は不明であるがコミックマーケットにおいて同人誌を買い過ぎたために123便に乗ることをキャンセルして、鈍行で帰宅することに切替えて難を逃れた人もいるらしい。
※1:当時、明石海峡大橋は未開通。
※2:京急空港線当時の終着駅・羽田空港駅は現在の天空橋駅で、空港内には乗入れていなかった。
余談
JAL366便
ところで、JA8119事故直前のフライトであるJAL366便には、山下徳夫元運輸大臣や阪神タイガース選手及び同チームスタッフが搭乗していた。
山下は同日、大手海運会社・三光汽船が明日(つまり1985年8月13日)に倒産することを聞き付け、故郷・佐賀から帰京するために急遽366便に搭乗した。三光汽船はその当時戦後最大級の倒産劇と言われただけでなく、そのオーナーは山下の派閥(番町政策研究所・当時は河本派)ボス、河本敏夫であり、政治的な立ち位置も含め危急に対処する必要がある案件であった。当時佐賀空港はまだ存在せず、福岡からの羽田便搭乗となり同便に乗っている。
仮に366便が墜落していた場合、翌日の同社倒産対応にも影響を及ぼしただけでなく(張本人である河本も沖縄開発庁長官として内閣に在籍していたが、これを受けて辞任に追い込まれた)、航空史上未曽有の大惨事に対して寄りにもよって所管担当大臣である運輸相が事故当日に不在(しかも、事故被害の当事者)となるという前代未聞の事態の可能性もあった。
阪神タイガース選手やスタッフは前日まで行われていた福岡・平和台球場での試合(中日ドラゴンズ戦)から後楽園球場での試合(読売ジャイアンツ戦)に備えて移動していた。東京に着いたタイガース選手は自分達に暖かく接していた中埜の搭乗を知り絶句。当時の監督・吉田義男は中埜の生存を信じ、翌日の新聞を取らなかったという。
しかし、選手は中埜への手向けとして優勝するため奮起。その年、阪神は21年振りの優勝と、2リーグ分裂後は球団史上初となる日本一を果たした。
優勝のウイニングボールは中埜の霊前に手向けられ、その後遺族に贈られたが、現在は遺族が阪神球団に再度寄贈し、記念館で展示されている。この事故の影響もあり、当時の阪神の主力選手・真弓明信は飛行機恐怖症となった。また球界では新幹線で移動出来る場所への飛行機移動を控え、やむなく飛行機を利用する場合でも原則全日空を使う様になった。
余談であるが、366便の乗客(一般人)は事故後「床下から変な音がした」と証言している。
事故の教訓
- 日航では羽田 - 伊丹線便番号に122・123を使用していない。永久欠番としている(全日空も羽田 - 那覇線臨時便のみ使用している)。
- 同社では大田区羽田空港整備地区に事故機の残骸(垂直尾翼・圧力隔壁など)や乗客の遺品を展示した施設「JAL安全啓発センター」を開設している。普段は社員研修に使用しているが、予約すれば一般人でも見学可能。東京モノレール新整備場駅が最寄駅。
- その後、日本国内で海外航空会社が人身事故を何度か起こしている。
- その中で最大のものは1994年にチャイナエアラインが小牧空港(現・愛知県営名古屋飛行場)で墜落炎上した事故(中華航空140便墜落事故)で、271人中264人が死亡した。
- なお、日本国内で日本国籍の民間機が墜落する事故は、この事故を最後にゼネラル・アビエーション(遊覧・訓練・報道・自家用など)の小型機を除き40年近く発生していない。
- ただし、国内ではこの事故以降日航含む大手3社が1回ずつ全損事故を起こしている。いずれも民間機側に犠牲者はなし。
- 2002年には、全日空ボーイング767が訓練中に下地島空港でタッチアンドゴー(一度接地した後直ぐに上昇する訓練)に失敗、全損する事故を起こした(訓練中のため乗客はいなかった。クルーは1名負傷)。
- 1993年には旧日本エアシステムDC-9が花巻空港で着陸に失敗・炎上する事故を起こした。なお、下のJAL事故まで30年以上日本の航空会社は運行中に全損事故を起こしていなかった。
- 2024年1月2日には日本航空A350と海上保安庁DHC-8が羽田空港で衝突し、双方が大破炎上。海保機クルー5人が死亡する事故が発生した(詳細は羽田空港地上衝突事故を参照)。
