事故概要
発生日時 | 2001年11月24日21時06分 |
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発生場所 | スイス チューリッヒ州 |
機材 | アブロ RJ100 |
乗員 | 5名 |
乗客 | 28名 |
犠牲者 | 24名 |
事故経過
ベテランの機長と若手の副操縦士の手でベルリン・テーゲル空港を起ちチューリッヒ空港に向かった3597便は、夜間飛行なうえに雪が降りだし視界不良な中で着陸準備を行っていた。当初はILS(視界不良でも着陸できるよう水平方向垂直方向双方のデータを送る)があり着陸難易度の低い14番滑走路を使う予定だったが、騒音問題の影響で夜間の使用に躊躇いが出る場所だったために管制側の指示に従いVOR(こちらでは垂直方向のフォローが出来ない)28番滑走路に進路を向けた。
3891便と3797便が先に28番に着陸したのちに降下態勢に入った3597便だが、視界不良で滑走路が見えず高度を取り直そうとする。
・・・が、遅すぎた。乗員が高度を把握できていなかったために機体は空港手前の丘に激突して大破してしまったのである。
後部座席にいた数名は運よく生き延びることができた。中にはパッション・フルーツというダンスユニットが機内で踊ってたのに辟易して後部座席に移動した結果命拾いした客もいた。(ちなみにパッションフルーツは他メンバーより一列後ろに座っていた一人しか助からなかった。)が、乗員乗客の四分の三に相当する24名が犠牲となった
クロスエアの杜撰な経営ぶり
スイスの航空事故調査委員会が調査に乗り出した結果、クロスエアの杜撰な管理が次々と浮き彫りになっていった。
・計器の一つが上下逆さまに取り付けられていた。整備の杜撰さが懸念される。
・着陸進入時に使用された地図に事故現場の丘が載っていなかった。
・事故当時3597便が到着した時点でスーパーバイザーが帰宅しており若手女性管制官一人でやりくりしていた。(当然規則違反)
更に調査を続けるうちに驚くべき事実が浮き彫りになった。当機の機長、ハンス・ウルリッヒ・ルッツは何故パイロットがやれているか首をひねりたくなるほどの訳アリパイロットだったのだ。
ハンス・ウルリッヒ・ルッツの見るも無様な経歴
端的に言い表すなら標準以下のパイロット。経歴だけは無駄に長いが、その歩みはとても他人に誇れるものではなかった。(Wikipediaにもさらっと問題のあるパイロットでもあったと書かれている。)
・軍の航空学校の試験に3度も落ちる。しかたなくグライダーや商用飛行免許を取得。なお、3回のうちあとの2回は学力不足(中学校中退)を理由とする門前払いであった。
・計器飛行証明を何度も試験に落ちた後にギリギリ取得。
・チェックリスト不使用や航法装置の理解不足、並びに操作手順間違い(あるいは無視)の常習犯にもかかわらず、計器飛行の教官を務める。
・1979年に、事業拡大の為人員補充に躍起になっていたクロスエア社がなりふり構わず彼を採用。
・さらに、ある時期からとある飛行学校と二足の草鞋を履くようになった。なお、クロスエアと飛行学校で勤務状況や問題点に関する情報共有はなされていなかった。
・機械をまるで信用しておらず、シミュレーターをとにかく嫌がった。パイロットの定期チェックが始まってからも他のパイロットがシミュレーターでチェックを受ける中一人だけ実機で受けていた。
・1990年代になり機種変更試験を何度も受けるもデジタル航法装置の理解に手間取り何度も落ちて、ようやく受かったのが事故の6か月前。それも「こっちの方が簡単だから」という理由で当初受けていた機種から事故機の機種に変更させられた末のことであった。
・教習中に機体構造を理解せずに地上でランディングギアを引いた結果、車輪が引っ込んで機体に地面の猛烈なボディプレスをさせて全損させる。流石に教官からは下ろされたがそれだけ(飛行学校の方はそのまま)。