- また運航中に乗客乗員が死亡した出来事(急病人を除く)としては1999年7月23日の全日空61便ハイジャック事件で機長が刺殺されている(ただし、これは事故ではなく事件である)。なお、事故後30日以内に死亡した者を死者と認定する国際条約の関係で航空事故死亡者にはカウントされていないが1997年に日航706便が乱気流に巻き込まれた事故で、客室乗務員1名が昏睡の末に死亡している。
- 生存した被害者、特に一家全員を失った少女に対する取材は執拗を極め、写真週刊誌も現場写真撮影を優先するなどマスコミ取材態度も問題点が多く、世間の非難を浴び写真週刊誌衰退の一因ともなった。
- 悲惨な事故ではあった一方で、普通であれば即座に墜落してもおかしくなかった(事実としてトルコ航空981便墜落事故やアメリカン航空587便墜落事故においては離陸上昇中に油圧全喪失(後者の場合は垂直尾翼も喪失した)に陥った結果クルーには成す術もなく墜落している)が、当該機ではトラブル発生から30分以上も飛行していた。このことから、舵面が失われた場合でもエンジンコントロールである程度機体制御が可能であることが、航空業界で認知される事となり、後年発生した事故(後述)においてその教訓が活かされることとなった。また、死亡したパイロットに対しても2年後の1987年に航空業界で最高の栄誉ともいえるポラリス賞が追贈されている。
- ボーイング747型機油圧系統はフェイルセーフに基づいて多重化されていたが、当時製造されていたクラシックタイプはどういう訳か機体尾部に配管が集中するという設計となっており、この事故で実質的に設計ミスが発覚することとなってしまった(折角のフェイルセーフが役に立たなかった)。この点については後年改修が行われた。
- 日航クラシックジャンボの内、事故機と同型-100SRにおいては1994年までに全機が退役した。同型を2006年まで運航したANAよりかなり早い退役となっている。なお、入替わりに-100Bなどの初期型が国内線に就航したり、2階席拡大版の-300SRが導入されたりなどした。-300SRはANAが発注しなかったため、旅客機時代は世界でJAL(子会社含む)のみが保有した機種であった(後にANAも含め直接の後継機である-400Dも導入されている)。
- 犠牲者のうち3人は神戸市の女子校・親和女子高校教員で修学旅行の下見に行った帰りであった。当時3年であった杉田水脈氏は数日前にそのうちの1人の授業を受けたばかりであり、3人が校内で生徒達に慕われていたため、今でも忘れることが出来ないという。親和女子はそれ以来修学旅行に飛行機を使わず、後に学校を移転してからも慰霊碑を併設して花束を供えているという(参照:Xでの杉田氏と同校の後輩女性の会話)。
- なお、同じ日航が協賛(提供はロート製薬の1社)していたクイズ番組『アップダウンクイズ』も、この事故の余波により日本航空が協賛から外れ、同社によるカウキャッチャーが廃止された挙げ句、2ヶ月後の同年10月6日に最終回となっている。この最終回「22年間ありがとう!シルエット大会」では、前述の麻実氏が解答者6組12人のうちの1人として出演(相方は同じ宝塚OG・鳳蘭氏)しており、同番組の22年間・全1084回を通じて最後の問題に見事正解したという。
陰謀論
上記の様に、この事故は航空史上類を見ない大惨事であったが、その反面、不可解な点がいくつも挙げられた。
それ故、現在に至るまで陰謀論や怪しげな憶測が多数出回っている。
- 自衛隊あるいは在日米軍が撃墜した
- 無人標的機が衝突した
- 自衛隊が火炎放射器で生存者を焼却・口封じした
- 強度が低下していた場所にリベット接合をしてしまい、金属破断を加速させた
- ペルセウス座流星群から飛来した隕石のソニックブーム
………といったものである。まぁ最後のは陰謀でも何でもない(これが事実なら100%天災)が。
確かにこの事故は分かっていないことが多々あり、色々な可能性を考えて議論することは必要である。だがこれらの陰謀論はハッキリいってこの事故をダシとしていい加減な話や、政治思想を他人に信じ込ませようとする行為である。
実際にソ連軍による撃墜事件と判明した大韓航空機撃墜事件も隠蔽工作が結局短期間で破綻しており、そもそも1954年に発生した中国人民解放空軍によるキャセイパシフィック航空機撃墜事件や1955年のブルガリア国防軍によるエル・アル航空機撃墜事件・1973年に起きたイスラエル空軍リビア航空機撃墜事件、そして1988年の米海軍ミサイル巡洋艦ヴィンセンスによるイラン航空655便撃墜事件等、軍事組織攻撃による民間機撃墜事件は何れも早期に発覚しており、さらに1994年のルワンダにおけるハビャリマナとンタリャミラ両大統領暗殺事件や2001年シベリア航空機撃墜事件、そして2014年マレーシア航空撃墜事件等、実行した武装勢力や軍事組織が不明な事件でもミサイルによる撃墜自体は判明している。
そもそも、もし爆発物による大爆発が発生したなら特徴的な痕跡が残るので直ぐ分かるが、日本航空123便でその様な痕跡は一切見付かっていない。
日本で同様の事件が起こっても目撃者全員の口を塞ぐなど全く不可能な話であり、ニュースキャスターの辛坊治郎氏がこれらの陰謀論を自らの取材で得られた事実と突き合せて検証したところ、そもそも様々な事象が発生した時系列が滅茶苦茶で事実誤認だらけであり、まるで話にならないと自身のラジオ番組で指摘している。
しかし、これらの陰謀論は定期的にリバイバルされており、近年では「元日航客室乗務員で犠牲者CAと同期であった」「東京大学大学院博士課程修了・博士号収得」と自称する青山秀子氏による陰謀論本が出版されており、航空系が本業でない森永卓郎などの一部評論家による持ち上げ、Amazonレビュー等、これらのトンデモ論を真に受ける人も少なくない。
YouTubeではチャンネル「アシタノワダイ」が漫画にして広めたことがある。この動画は1度は削除されたらしいが、転載されている(加えてこの転載の際に「何らかの理由で削除された」と削除自体を宣伝化している様なものも見られる。単刀直入にいえば自作自演の可能性が高い)。このチャンネルはデマ拡散動画や差別的な動画、事件事故の被害者を侮辱する様な動画等を多々投稿しており、ハッキリいって到底信用出来るものではない。
個人サイト黎明期やHTMLでの2ちゃんねるまとめサイト全盛期の頃はこれらを否定する資料・書籍やサイトも多数あったが書籍が古過ぎて絶版となったり、サービス終了でサイトが閉鎖したりして手軽に見られる資料が減っており、そこを狙ってこのチャンネルの様な広告料稼ぎのためのデマ動画やSNSアカウントが跋扈している。
X(旧Twitter)において「新幹線で自衛隊が旅客機を撃墜したとニュースが流れているのを見た」などと発言した者がいたが、新幹線でニュース放映サービスが始まったのは100系新幹線から。当時100系はまだ試運転段階であり営業列車は全て0系新幹線であったのでこの主張は成り立たない、全くのデマである。(当該ツイートは多数の鉄道ファンから矛盾を指摘されていた)
また、有名なものでは「救助に向かおうとした自衛官が射殺された」という速報テロップが入ったニュース番組の画像があるが、これは加工前の映像(当該シーンは6:55当たり)が確認されている他、そもそもテロップのフォントが旧字体になっていたり日本のものと点画が異なっていること(中国語や韓国語をGoogle翻訳した際の様なあのフォント)等からフェイクであるとほぼ確定である。
ちなみにこの映像は某ゲイビデオを題材としたジョーク動画で加工されたものであると判明している。
近年のリバイバル陰謀論の中には当時の機材スペックや通信状況(インターネットもなくガラケーすらなかった)、現場までのアクセスといった時代的な背景を一切無視したり、自衛官や在日米軍兵士をチート能力化させたオーパーツ設定のものが多く見受けられる。
テレビ局の取材に対して「墜落時の対地相対速度は約350ノット/hと考えられ、失速による墜落ではなく、意図して急降下中であった」と証言する元旅客機機長なる人物がいたが、この人現役時代に最後に乗ったのDC-7? それともYS-11? まさか零戦とかいわねーよな?