・対地接近警報装置(GPWS)等は全てOFFにしながら、湖岸や山腹が見えるほど地表までかなりギリギリの高度まで下げてから夜間なのにほぼ有視界飛行でルガーノ空港へと着陸したことがある。この時彼は疑問を呈する副操縦士に「これで着陸できるから安心しろ」との一点張り。
・フランス語圏に向かうアルプスの遊覧飛行で迷子になり、高度を下げたところで乗客に「道路標識がイタリア語なんですけど?」と突っ込まれ慌てて本来の空港に引き返す。
飛行機への情熱だけは無駄にある一方で、計器に対する理解度や状況に慎重に対応する注意力が著しく欠けていたのである。こんなパイロットの操縦する飛行機に乗せられる乗客としては堪ったものではない。
あまりの酷さにメーデーのナレータ名物の毒舌スイッチが入りはじめ、”途中から機長という役職が省かれ呼び捨てとなり「彼は要注意人物でした」「平均以下の飛行能力」「無能ともいえるルッツ」とコンボが炸裂。
事故を担当したコンサルタントからも前述の能力や意識の低さを指摘された上で「つまり…(しばらく言葉に詰まって)彼は是非とも欲しい人材ではなかった」と遠回しにいらない子扱い、「私ならルッツの推薦状は絶対に書かない」等々フルボッコにされた。
ちなみにクロスエアがなぜこんな問題パイロットを採用したかというと、人材不足に悩まされていたためであった。クロスエアは1980年代以降成長を続けていたのだが、増便しようにも人材不足に悩まされており、ルッツの様な問題パイロットも採用せざるを得なかったのである。
ちなみに3597便の約2年前にもクロスエアは墜落事故を起こしたのだが(クロスエア498便墜落事故)、その原因も人材不足から採用したパイロットの問題によるパイロットエラーだった。(能力面・人格面の問題ではなく、旧東側諸国出身のパイロットが西側の機材を操縦する場合に特有の問題を抱えていた)
その後
あまりの酷さにスイスの当局からお叱りを受けたクロスエアは、同じころに飛行機事故や9.11同時多発テロで経営が傾いていた末に経営破綻した親会社のスイス航空と合併し、「スイスインターナショナルエアラインズ」となった。以降は社内管理の徹底的改善を行い、現在では優良航空会社の一つとして活躍している。
メーデー民の反応
2011年に放送された当事故により明らかになった経歴から、ルッツ機長はザンテン機長(テネリフェ空港ジャンボ機追突事故)やボナン副操縦士(エールフランス447便墜落事故)と共に問題のあるパイロットの代名詞となってしまった。濃霧やテロの影響と優秀なパイロットの千慮の一失が重なってしまった不幸なザンテンや、経験が浅いときにトラブルに見舞われ頭が茫然自失状態になってしまったボナンと違い、ルッツに関しては日ごろからのやらかしが多すぎて事故が起こったのが残当という評価は覆っていない。
ただし、ルッツに関しては単純に無能だっただけで仕事自体は真面目にやっており(というか事故自体も地図の不備やスーパーバイザーの規則違反なども絡んでいて彼一人だけの問題ではない)、さらに後のシリーズには、飲酒、手順無視、麻薬、無免許、乗客ごと無理心中などといったルッツがマシに見えるほどのパイロットも出現している。このためかルッツがボーダーラインのように扱われることがあり、ルッツ以下は失格・問題外でメーデー民にはそもそもパイロットとして扱われなかったりもする。
なお、余談ながらもう一つの原因とも言える勝手に帰ってしまったスーパーバイザーについてはスーパーバイバイザーと呼ばれてしまっている。
関連タグ
フィクションじゃないのかよ!騙された!←用語等はこちらに
ハンス・ウルリッヒ・ルーデル・・・ルッツとファーストネーム、ミドルネーム、ファミリーネームの最初の音が同じ飛行機パイロット。こちらは人類トップクラスのエースである。ちなみにルッツが生まれたのは1944年でルーデルが現役バリバリの時期である。