というのも、基本的に実用ジェット機は翼面荷重が高く、そのため失速速度も高い。そして一般的に、失速状況からの回復手段は急降下による増速である。しかし、機体の状況は水平舵機能も失っているため、乗員はエンジン出力制御と主翼フラップでしか行えない。
プロペラ機は推進機がアンダーパワー気味である分、ジェット機より翼面荷重が低く、失速速度が低い。このため、低高度で失速したとしても、失速からの回復は(ジェット機よ比べれば)容易である(多くのプロペラ機は、エンジン推力を失っても、滑空により低速で不時着することすら可能である)。特にレシプロエンジンの場合、アンダーパワーではあるがスロットルレスポンスが高いため、機首下げ姿勢を取らずとも回復出来る機種もある(零戦パイロットの一部は、この手法で米軍機にオーバーシュートさせる「木の葉落とし」という技法を用いたという)。
しかし、ボーイング747はジェット機としては無理がない設計である分、低高度での失速回復は非常に難しかった。日航123便に使われた747-SR100などの「クラシック・ジャンボ」は、失速状態からの機首下げによる回復の限界最低高度は6,000フィート(約2,000m)とされている。
また、「地元民の目撃情報や羽田管制・成田管制・在日米軍横田基地レーダー情報から墜落地点が解っていたにもかかわらず、救出活動が14時間もなされなかったこと」を陰謀論に結び付けることが多々ある。
しかし、当時はまだ暗視装置などが未発達であったうえ、山岳地帯対応の消防車も現代にいたるまで存在していない。よって位置は分かっていても、近付くことが出来ない
では空中からということとなるが、山火事などに使われる消防ヘリや飛行艇などでの水散布は、その量が数t - 数十tとなり、面積当たりの投射量も多い。その下に脱出中の生存者がいたら、その水で殺してしまう。実際に、2022年4月には、岩手県内に起きた比較的小さな山火事のために700kgの水をヘリで投射したが、それの直撃を受けた消防団員が胸腰椎骨折の重傷を負ってしまっている。
しかも、燃えているのはジェット燃料であるため、ただの水では消火できない(家庭でも天ぷら油火災や石油ストーブ火災の消火に水を使ってはならないのと同じである)。この当時であるとアルカリ系強化液消火剤を使うことになるが、これは人体にとって有毒である。一般に無毒とされる、家庭用消火器として普及している粉末式消火剤は、上空からの投射には適していない(火災の熱による上昇気流で拡散されてしまう)し、仮に強引にでも有効な量を投射したとしたら、いくら無毒とはいっても呼吸器系に大量侵入すればやはり生命の危機に置かれる。
また、「陸自の空挺部隊は夜間降下は可能だと言っていた」と言うが、それは、ヘリが安定してホバリングできる状況でなければならない。下はジェット燃料による大火災が起きていて、その熱による上昇気流によってヘリは安定したホバリングができない。パラシュート降下も、同じ理由で現実的ではない。
それに当然、かなりの輻射熱で高温になっていることも考えられ、そこに生身の人間を降ろすことは特攻と同義である。
炎が消えたように見えても、炭化した森の木々が燻っていることは充分に考えられ、そこへ持ってきて夜間とくれば、安全な場所へ誘導して降下することは極めて非現実的としか言えない。
つまり、夜が明けて墜落現場が目視可能になるまで、手のつけようはなかったのである。
そもそも当時一生懸命に救助をしてくれた自衛隊の人達にだってそれぞれ人生がある生身の人間である。上記の様な陰謀論で、その人達に人殺しの濡れ衣を着せようとするのは余りにも無礼極まりない行為である。
以下、分かる範囲で陰謀論、デマに反論を書込んでみる(追記・修正があれば宜しくお願いします)。)
・123便の真実を知ったら政府に殺される
本・テレビ・ネットなどでこれらの「真実」を知る人は沢山いる。それだけの人数を暗殺出来るのか。そもそもその様な「真実」を暴露している、青山氏を始め、ほとんどの人が今もピンピンしている。
さらに、生存者の少女の父は日本共産党現職市議であったため当時も共産党による調査は行われており、当時は現在よりも共産党の党勢が大きかったため何か陰謀痕跡が見付かれば敵討ちとばかりに国会で追及やデモ等を行っていたはずであるが、そういったことはなく共産党も単なる事故であるとの判断をしている。
・自衛隊が火炎放射器で生存者を焼き殺した
100人以上もの人達を焼き殺そうとしたら山火事とになるし、自衛隊の方も無事では済まない。そんな虐殺の痕跡を完璧に隠蔽するなど物理的に不可能である。そもそも、夜間の山岳地帯に突如降下等、特殊部隊でも困難であり、ましてや、火炎放射器を背負って、急な山岳地帯で、生存者を短時間で、焼却など荒唐無稽である。
また、遺体が完全に炭化していること、二度焼きされたようであるとの証言もあることを根拠とする意見もある。確かにジェット燃料は引火点が高いので裸火があっても燃えにくいが、それは液体での話で、燃料自体が高温になって気化すれば着火点はガソリンよりも低くなり、発熱量はガソリンよりも高い。
羽田―大阪便は天候の良い日で通常42000ポンド(約19トン)ほどの燃料を積むという。これは目的地の空港に着陸できなかった場合に代替え空港に向かう燃料も含まれている。さらにこの機体は初めに記したように伊丹到着後すぐ折り返し便として出発予定だった。よって事故時には少なくとも10トン以上の燃料が残っていたという。
それが燃えればどうなるかは説明なしでも分かるであろう。
・123便は核兵器を運搬していた
日本国憲法に非核三原則というものがある。そもそもなぜ旅客機で運ぶのか、どこに積むのか、大体そんなものを積んでいる飛行機が墜落したら辺り一帯放射能で汚染されているはずである。当然、多くの人間が被曝する。これは、救助に向かった人々が「123便には医療用放射性同位体が貨物室で輸送されていたので残骸には触るな」という指示を受けたことが根拠として広まったとされる。医療用放射性同位体の航空輸送は現代でも普通に行われているので核兵器云々の根拠にはならない。
付け加えると当時、この様な輸送の正確性を求められる物品の輸送は、航空機が比較的使われやすかった(国鉄貨物の信頼が地に堕ちていたため。現在は特に環境への配慮から鉄道貨物が復権している)。
・異常発生直後、航空機関士が二度「オレンジエア」と発言した(報告書ではオールエンジン...(解読不能)と表記されている)これはミサイル・標的機のことである
この音声では後年にリマスターしても、聞き取り困難な部分が多い(緊急事態発生時なら緊張、動揺で噛んだり呂律が回りにくくなったりするのも当然である。上記の通り低酸素状態の可能性もあったので尚更である)。また、直前に機長が「エンジン?」と尋ねているので「オールエンジン(フェア)(全エンジン異常なし)」でも辻褄は合う。他にも車輪関連の警報は油圧と共に正面の計器盤にオレンジ色のランプが点くため、「オレンジギア」「ボディギア」などと脚の異常(誤作動)を指摘した、という声もある。何よりオレンジ色の物体の正体が下記でほぼ特定されているため、ミサイル等への指摘とは考えにくい。
そもそも航空機関士はコックピット右座席後ろで計器監視をしているので窓外を見ている暇はないし、この発言前の「ギア見てギア」の質問を2回共に無視していることとなる。異常事態が発生しているのに747の計器監視を放棄して呑気に外を見ていたとは考えられない。
中にはオレンジエアが「自衛隊の隠語で標的機や誘導ミサイルのことである」と主張している人もいるが、元F-15パイロットの空飛ぶたぬき氏を始め多くの方がいう様に該当する用語は陸海空自衛隊のいずれにも存在しないし、何より上述の様に自衛隊出身なのは高濱機長であり福田機関士は関係ない。
・墜落直前の事故機を撮影した写真にオレンジ色のもの(胴体下の中央辺り)が写り込んでいる。これは突き刺さっているミサイル(または標的機)である。墜落現場の映像でもその残骸らしきものを見たし、安全啓発センターにも展示されていた
明らかに衝突防止灯である(夜間の飛行機が点滅しているあのライト。件の写真をよく見ると主翼端もオレンジ色に光っている)。こんなハッキリ写る程の飛行物体が当たったら、爆薬なしでもその場で空中分解するであろう。また、墜落現場のオレンジ色の残骸は主翼の一部(日の丸が書かれていた部分)であることが確認されている上、展示されている残骸は胴体の赤、紺色のラインが入っていた部分の可能性が高い(当時のJALの塗装はメイン画像から分かる通り胴体に赤、紺のラインが入っていた)。
・TRON(国産OS)開発者が乗客として乗っていた。彼らを殺し、計画を潰すため(Microsoftで全OSを独占するため)米軍が撃墜した。事実、TRONはマイナーなソフトになってしまった
TRONは無事実用化され、世界中に広まっている(ロケットや人工衛星、自動車やカメラなどに組み込まれているとのこと。というかパソコン、スマホ以外でコンピュータを搭載する機器のOSのうち60%はこいつらしい)。さらに開発者の坂村健氏は2024年現在ご存命である上、関係者が乗っていたかも不明である。これは、松下電機(現・panasonic)社員が搭乗していたという記事や、Microsoft創設者のビル・ゲイツ氏も頻繁に陰謀論のネタとされる人物であることが由来といわれている(参考)。ただ、TRONを巡って米国から貿易摩擦を理由に圧力をかけられたことや、それが遠因でPC用TRONの計画がポシャったことは事実らしい(参考:坂村氏のインタビュー)。
そもそも、Microsoftはどこから出て来たのか? PC用OSにおけるMicrosoft最大のライバルは今も昔もAppleである。そしてこの当時はMS-DOSもMacintoshも世に出たばかりの頃。統合開発環境としてのOSでMicrosoftとAppleの仁義なき戦いが本格化するのは、Macintosh IIが発売された1987年頃からであり、上記記事の様にMicrosoftはまだ世界的影響力もなかった。
・異常事態発生前に乗客が撮影した機窓写真にこちらに向かって来る物体が写っている
問題の「物体」は点の形をしている。ミサイル・標的機ならば高速移動しているため、煙やブレた物体の都合で線状に見えるはずであるし、翼が付いているはずであるが、その様なものも確認出来ない。更に、推定される写真撮影時の位置(房総半島沖)は異常発生地点(伊豆半島沖)からかなり離れている。よって、ゴミか何かの可能性が高い。
・中曽根元総理が「真実を墓場まで持って行く」といっていた。この真実とは123便墜落のことである
この発言を中曽根元総理が本当にしたのかは真偽は不明。仮に言っていたとしてもいつ、どこで、どのような状況で発言したのかをしっかり把握するべきである。
ちなみに中曽根康弘氏には日航123便どころではない「墓場まで持っていくべき話」がウンザリするほどある。
なお、この当時三光汽船倒産事件が同時多発的に発生しており、同社が自民党重鎮の河本沖縄開発庁長官がオーナーである企業であることは上に記した通りだが、はっきり言って同時期に発生した2事件の間でもこっちの方が「墓場まで持って行くべき話」があると言われている(同社の、通常の貨物輸送より空き船の転売をメインにした商売方式や、政治献金諸々など)。
また、この事件は事故の翌日が倒産日であるが、事故の影響で倒産の件が隠れたなんてこともなく、前述の通り河本大臣は引責辞任に追い込まれている。
似たような話として「事故原因を追求すると戦争になる」と事故調査の関係者が発言していたという噂もあるが、これも具体的に誰がいつどんな状況で発言したのかはっきりしておらず、真偽不明である。
・米軍横田基地と墜落地点の間にアメリカも知らない自衛隊の秘密施設があるため、米軍の救助を断った
ここまで行くと陰謀論というよりは都市伝説。その中身もぶっ飛んでいて、中にはUFOとかいうものも。ただ、どうやら在日米軍からの救助の打診があったのは事実らしく、日本側は「誰がそれを受けて、断ったのか不明」らしい。
・日本が真実を隠蔽しボーイングに罪を擦り付けた事が原因でアメリカ政府の怒りを買い、プラザ合意に繋がり日本衰退の引き金となった
事故からほぼ1ヶ月後のプラザ合意と結び付けた陰謀論であるが、これはもう風が吹けば桶屋が儲かる並に話が飛んでいる。というか修理ミスは米国側の調査で判明しており、日本側はむしろ修理ミスがあったと公開するのを躊躇っていた。そもそもボーイングは世界規模とはいえ、ただの民間企業でしかなく、仮に罪を擦り付けられたのが本当だったとしても、別に国家規模のヘイトを向けられた訳でもないのにアメリカ政府が動くのはおかしい。
・この陰謀を否定するものは工作員である。
いわゆるレッテル貼りである。正直、この様な説に疑問を持つ人が出て来るのはごく自然なことである。メディアやネット発達・多様化によりデマや風評の拡散が懸念されている今日であるなら尚更である。
この様なレッテル貼りで反論意見を聞き入れようとしないのは問題ある姿勢である。
https://togetter.com/li/1146084
http://enokidoblog.net/talk/2018/09/30472
https://ameblo.jp/boumu/entry-12398533398.html
また、中曽根元総理など陰謀に加担したといわれている人達や青木透子氏を始めとする陰謀説を唱えた人達をネットで中傷する人達がいるが、たとえどんな理由があっても誹謗中傷や私的制裁は絶対にしてはいけない。
強いて不合理な点を挙げるとするならば、それは「ボーイングは与圧された航空機の損傷が致命的な事態になることを熟知していたはず」「脱落した垂直尾翼、補助動力装置の残骸がそこまで深い海域でないにもかかわらず、あまり回収出来なかった」、そして「ボイスレコーダーを遺族への配慮という理由で公開していない」いう点である。
大東亜戦争末期の日本本土空襲において、少なくない数のB-29が旧日本軍による迎撃を受けた結果空中分解しているためである。B-29の場合は後部ではなく、アスペクト比の高い主翼付根付近に損傷を受けるとあっさり空中分解することが多かった。これは日本側も(その原因は間違えていたが)把握しており、戦闘機は極力ここを狙ったという。
ただ、常に災害に襲われ続ける日本と異なり、内陸での災害が比較的少ない大陸国家では、過去の災害事例が風化しやすい傾向にある。同じ様に大戦中に日本軍との戦闘で培った、艦船のダメージコントロール技術のハズが、1967年にはすっかり失われており、結果ベトナム戦争で作戦展開していた空母フォレスタルが大火災を生じさせる事態となっている。
また、下記のTWA機事故や中華航空611便事故、ジェット黎明期のコメット連続墜落事故等、海中に墜落した事故では他の原因が疑われる中で機体の肝心な部分が引き上げられたことにより原因が発覚したという経緯がある。しかし、本事故では一応海底捜索を行ったにもかかわらず事故直後に海上や沿岸で回収されたものを除いて尾部残骸の大部分が回収出来なかった。また、前記のように事故を受けてJALは同型747SRを早期に退役させている。そのため、予算と期間を拡大し、実機を使った隔壁破壊実験や残骸捜索を行っていれば陰謀論がここまで蔓延らなかったかもしれない。実際、2015年にはテレビ朝日が当該海域で補助動力装置の部品らしきものを発見している。
追記するとボイスレコーダーの音声を事故調査以外の目的で公開することも、パイロットのプライバシー保護のため国際的な条約上(シカゴ条約)認められていないことではあるのだが(今出回っている音声は関係者が流出させたものであり、正式に公開されたものではない)。
ともかくもこの様な悲惨な事故が起きた時こそ我々は情報取扱に慎重となるべきである。誤った情報のせいで大勢の人々の人生が大きく狂ってしまうことは人類の歴史が証明しているから。
8月12日に発生したその他の航空機事故・トラブル等
1958年8月12日・全日空下田沖墜落事故
この日の羽田発・小牧空港(名古屋)行全日空25便は伊豆下田沖利島付近の海上に墜落、乗員乗客計33名全員が亡くなった。
全日空にとって初の航空機墜落・死亡事故となった。
2005年8月12日・JALウェイズ58便エンジン爆発事故
事故から丁度20年が経過したこの日、福岡発ホノルル行JALウェイズ58便は離陸直後に左エンジンから出火するトラブルに見舞われた。幸い30分後に無事福岡空港に引き返し、乗員乗客に怪我人はでなかったが、エンジンの破片が市街地に落下、怪我人が生じる事態となった。
2017年8月12日・全日空37便の気圧トラブル
この日の全日空37便は離陸直後、機内の気圧トラブルが発生した。
8月12日18:00発・羽田発伊丹空港行という点が123便事故と全く同じであったが、トラブル発生後は千葉県上空経由で羽田空港に緊急着陸、事なきを得た(乗客乗員などに怪我人等はなし)。
また、事故から35年が経過した2020年夏には成田空港で、JAL123という便名が出現することとなり、大騒動となった。整備作業者がうっかり打込んでしまったらしい(実際にフライトレーダーの履歴で数回JAL123が誤って打込まれたことが確認されている)。
関連タグ
チャイナエアライン611便空中分解事故:こちらもしりもち事故修理を適切に行わなかったことが原因で起きた、ボーイング747型機事故。
テネリフェの悲劇:本事故を上回る583人の犠牲者を出した史上最悪の航空事故。また、こちらの事故機は衝突した双方の機体も本事故と同じボーイング747型機である。
TWA800便墜落事故:事故の悲惨さと陰謀論のはびこり具合で類似している。
NNN臨時放送 都市伝説の1つ。詳細は記事を確認して貰いたいが、元ネタの有力候補としてあげられる(情報を断片的に記憶したことで事実と異なる記憶にすり替わるマンデラ効果の一種と考えられる)。
羽田空港地上衝突事故:本事故から39年後に発生した日航機事故。国内航空会社ワイドボディ機に限ると、本事故以来の機体全損事故となった。残念ながら海保機側の死者が出てしまったものの、CNNから乗員乗客全員が脱出できた要因の安全対策や教育訓練について本事故が間接的に言及されている。
関連動画
写真や「オールエンジン」の言葉を検証する動画(もっとも、この投稿者は上記の「流星群ソニックブーム説」を提唱しているので注意が必要。あくまで陰謀論を含めた参考動画として閲覧するように)。
類似事故(本事故の教訓が生かされた案件)
- 「ユナイテッド航空232便不時着事故」この事故では、エンジン爆発により油圧を失った際偶然客室に乗り合わせていた非番訓練教官が当事故を研究しており、シミュレーター訓練で当機操縦法を習得していたため、機体を最寄スー・ゲートウェイ空港滑走路まで降ろすことに成功している。当案件との違いは、垂直尾翼の有無(全壊(操縦不能)か小破(操縦困難))と確認手段の有無(夜(視認不可)か昼間(別油圧装置の異常動作視認))のみであったが、着陸直前に乱気流により機体が吹き飛ばされ一瞬で横転させられ犠牲者が出てしまった。
- また、2003年に発生したDHL貨物便撃墜事件においては地上にいたテロリストが放った地対空ミサイルが左主翼に命中し油圧系統が破壊されたものの上記2件の事故を教訓として、エンジン推力のみで空港への緊急着陸にオーバーランしながらも成功し乗員3人全員(貨物機なので乗客はなし)が生還している。
参考資料
Japan Transport Safety Board
62-2-JA8119 日本航空(株)所属 ボーイング 747SR-100型 JA8119 群馬県多野郡上野村
(航空事故調査報告書付録)62-2-JA8119 日本航空(株)所属 ボーイング 747SR-100型 JA8119 群馬県多野郡上野村
Federal Aviation Administration
Boeing 747-SR100 | Federal Aviation Administration
科学技術情報発信・流通総合システム(J-STAGE)